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ドキュメンタリー「祖父のいる森」をクラウドファンディングで実現!
元サンパウロ新聞記者・文筆家の河鰭万里が、画家だった母方の祖父・山岡得七の足跡を辿り、祖父の生涯と芸術の意味を探究したドキュメンタリー紀行文『祖父のいる森』の出版費用を募るプロジェクトです。
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1992年生まれ。千葉県出身。3・11東日本大震災をきっかけに日本や海外を放浪。ブラジル日刊邦字紙「サンパウロ新聞」元社会部記者。愛媛県で画家だった母方の祖父・山岡得七の足跡を辿って愛媛県へ移住。久万高原町の山間で山野草を摘み、獣をさばき、猫と鶏に囲まれて暮らす。2018年10月〜愛媛新聞コラム「四季録」を担当し、山岡得七の調査紀行文を発表。その一連の物語をとりめたドキュメンタリー『祖父のいる森』を初の単著として創風社出版より刊行予定。 また、山の生活で培った技術を活かして「万屋一空」という屋号で、便利屋業も営む。 絵、音楽、映像の制作も行い、日々自身の両手両足でできることの研鑽に励む。
元サンパウロ新聞記者・文筆家の河鰭万里が、画家だった母方の祖父・山岡得七の足跡を辿り、祖父の生涯と芸術の意味を探究したドキュメンタリー紀行文『祖父のいる森』の出版費用を募るプロジェクトです。
《祖父のいる森》予定表紙デザイン(変更の可能性あり)
著者・河鰭万里、愛猫「わさび」と
初めまして、河鰭万里(かわばた・ばんり)と申します。
私は現在、愛媛県の久万高原町の古民家で暮らしながら、文筆業をしています。
19歳の時に3・11東日本大震災後の東北を千葉県から自転車で放浪したのを機に、
自分の足で歩き、自分の目で世界を見ることの重要さを悟り、国内や海外を旅してきました。
オーストラリアに一年間交換留学に行ったり、インドや東南アジアを回りながら、そもそも生命とは何か、生きているとはどういうことなのかという問いを強く抱えながら生きてきました。
19歳で見たインド、ガンジス河(河鰭万里撮影)
大学休学中の世界一周の途上、エジプトやブラジルで‘沈没’し、いつしか文学に没頭。言葉という表現媒体に取り憑かれ、自分で生きて味わったものを人に伝え残して死にたいと思うようになりました。
その道のさなかのある日、千葉県の実家で一枚の紙切れが見つかりました。
たった一枚の紙切れ。それが4年という歳月をかけてやっと出版に至る、この本の物語の始まりでした。
そこには、愛媛県で画家だった私の母方の祖父・山岡得七(やまおか・とくひち)の代表作の行方が記されていました。
その時私は、ブラジルのサンパウロ新聞という、戦後にブラジル日本移民が立ち上げた日刊邦字新聞での記者の仕事が決まっていたため、渡航前の1ヶ月という時間で調査をしてみることにしたのでした。
そもそも私は祖父が画家だったことくらいしか知らず、この祖父の長女である私の母が10歳の時に早死にしていたため、その生涯を知る手がかりは非常に限られていました。
《皿ヶ嶺(下絵)》山岡得七策(1957年ごろ制作、マジックペン)
《タイトル不詳(大崎下島からの海景)》山岡得七作(マジックペンと水彩)
しかし、過去の愛媛新聞の記事や、実家から出てきたスケッチや作品を見て、私は思わず目を丸くしました。マジックペンを使って、非常に‘独特な’絵を描いている。しかも調べてみると、マジックペンが販売されて数年という時期に絵の画材としてマジックペンと水彩を組み合わせ、国画会展の洋画部門に唯一水彩画で入選もしている。
これは変わった人だと悟った私は、一度松山に赴いて祖父の作品を一点見つけ出しました。
《ひまわり》山岡得七作(1959年、マジックペンと水彩)
が、すぐに調査は手詰まりになりました。
それから時が流れ、ブラジルで新聞記者をしている途中に沖縄系3世の霊媒師(神人)に出会い、祖父の本当の財産は絵ではなく、“あの人の心” なのだと知らされます。
その後急に、私が勤めていた新聞社を辞めなくてはいけなくなり、私は帰国し、自分が新聞記者時代に培った取材方法などを駆使して再び調査の旅に出ました。
祖父が生まれた大崎下島、御手洗港(河鰭万里撮影)
祖父以前の先祖のルーツである内子町の町並み(河鰭万里撮影)
祖父の足跡を辿る旅は、瀬戸内海上の大崎下島や、松山市、内子町、宇和島市、東温市と愛媛県内を広くめぐり、生前の祖父の小学校の同級生や、結核の療養生活をともにした人、美術指導の助手や戦時中の命の恩人などと巡り会うこととなりました。
そうして出会った人々の聞き書きや、本人の肉声、過去の新聞記事などを通じて、浮かび上がった山岡得七の人物像や生涯には、彼がどうして一生を絵の道へ捧げたのかを物語る、強烈なエピソードの数々が含まれていました。
祖父の肉声が記録されたオープンリール
生前の曽祖父と幼少の母の肉声も記録されている。「絶対消スナ!」という祖父の肉筆が伺える。
生前の祖父の様子を伝える写真か過去の新聞記事などの資料
旅の道中では、祖父と同じ時代を生きた愛媛出身画家の孫にあたる人と巡り合うこともあり、実際に絵に描いた風景が広がる場所も訪ねたりしながら、祖父・山岡得七が絵に人生を捧げたその’心’を探究しました。
著者が訪れた白猪の滝(左、河鰭万里撮影)と《白猪の滝》山岡徳七作(右、1958年、マジックペンと水彩)
自分の母のルーツであり、半世紀以上前に没した祖父が生きた世界に思いを馳せながら歩く旅は、心の中の深い森の中をさまよう、啓示に満ちた巡礼のようでした。
《皿ヶ嶺》山岡得七策(1961年、マジックペンと水彩、町立久万美術館所蔵)
内容は、
・町立久万美術館高木貞重館長による「まえがき」
・著者による本文「祖父のいる森」(2018年10月より愛媛新聞紙上コラム「四季録」で連載したものを加筆編集したもの)
・著者による「あとがき」
となります。
本文中に山岡得七の絵や作画中の様子などの写真、家系図なども付載して読みやすくなるよう工夫してあります。
発行、出版元は、愛媛県松山市にある創風社出版です。
表紙には河鰭万里が描いた《心象の祖父》の絵が使われる予定です。
1926年4月1日 広島県大崎下島にて出生。本名・忠義(ただよし)。大崎下島で幼年を過ごす。長姉に舞踊家の八束公子、兄に国画会員写真作家の山岡登喜男、妹に皮工芸作家、エッセイストの坪山紗織がいる。 1953 年、南海放送の創立社員として勤務。1957 年マジックペンと水彩を組み合わせた風景画《デーモン(超自然力)》で第31 回国画会展に入選。写真部門で入選した兄・登喜男と兄弟同時入選、洋画部門唯一の水彩画 での入選として脚光を浴びる。(日本におけるマジックペンの発売開始は 1953 年 4 月のため、美術へ利用した 前例もあまりなかった)
他に入選歴は 1959 年マジック水彩画《ひまわり》で第33回国画会展《叫び》で独立展入選。1960 年布を切って貼るなどしたコラージュ水彩画《かも》が第34回国画会展に入選など。マジックペンと水彩だけでなく、サンドペーパーに不透明水彩を用いるなど、独自に画材や技巧の探求を続けた。 1958 年には子供向け美術教室『松山児童美術研究所』を開設し、子供ののびのびとした感性に刺激を受けなが ら、県内の美術教育にも貢献した。晩年は足摺岬の風景画を多数作画し、44 歳で没した。町立久万美術館に 5 点収蔵されている。
1992 年生まれ。29歳。千葉県出身。3・11 東日本大震災をきっかけに日本や海外を放浪。ブラジル日刊邦字紙「サンパウロ新聞」元社会部記者。愛媛県で画家だった母方の祖父・山岡得七の足跡を辿って愛媛県へ移住。久万高原町の山間で山野草を摘み、獣をさばき、猫と鶏に囲まれて暮らす。2018 年 10 月〜愛媛新聞コラム「四季録」を担当し、山岡得七の調査紀行文を発表。その一連の物語をとりめたドキュメンタリー『祖父のいる森』を初の単著として創風社出版より刊行予定。
また、山の生活で培った技術を活かして「万屋一空」という屋号で、便利屋業も営む。絵画、音楽、映像 の制作も行い、日々自身の両手両足でできることの研鑽に励む。
SNS ページ:インスタグラム(https://www.instagram.com/banri.ikkuu/)
出版費:60万円
リターン等にかかる費用:約20万円
クラウドファウンディングの手数料:約10万円
雑費、予備費:約9万円
既に出版社も出版作業に入っているため、もし目標金額に達成しなかった場合でも本は出版されます。そのため、一度ご支援いただいた方へのリターンは目標金額未達成でも履行されます。出版費用は私個人の借金になります。
【お礼の一筆入りのポストカード】
祖父の絵を印刷したポストカードにお礼のメッセージを一筆書いてお送りします。
【サイン入り本『祖父のいる森』】
河鰭万里が書いた本『祖父のいる森』に直筆サインを書いてお送りいたします。
【出版記念・飾り木画】
久万高原町産木材に、山岡得七の絵《皿ヶ嶺》と、絵にまつわる河鰭万里の言葉をレーザー加工機で彫刻いたしました。壁などに飾りやすい小さめのサイズです。(約13センチ×10センチ、制作協力・ikikinomon)
【澤田農園特選柑橘5キロセット】
愛媛の自然栽培柑橘のパイオニア、澤田農園の特選柑橘5キロセットです。もちろん無農薬、酵素や発酵肥料も手作りし、独自研究を重ねた澤田農園の今年イチオシ!の柑橘を5キロお届けします。気候により品種や発送時期を決定いたします。(発送元:澤田農園、愛媛県松山市正円寺2-11-10)
【河鰭万里による選書3冊権】
“物語は薬”という持論を持つ河鰭万里が、あなたのお悩みや気分などをメール等で伺い、あなたのための本を三冊選書いたします。人生が、変わる、かも。(※本を販売する権利の都合上、選書された本自体の購入はご本人にしていただきます)
【原稿執筆券】
私が実際に歩いて旅をしたどこかの街の景色や匂い、音、雰囲気などは、今も私の心の中に眠っています。ご希望を伺い、あなただけのために、この地球のどこかの町のことなどを散文調でつづります。(写真付き、4000字前後)
【「万屋一空」一日券】
河鰭万里が愛媛県で営んでいる便利屋業「万屋一空」の1日券です。両手両足でお役に立てるならなんでもいたします。お部屋の片付け、遺品整理、傾聴、人生相談、お引っ越し、草刈り、木の伐採、重たいものを運んでほしい、軽大工、建具、なんでも。どうぞ。無期限ご利用可能な1日券です。(※交通費や燃料費、機械使用費は別途ご負担いただきます)
【「万屋一空」六日券】
「万屋一空」の六日券です。こちらも無期限ご利用可能です。大掛かりな工事、片付けなども一気にできるかも。気前良く応援いただいた方へのご恩はこの両手両足で心を込めて返させていただきます。(※交通費や燃料費、機械使用費は別途ご負担いただきます)写真のキャプション
・2022年1月より順次リターン発送予定
・2022年3月発送完了予定(出版や発送の都合により遅れる可能性もありますのでご理解ください)
最後に
単に私自身の好奇心で始まった祖父山岡得七の調査でしたが、色々な人々の記憶や資料が伝える祖父の生き様の断片が集うことで、不思議なことに、見ず知らずの私が唯一祖父の一生を把握する生存者となってしまいました。この一冊が世に出なければ、祖父の一生はまた忘却の闇に消えていくのです。
それと同時に、この作品は、私なりに生きる意味を悩み抜いた20代という時間の総決算のような思いがしています。独学、独自技巧を駆使して美を探究し、表現し、その表現の仕方も教えるという信念に生きた祖父の一生から得た知恵は、単に私のルーツを探索したものでも、郷土美術史の一コマでもなく、歴史上類がないほど生き方を自由に選べる時代である、今、現在を生きる人々の心を支えてほしい、そう願う一冊です。
無名者の私が無鉄砲に100万円を集めようということ自体がいささか馬鹿げた挑戦かもしれません。しかし、時代に翻弄されながらも生き抜いた祖父の信念や、不思議な縁の連続で私の元に集まってきた人々の想い(談話を伺って既にに亡くなられてしまった方もいらっしゃいます)、そうした一人一人の念がどうか報われ、世の人の役に立つ形となるよう、お力添えのほど、どうかよろしくお願い申し上げます。
祖父のお墓(河鰭万里撮影)
1000 円
2000 円
5000 円
残り12枚
7000 円
8000 円
20000 円
30000 円
100000 円