『三里塚に生きる』をめぐる講義記録
vol. 3 2014-10-08 0
10月3日(金)19時から映画美学校で、美学校生とメディア関係者を対象に、映画『三里塚に生きる』試写会&特別講義を行いました。登壇者は『三里塚に生きる』監督の大津幸四郎と代島治彦、そして特別ゲストの写真家・北井一夫。北井さんは、1968年から72年まで三里塚の空港反対闘争を撮影し、その写真シリーズで日本写真家協会新人賞を受賞。今度の『三里塚に生きる』では元反対同盟の人々の友人として、映画に登場します。
代島を司会に、当時の反対運動を知る大津さん、北井さんの昔話といまの話が交錯し、とても貴重な証言や批評がギュッと凝縮した座談会になりました。話は故・小川紳介監督が率いた小川プロの回顧談からドキュメンタリー撮影論、映像と写真の比較論へと展開し、映画を勉強する学生が最後まで(21時30分からはじまった講義の終了は23時になってました!)熱心に耳を傾ける姿が印象的でした。
今回は『三里塚に生きる』をめぐる講義記録のダイジェスト版を掲載します。
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左から北井一夫、大津幸四郎、代島治彦
代島:大津さんは、なぜもう一度三里塚を訪ねようと思ったのですか?
大津:もう一度三里塚に帰ろうかと思ったのは、4年くらい前に『日本解放戦線・三里塚の夏』のDVDブックを作るということで、その解説なんかをするのにジッと見直していると、この時こんなに勇ましくて、生き生きとして輝いていた人達、今どうしているのかな、歳はとっただろうな、今も輝いているのかな、ということが気になり始めたんです。
自分が三里塚の人達に受け入れられるかどうかわからない、彼らがもっとも生き生きとして反対運動をやった時代のことをどう見ているかを聞きたかったけど、そんな怖いことは聞けないわけです。だから、この作品はどこからどういうふうに作るか、というのはまったくないんです。変なものを持ち出してきたら、たちまち拒否されると思ったし、そうなったら二度と会えないということで、完全に素手で入ろう、と。これが『三里塚に生きる』にとって大きかったと思います。こういう目的、こういう方向からということはまったく考えない。とにかく今の生活の中で何を考えているのかなというところから入ってみよう、ということだったんです。問題を出していくという考え方はまったくないわけですね。すべてを撮ってみて、そこから考えてみようということでした。そうしたら、予想しなかったいろいろなことが見えてきた、ということで、これは50年間近い人びとの人生を撮るんだ、それから現在を生きるということを撮るんだ、ということが決まってきたのが、撮影に入って1年近く経ってからでした。
代島:この映画は10人と2人の死者が出てきて、あとは北井さんが出てきて、特別な主人公はいないんですが、編集にかかるまで僕もどういう映画になっていくのか、ちょっと途方にくれていたところがありました。三ノ宮文男さん、大木よねさんという死者の扱い方をどうするか、そのうちに他の人達の心の中に生きている死者の魂ということをすくいあげていって人生を描いていこうとだんだん固まってきたんです。北井さんに最初に見ていただいた時に、よく覚えているんだけど、「今時珍しいリアリティがあるよ、この映画は」と言ってくれたんですよ。あれですごく自信がつきました。
北井:最初に見せてもらって、大津さんのキャメラが新鮮だな、というのがけっこうびっくりしたんですよね。映画の中では『三里塚の夏』で大津さんが撮ったモノクロの映像も出てきますよね。ちょっと奇妙な感じがして見てましたけど、あの時の映像よりも今の方が何か新鮮な感じがして、面白いなと思いました。
大津:さっきの話を補足しますと、こういう風にインタビューしようということはまったくないわけです。言葉に頼るインタビューはしないで、表情で、「画」でしゃべれるインタビューをしたいな、と。僕は相手に話しかけるということはしないで、自分の中で悩むんですよね。「こう撮ろう」ということはまずなくて、彼らたちの生活、農作業、そういうものから私がいったい何を撮れるのかな、と。それらの「厚み」というものをどれだけ撮れるのか。そういう意味では、人間を撮りたいということですね。そこには『三里塚の夏』の反省もあったんですよね。
北井:(闘争の)当時、僕は日大のバリケード内で『三里塚の夏』を見たんですけど、その時に逮捕される大津さんを通して「ああ、カメラ自体も闘うっていうことがあるんだ」と大きな衝撃と刺激を受けたんですよ。
代島:今回はほとんど大津さんと二人きりだったでしょ、大津さんはほとんど何も言いませんでしたね。明日何やる、今度はこの人に会いにいこう、みたいなことはしゃべりますけど。なんか不思議にあまりしゃべることがなくて、大津さんはこの映画について今いちばんしゃべってますよ。ああそうだったの、って僕も今やっと理解していますよ(笑)。
大津:なんかね、本当にあまりしゃべることがなくて、明日は明日の風が吹く。その場に行かないと、その時の風の起こりようによって、目の前の人も変わってくるわけですよ。その変化が出てくればまた面白いというか、変わり目を見ていく。
代島:大津さんが、もう三里塚の闘争やあの時代を全部描こうとしても無理なんだ、だから今出会っていることを描けばいいんだ、って言ったんですよね。それはホッとしましたね。俺たちが出会った三里塚しかどうせ描けないんだから、それを描こうよ、と。
《客席の感想》
観客A:北井さんが「大津さんの最後の仕事」って言いましたが、最後にはしないでください(笑)。僕は三里塚の第一次強制執行の時に教員になったばかりだったんですけど、それから50年近く経って、それで数年前に福島菊次郎さんの写真展があって、それを見たら(三里塚で撮られた写真に)自分も写っていて、嬉しくなって会場整理の若い女性に「これ僕です」って言ったんです。そしたら「これは何の写真ですか」って言うから、これは三里塚の飛行場の反対闘争があった時のものだって言ったら、「そんなことがあったんですか」っていう感じだったんですね。それで考えてみたら、あの時代からもう50年近く経っているんで、自分自身はどんなふうにこの50年やってきたのかな、と考えながら見させていただきました。この映画に写っている方々も、それぞれいろんな50年があると思うんだけど、僕たちの方にもそれはあって、もう70歳になる自分の世代にとっても、この映画はすごく刺激的だと思います。ぜひその世代にも見に来てほしい。
観客B:とても良い映画でした。わたしの知り合いにできるだけ見てもらいたいな、と思いました。三里塚の今まで見た映画の中では、人間がかなしいというか、かなしい存在だよね、っていう厚みが撮る側がニュートラルなもんだから、非常によくわかったなと思って。それで、今の時代の風潮から言うと、なぜこの人たちが闘ったのかっていうことが分かんない映画ではあると思うんです。そこまではなかなか射程が難しいかなと思いますけど、でも一緒に話をしたりする若い人たちには見せたいな、と思う映画でした。
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『三里塚に生きる』監督 代島治彦