老いてなお湧き立つ人間解放への思い(ジャーナリスト・中村一成)
vol. 9 2018-12-03 0
1950年代からの同和対策事業は、歴史的な差別是正措置だったが、行政要求偏重の運動は創造性と自立性を失い、「対象者」の大半は事業終結を号砲に運動体から離れた。
運動が不要なほど差別が減じたのなら喜ぶべきことだが、現実は違う。運動や教育の結果、「公」には減じたかに思えた部落差別はネット空間で息を吹き返し、今やリアルな被害を生み出し続けている。運動の弱まりと反比例する形で差別は新たな形で強まっている。
この危機感が企画の出発点にあると思う。著者(1931年生まれ)は研究者や隣保館職員、ムラの女性たち、若年・壮年の活動家や元行政職員らと語らう。どこまでも水平に、オープンに、自らの人生を総動員し、相手の語りを理解しようとする。根底にあるのは、彼女が幾度も口にする「一人一人の自覚」を解放の基底に据えるとの思い、自分が変わることこそが他者を変える出発点との信念だろう。「部落民」で「女性」という二重のマイノリティ性を跳ね返し、道なき道を歩んできた著者ならではの強靭さと柔軟さが垣間見える。
真剣だからこそ手厳しく、率直な言葉が飛び交う。反アウティング裁判で見えた理論的な課題とは。「武器としての人権」を教えない同和・人権教育の問題とは。他の反差別運動に比し、次代の担い手や新しい運動が生れ難いのは何故か。他の運動との連携はどれほどなされたか。都合よく運動を利用してきた行政の奸智と、行政依存に陥った運動の実態。隣保館や識字運動の可能性――。内容の幅広さは、毀誉褒貶を孕みつつも紡がれてきた解放運動の歴史の厚みをも示す。対話を貫くのは、老いてなお湧き立つ人間解放への思いである。
中村一成(ジャーナリスト)