3月12日
vol. 18 2020-03-13 0
おはようございます。和田昌宏です。
昨日はアーティスト友達である井出君の家に集まって、めちゃめちゃ旨いもつ鍋やお酒やらを楽しんでいたらうっかり終電を逃してしまい、このアップデートの更新が遅れてしまいました。
この大変な時世にもかかわらず、ご支援くださっている皆様本当にありがとうございます!
おかげさまで目標金額の半分を超えることが出来ました!
それでももうあと一山超えなくてわなりません。もうひと押し何卒よろしくお願いいたします!
震災以降この時期になると毎年、山梨県と東京都の境にある大菩薩峠の近くに、山本篤くんと撮影に行く。
この撮影は、山本君が昨年ベトナムに1年間滞在していた間も、テラッコレクティブの山上さんに代役をお願いして続けたりして、一度なんらかの事情で撮影できない年もあったが、それ以外は毎年続けている行事というか、儀式の様になっている。
ことの発端は、2011年3月12日の数日前から、僕は山本君に映像作品への出演を頼まれていた。
撮影内容は、ホームレスの格好をして、ガラクタやゴミを詰め込んだ半透明のごみ袋を持った自分が峠道を登ってくると、ビジネスマンに扮した山本にそのごみ袋を奪われ呆然とするという内容で、「簡単な撮影なんで、よろしくお願いします~。」との事だった。
特に楽しくもない役だし、自分がカメラに映るのはあまり好きでないのだが、山本君にはいつも色々手伝ってもらったり、青梅ビデオクラブという機材の貸し借りコミュニティーも一緒にやっている中なので、二つ返事でOKしていた。
2011年3月11日。揺れの後、被災地はもちろんだが、東京も帰宅困難者が続出し、大混乱に陥っていた。ニュースでは目も覆いたくなるような衝撃的な映像が次から次へと被災地から届けられていた。
言葉を失うとはまさにこの事だった。
ただただニュースから伝えられる東北地方に起こっている状況を見守っていた。
そんな中、_夜12時_ごろ、山本君から電話がかかってきた。
山本君はその日家に帰れず吉祥寺のオンゴーイングになんとかたどり着いたのだが、明日の撮影はどうするかという相談だった。
こんな時だからこそ、自分たちは出来るのであれば、予定を変えず作品を撮影するべきではないかと山本君に伝えて、次の日山本君は何とか動き出した青梅線で朝帰宅し、僕たちは雪が残る大菩薩峠近くに車で向かった。
そこは普段はツーリングの人たちも多く通る、とても眺めの良い、気持ちの良い場所で、新しく作られた道路と、これからも工事を拡張していくような雰囲気を残す広々とした峠道だった。
その日はその道から巨大な富士山がとてもはっきり大きく見えていた。
そして、この日初めて僕は富士山が怖いと感じた。
昨日の大地震とその後の大津波の映像を見せつけられた後で、自然現象としてこの巨大な活火山もいつ爆発してもおかしくないだろうし、それが例えば今だとして、地下にたまった大量のマグマを勢いよく放出したときに、この美しい風景の中自分はもしかしたら、ホームレスの格好でここで手に持ったゴミと共に死ぬかもしれない。それはちょっと嫌だけど、作品作れながら死ねたらアーティストとしては本望なのかななどと、壮大な風景を前に、色々な想像をしながら美しい峠道を、山本君の指示でゴミを持ちながら何度も行ったり来たりしていた。
夕方、撮影を終え車で家路につく車中、その後の状況を確認するため、ラジオのニュースを付けると、原発が爆発したというニュースが流れていた。
こんなことは起こるはずがないし、起こるとしてもはるか遠い国、ソ連のような場所でしか起こらないことなんだと信じていたが、そんな根拠はじつはどこにもなくて、こうしてフィクションの中の世界がとうとう現実的にやってきてしまったのだと思った。
昨日のことは自然災害として避けられなかったのかもしれないが、今起こっている事は明らかに人災だし、放射能の目に見えない恐怖に怯えながら生活をしていかなければならないなんて、想像力の欠如によって起こってしまった大事故によって、僕の脳内には想像力のドーパミンがあふれ出て、僕たちは車の中で今後の自分たちの生活や暗い未来について、色々なパターンを考えながらずっと話していた。
そして、毎年同じ場所で同じ撮影を続けようと山本君に提案した。
アーティストとして、ここまで想像を裏切られた出来事に対しての怒りや恐れ、無力さに対して、一番簡単な継続という方法によって抵抗しようと思ったのかもしれない。
それ以来、1回(2014年かな?)を除いて毎年この場所に来て撮影をしている。
撮影場所の風景は長期工事とともに少しづつ変化していて、来るたびに、道が新しく変わっていくので撮影場所を注意深く確認しないとわからなくなってしまうが、辛うじてその一角だけは、まだ認識できるほどは維持されている。
特に作品として発表予定のない撮影をいつまでやるんだろうかと山本君と話しているが、おそらく、今後しばらくはまだ続けていくのではないかと思う。
これは、自分が日本に住むアーティストとして、震災以降今の社会で活動することについて振り返り考え続けるための行為で、その後道がどんどん作られ、表面的に風景が変化していく中でも、やり続けなければならない事なのではないかと今はまだそう思っている。当然オリンピックの後も。
和田