学生生活について(監督:石橋夕帆)
vol. 23 2018-06-25 0
私は学校ですごく友達が多かったとも言えるし、少なかったとも言える。
矛盾しているようですがそんな学生生活でした。
多くの人がそうかとは思いますが、小学校6年間・中学3年間・高校3年間で計12年間もある時間の中で、人間関係やその時々の心境は変わっていくでしょう。
文面化すると本当にバカらしいですが、
小学生→地味
中1→引き続き地味(一応軽音楽部)
中2〜3→ギャルっぽい何か
高1〜3、大学2年→バンド活動
大学3年〜いま→自主映画制作
…といった感じでした。笑
簡単に言うと、地味だった頃にいわゆるハブられたりとか肩身の狭い思いをして
その防衛手段としてとりあえず派手っぽくなろうという単純な発想でした。(あと当時姉もギャルっぽかった影響)
中高一貫の私立の女子校に通っていたのですがその時のメンバーで大学2年までずっとバンド活動をしていました。意欲的に活動し始めたのは高校生になってからで、高1でバンドをやっていた時は根暗で無口でまぁ面倒くさいやつでした。
そんな風に自分の居場所が変わる度に自身の性格も周囲との関係性もごろごろと変わっていったので絶対にないですが、もしこんな人間が主人公の作品があったら人物設定がブレブレで人格がおかしいです。笑
楽しかった時もそうでなかった時も含め、常に教室に漂っていたあの空気はなんだったのだろうと今になって考えます。誰かがハブられてても、友達がいなくて1人でいる人がいても、黙認されるような空気。
『3月のライオン』という漫画で中学3年のひなちゃんという女の子がいじめにあってしまうパートがあるのですが、ひなちゃんがその心境について主人公にポツリポツリと語ります。
「何かクラスの中に見えない階級とかがあって、その階級にあわせて『どのくらい大きな声で笑っていい』とか『教室の中でどれくらい自由に楽しそうにふるまっていい』かが決められているみたいな…(中略)いつどうやって決まるの?誰が決めるの?私たちみんな同じただの中学生のはずなのに」
-『3月のライオン』(著・羽海野チカ/講談社より)
教室にあった空気の正体は、これでした。
教室の中に見えないルールがあって、誰もそれをおかしいとは言わない。
学校で教えられる社会性とか協調性の一貫にこれが含まれていたのでしょうか?
わからないです、未だに。
でも確かにあの空気はずっとありました。
どんなにいい学校でも、楽しいクラスでもきっと。
前述の通り「あの空気はおかしくないか?」という疑問符はありつつも、それを変えたいとかそんな気持ちは実はサラサラないんです。映画で世界を平和にしようとか、そんな大層な気持ちはなくて。
それはそれ、として、ただそこに在るものを描きたいです。
その中で「こういう気持ちを知っている人がいるなら、自分もここにいれるかもしれない」とか。この世界でただ普通に生きる人が少し息がしやすくなるような。
そんな風に思って頂けるような作品になればと願っています。
だから『左様なら』ではあの時間を、あの空気を、教室ごと描こうと思いました。
そんな息苦しさを抱えながらも、私にとってはあの時間が一番輝かしく代え難い大事な時間だったのだと思います。
だから青春映画が好きなんです。
監督・石橋 夕帆
映画『左様なら』プロジェクトページ:https://motion-gallery.net/projects/sayounara
映画『左様なら』プロモーション第一弾:https://youtu.be/kirNgPShxsE
映画『左様なら』プロモーション第二段:https://youtu.be/mewu4qV9nrA
映画『左様なら』プロモーション第三段:https://youtu.be/PshffpFGDUo
Twitter:@sayounara_film/Instagram:@sayounara_film