支援者への特典レポートを一部公開させていただきます!
vol. 1 2016-12-08 0
クラウドファンディングの特典である「フェスまでの道のりレポート」の1回目を公開させていただきます。
実際に支援していただいた方には画像付き、映像URL付きでお送りさせていただきます。
We are publishing "Road to Butoh festival report Vol.1" which is the return of crowdfunding.
We will send to the supporters with a pictures.
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舞踏フェスまでの道のり 1回目
Road to Butoh Festival Vol.1
「北海道の舞踏」
こんにちは、このたびはご支援ありがとうございます。
北海道コンテンポラリーダンス普及委員会の森嶋拓です。
このレポートでは、フェスまでの道のりをご報告していければと考えております。
Thank you for your support.
I am Hiroshi Morishima from Hokkaido Contemporary Dance Association.
We will report road to the Butoh festival.
まずは「なぜ舞踏のフェスティバルを開催しようと思ったか」ということをご説明させていただきます。
その為には北海道の舞踏の歴史を今一度おさらいすることから始めたいと思います。
私共は2012年より、北海道でコンテンポラリーダンス・舞踏を普及させるべく活動を開始しました。
北海道の舞踏シーンはもともと、1976年に北方舞踏派が小樽に拠点を構えたところから始まっています。
土方巽氏の直系の弟子であるビショップ山田さんや雪 雄子さんを中心に、海猫屋という場所で活動を開始されました。
First of all, I will explain from "Why do we think to hold a festival of Butoh?” and “How has the Butoh been performed in Hokkaido”.
Our association start to popularize Butoh and Contemporary dance from 2012.
The Butoh scene of Hokkaido started in 1976, when the Hoppou Butou Ha based in Otaru.
Tatsumi Hijikata’s disciple, Bishop Yamada, Yuko Yuki and several members emigrated to Otaru and start performance in the Uminekoya.
1974年、ビショップ山田さんが大駱駝艦を抜けた後、東京で舞踏塾を開催しその精鋭メンバー数人で、山形県出羽山麓に北上して結成された北方舞踏派。
その旗揚げ公演は1975年、舞踏史に残る歴史的な大作「塩首」でした。
翌76年、北方舞踏派はさらに北を目指して北上し、小樽に拠点を持ちました。
運河沿いの古いレンガ倉庫を自分たちの手で改装し、喫茶店兼劇場の「海猫屋」をオープン。
さらに80年には海猫屋の斜め向い側の古いビルを改装し、宿泊所付きの稽古場・総合劇場の「魚藍館」を開き本拠地とします。
In 1974, Bishop Yamada leave off Dairakudakan and start a Butoh school in Tokyo.
He has gone north in the Yamagata-ken Dewa mountain with several selection members and organized Hoppu Butou Ha.
There first perofromance “Shiokubi” (1975) is the historical masterpiece left in butoh history.
In next 1976, Hoppou Butou Ha aiming at the north and had a base in Otaru,Hokkaido.
They renovated an old brick warehouse and named it “Uminekoya”, run as a coffee shop and a theater.
In 1980, they also renovated old building near the Uminekoya, it was place for training, lodging and performance which named “Gyorankan”.
ビショップ山田さんを中心に雪 雄子さん、小島 一郎さん、竹之内 淳志さんなどが所属し、北海道内で各界の芸術家や文化人や若者達を巻き込みながら、舞踏の一代を築き上げました。
北方舞踏派内では雪 雄子さんをリーダーに女性だけのメンバーを集めた「鈴欄党」が海猫屋を拠点に活動もしていました。
1982年に北方舞踏派は、道内での活動の総決算として道新ホールで「月下の畝」を上演し、その後再び東京へと拠点を移します。
83年の全国ツアーより田仲ハルさんが当時19才で参加しました。
1984年の公演「鷹ざしき」以降はメンバーが分散していき、北方舞踏派としての活動が見られなくなっていきました。
Bishop Yamada, Yuko Yuki, Ichiro Ojima, Atsushi Takenouchi and more dancers belonged to Hoppou Butoh Ha, Yuko Yuki was also a leader of female Butoh group “Suzuran Tou”.
Hoppou Butoh Ha involved many artists, celebrities and young people, built a one generation of Butoh.
In 1982, Hoppou Butoh Ha performed “Gekka no une” in Doshin Cultural Hall.
They return to Tokyo after the performance.
Hal Tanaka start his career with Hoppou Butoh Ha from 1983.
After the performance “Takazashiki” in 1984, they stop performance as a Hoppou Butoh Ha.
一方、北方舞踏派から独立し小樽に残った小島 一郎さんが1986年に「古舞族アルタイ」を立ち上げ、魚藍館を万象館と改名し田仲ハルさんらが参加、新たな舞踏カンパニーとして道内で1994年ごろまで活動します。
その後は古舞族アルタイより派生した森田一踏さんと、竹内実花さんによる「偶成天」が1996年頃より北海道をベースに活動をはじめます。
小島一郎さんの初期の弟子である秦かのこさんは、北海道から台湾へ拠点を移し「黄蝶南天舞踏團」を結成し、現在も台湾で精力的に活動をしています。
2006年には田仲ハルさんが21年ぶりに舞踏活動を再開しました。
2012年にはCONTE-SAPPORO Dance Centerがオープンし、定期的な舞踏のワークショップ・イベントや公演が頻繁に開催され、国内のみならず海外からも多くの舞踏家や舞踏ファンが訪れる機会が増えました。
Ichiro Ojima didn’t return to Tokyo, he made a new Butoh company ”Kobuzoku Altai ” with Hal Tanaka and several members.
Renamed Gyorankan to the “Bansyokan”, performed Butoh until 1994 in Hokkaido.
Itto Morita from Kobuzoku Altai and Mika Takeuchi made a new Butoh company ”Goo SayTen” and start performance from 1996.
Kanoko Hata from Kobuzoku Altai emigrated to Taiwan and organized Butoh company “Kochou Nanten Butoh Dan”, she is still dancing even now.
In 2006, Hal Tanaka restart his Butoh career for the first time in 21 years.
CONTE-SAPPORO Dance Center has opened in 2012, many opportunities increased for Butoh dancers and Butoh fans.
北海道の舞踏の特徴としては、舞踏の創始者である土方巽さんの影響が強いということがあるかと感じています。
舞踏は土方巽さんと大野一雄さんの二人のカリスマのもとで開花しましたが、両者のスタイルや方向性は異なるため、舞踏は一極に偏らず様々なスタイルが生れていきました。
北方舞踏派は土方さんの踊りやメソッドに基本的に忠実ですが、土方さんの踊りの原点ともいえる「北国の踊り」を、さらに独自の解釈で追及していたように思います。
迫力のある群舞の他に、当時の舞踏家達がキャバレーショーなどでオハコにしていた男女によるアクロバティックな動きなども、公演に取り入れるようになったのが印象的です。
特にアクロバティックな動きはリフトやアダジオと呼ばれ、古舞族アルタイや偶成天、田仲ハルさんの踊りにも引き継がれているように思います。
Hokkaido Butoh scene affected Tatsumi Hijikata who is a Butoh originator.
Butoh developed with the charisma of two people, Tatsumi Hijikata and Kazuo Ohno.
Their Butoh style was different, so Butoh doesn’t inclined to one side, separate to several Butoh styles.
Hoppou Butoh Ha was a faithful to Hijikata’s style and method.
They investigate “Dance of Northern Japan” which is the roots of Tatsumi Hijikata’s Butoh style.
Hoppou Butoh Ha made impressive unison, and acrobatic lift by pair of man and women that was act in Cabaret Show.
This acrobatic move is called lift or adagio, taken over to Kobuzoku Altai, GooSayTen and Hal Tanaka.
次回はフェスティバル開催までの私たちのこれまでの活動を振り返ります。
フェスティバルの準備は着々と進んでおります。
11月中旬にホームページが完成し、昨日フライヤー(チラシ)が届きました。
これを日本全国に郵送します。
札幌市内はポスターができるのを待って、ポスターと一緒に設置させてもらいます。
12月からクラウドファンディングもスタートしました。
メディア向けのプレスリリースは1回行いまして、この後国内外に1回ずつ配信予定です。
FACEBOOKページでは海外からも頻繁にアクセスがきています。
本番までに1,000いいね!を目指していきたいです(現状は300強でしょうか)
Next time, we will look back our activities.
Festival preparation is going well.
Website has open, fryer and poster come in a few days, crowdfunding was started.
舞踏に大きな流れを呼べるのか、日本最北からどこまでできるのか。
大いなる挑戦にご期待ください。
Can we make a movement? What can we do from north of Japan?
Please expect our big challenge.
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クラウドファンディング特設ページ/crowdfunding web site
https://motion-gallery.net/projects/sapporo-butoh-fes
Official web site
http://sapporo-butoh.com/
Facebook Page
https://www.facebook.com/sapporobutohfestival/
Twitter
https://twitter.com/butoh_north_sap
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