【運命の翻訳を探す旅】戯曲同好会⑦シェイクスピアを読もう・後編【そこは新たな沼】
vol. 47 2020-04-25 0
こんにちは。笠浦です。
今回はシェイクスピアの翻訳について触れていきたいと思います。
私は18歳のとき一瞬だけ深刻な「原文至上主義」にはまりまして、一時は「翻訳を読むのはにわか」という差別思想を持つまでにこじらせていました。というわけでコツコツロシア語を勉強し、晴れて一年後、イケる気がしてドストエフスキーを手に取りました。結果、「こんなものが読めるか!!!」とブチ切れて、私の原文至上主義者時代は19歳の冬に幕を閉じたのでした。(一応、当時の私をフォローすると、ドストエフスキーはかなりの悪文で知られています。対して、同じロシア語でも簡潔・平易で名高いチェーホフならぎりぎり初学者でも取り組めます)
でもその時に思ったのです。翻訳家ってすごいんだなって。ドストエフスキーの翻訳もたくさん出てますけど、翻訳ごとに全体の長さも全然違っていて、それって翻訳家さんが(この悪文をなんとか日本語として仕上げるために)試行錯誤した結果だったんだなあと知ったわけです。
考えてみれば『論語』だって『ファウスト』だって『千夜一夜物語』だって、翻訳があるから私たちも読むことができます。もし原文至上主義を貫いたまま世界文学に触れようと思ったら、名だたる名作の序文も読めない間に、人生そのものが終わるでしょう。
翻訳家さんたち、ありがとう。みなさんのおかげで世界の本が読めます。こうして翻訳にリスペクトを抱いた私が踏み出したのは「あなたについていきたい」と思える翻訳家を探す長くけわしい旅なのでした。
たとえば、シェイクスピアの訳っていうのは、まじで、山のようにあります。河合祥一郎氏は自身の訳書『ハムレット』のあとがきにて、いかに翻訳がたくさんあるかの証拠として、
To be, or not to be; that is the question:
という名セリフの日本語訳を40種類も引用しています。(すごい)
河合先生はシェイクスピア研究ではいま最もトレンドというか、新訳だし、上演想定の訳だし、脚注も充実していてとても読みやすいと思います。あまたある翻訳のなかで何が良いかは、用途(研究目的か、原文読解の補助とするかなど)にもよりますし、最終的には相性というか運命なので、以下では私がシェイクスピアに関しては運命の人認定している、小田島雄志先生の翻訳をいくつかご紹介したいと思います!
※※※下ネタ注意※※※
まずは『ロミオとジュリエット』1幕1場の原文をご覧ください。サムソンとグレゴリーはキャピュレットの下っ端。モンタギューのやつらが来たら、男も女もやっつけてやるぜ!みたいなことをいってたら、案の定モンタギューのやつがやってくる、というところです。
GREGORY They must take it in sense that feel it.
SAMSON Me they shall feel while I am able to stand, and 'tis known I am a pretty piece of flesh .
GREGORY 'Tis well thou art not fish; if thou hadst, thou hadst been poor john. Drew the tool, here comes two of the house of the Montague.
私の言いたいことを伝えるためではあるんですけど、引用箇所がめっちゃ下品です。一応、言ってる気持ち?に近い訳だとこれかなあと思います。
【大場健治訳】
グレゴリー そりゃぶち込まれたら感じるだろうな。
サムソン 感じる感じる。なにしろいきりたった業物だ。おれのはでっけえって評判なんだ。
グレゴリー でっけえだけでぺこぺこお辞儀ばっかりじゃねえのか。おい、抜け、業物の出番だ、モンタギューの奴らがきたぞ。
そうですね……。まあ何ていうのか、ずっと男性器に関わる話をしてるんです。言葉遊びがどうなってんのか、もう少し逐語的に訳すと以下みたいな感じ。
【平井正穂訳】
グレゴリ 女たちの取り方だがな、さぞ痛い感じだろうな。
サムソン そうさ、俺が立ってるあいだは女たちもさぞ痛がるだろうよ。何しろ俺って男は相当立派な男〈フレッシュ〉だって定評があるからな。
グレゴリ なるほど。女〈フィッシュ〉でなくってよかったよ。魚〈フィッシュ〉だったらさしずめ乾した塩鱈ってところかな。おい、お前のしろものを、さっさと、抜くんだ。見ろ、モンタギューの家のやつが二人もやってきたんだ。
うん……。あの、敵方でも男と女のやっつけ方は違うんだぞっていう。
つまり、言葉遊びとしては、
- flesh(肉。肉体、肉欲)とfishをかけてる
- そのfishの連想でpoor johnを導いている。poor johnっていうのは、日本人にはあまりなじみがないんですけど、塩だら(タラの塩漬け)です。ここでは文脈上、日本人が言うところの、あーーーなんだろ、松茸……?っていうか、まあそれよりはもうちょっと粗末なもので……、いやこの説明はこれくらいでいいですよね?
- Drew the toolっていう、まあこれもシェイクスピアお得意のpenis jokeっていうか。「このイメージの二重性をもって、性と暴力の重なり合いを表現しているのだ」とか言われたりもしますけど、そんなたいそうなことだろうか。
説明が歯切れ悪くてすみません。
そもそも、シェイクスピア戯曲けっこうきわどいセリフ、下劣な冗談が出てくるんですが、『ロミオとジュリエット』が特に下ネタ多めです。これ訳出がすごく難しいのわかっていただけますでしょうか。平井訳はかなり逐語的にしてくれてるので、原文の意味はとりやすいですがこのまま上演できるかっていうと、もうちょっとなんとかしたい感じがありますよね。でもこれどうしたらいいんだろう。
坪内逍遥の訳を見てみましょう。
【坪内逍遥訳】
グレ それは先方〈あひて〉の感じ方次第じゃ
サン はて、身に沁々〈しみ〜〉と感じようわい、俺も隨分と評判の女たらしぢゃに依って。
グレ へん、魚でなうて幸福〈しあわせ〉ぢゃわい、汝〈おぬし〉が魚なら、女たらしでは無うて總菜〈そうざい〉の鹽大口魚〈しほだら〉と來てけつからう…(一方を見て)抜けよ(剣を)モンタギューの奴等が來たわい。
けっこう頑張ってると思いませんか!サムソンのセリフを女たらしというワードに落とし込むことで塩だらを導くのは、なかなかうまいですよね!その塩だらが褒めてない意味だっていうのもちゃんと伝わりますし。まあ文句つけるとするなら、flesh→fish→poor johnの言葉遊びの流れをいきなりflesh→poor johnに直につないでる感がありますが、だからといってこの三つの連想を日本語でこれ以上表現するの不可能ではって思うんです。
この難しさを知っていただいたところで、改めて、我らが小田島先生の訳を見てみましょう!刮目せよ!!
【小田島雄志訳】
グレゴリ 遊ぶのが好きなのは女の方だろうぜ。
サムソン 俺が寝転ばせて喜ばせてやらあな、俺の道具がおっ立てば馬にも負けん。
グレゴリ 馬ならうまかろう、魚なら塩鱈よろしくダラリじゃまずかろうがね。おい、道具を抜け、モンタギューのやつが二人くるぞ。
おわかりいただけましたでしょうか……。
やばくないですか????何がやばいって、「馬」ってなんだよ!出てきてないでしょ馬は!原文に!一言も!!!!「馬ならうまかろう」って、マジでなんなんだよ!!!!
「と ら わ れ な い」
それが私の思う小田島訳の最大の魅力なのであります。
馬の件は置いといて、細かく見ていくと、塩だらにもダラリという形容をつけてダジャレにして、Drew the toolもpenis joke踏まえた訳出をしてます。あと、I am able to standの「立つ」のが云々って文脈に、まったく逆の意味の「寝転ばせて」って足してるのも攻めてますね……!
翻訳に完全な正解はありません。
小田島訳ではとくにダジャレについて原文通りの言葉ではないことが多々あり、というか原文には影も形もない言葉がしばしばみられ、もうクリエイティブの領域にはいっているのではと思ったりもします。例えばこんな感じ。
ROMEO Good morrow to you both. What counterfeit did I give
you?
MERCUTIO The slip, sir, the slip. Can you not conceive?
【小田島訳】
ロミオ やあ、おはよう、両君。ゆうべ何か食わせったっけな。
マーキューシオ 置いてきぼりという木彫りの皿で、いっぱい食わせたじゃないか。
小田島翻訳は「そこにギャグがあったという事実」について尊重するのであり、ちょっと原文の意味から離れたとしても「結果的なギャグの量」を同じにしてくる、なんだったらちょっと足してくるんですね。そこが私にとってツボなのです。
もうちょっと『ロミオとジュリエット』をつかって、小田島訳を紹介します。
ROMEO (前略)Under love's heavy burden do I sink.
MERCUTIOAnd, to sink in it, should you burden love—
Too great oppression for a tender thing.
ROMEOIs love a tender thing? It is too rough,
Too rude, too boist'rous, and it pricks like thorn.
MERCUTIO If love be rough with you, be rough with love.
Prick love for pricking, and you beat love down.
【小田島訳】
ロミオ 恋の重荷におれはひたすら沈むばかりだ。
マーキューシオ きみが沈めば下でささえるほうはたいへんだ。
かよわい恋の乙女には重過ぎる重荷だろうぜ。
ロミオ かよわい恋だと? 恋ははげしいものだぜ。
残酷非情、いばらのように人を刺す。
マーキューシオ むこうがはげしいならこっちもはげしくしてやればいい。
刺すというなら刺しつらぬけ、むこうがやぶれる。
マーキューシオ、ロマンチストで私は好きですね。しかし、愛のとげに刺されるのではなく愛を刺せっていうPrick love for prickingはセクシャルな意味で間違いはないと思うんですけど、「むこうがやぶれる」までいくと踏み込んでんなあって思いますね。
こんな引用ばかりであれなんですけど、私、下ネタが苦手なんですよ。だからちゃんとふりきってくれないと、すごく恥ずかしくなっちゃうんですね。結果的に、下ネタ含めたギャグの振り切れ方がシェイクスピア翻訳に関し私が一番重視している点なのです。
続きまして、私が『ロミオとジュリエット』のなかで一番好きなキャラであり、下ネタ番長の、乳母の登場シーンを見てみましょう。
LADY CAPULETNurse, where's my daughter? Call her forth to me.
NURSE Now, by my maidenhead at twelve year old, I bade
her come. What, lamb! what ladybird! God forbid!
Where's this girl? What, Juliet!
【小田島訳】
キャピュレット夫人 ばあや、娘はどこ? ここに呼んできておくれ。
乳母 まあ、私の処女にかけて、といっても十二のときですがね、
さきほどお呼びしたのに。子羊さあん! テントウムシさあん!
虫がついてはいけなかったわ。どこでしょう、ジュリエットさまあ!
開口一番、飛ばしてます。God forbid!は「ありえない、(そんなことが)ありませんように」くらいのやつですが、てんとうむし踏まえて「虫がついてはいけなかったわ」って、こなれた訳!
乳母ちゃん、ずーっと下ネタ言ってます。キャピュレット夫人が大事な話しようとしてるのに、ジュリエットの幼いころの話を延々します。
LADY CAPULETEnough of this. I pray thee hold thy peace.
NURSEYes, madam. Yet I cannot choose but laugh
To think it should leave crying and say ‘Ay.’
And yet, I warrant, it had upon it brow
A bump as big as a young cock'rel's stone;
A perilous knock; and it cried bitterly.
Yea,’ quoth my husband, ‘fall'st upon thy face?
Thou wilt fall backward when thou comest to age
Wilt thou not, Jule?’ It stinted, and said ‘Ay.’
【小田島訳】
キャピュレット夫人 その話はたくさん、お願いだから黙っていておくれ。
乳母 はい、はい。でもこれが笑わずにいられますでしょうか。
お嬢様が泣き止んで「ウン」ですからねえ。
でも、ホントですよ、お嬢様のオデコに、
ヒヨコのおちんちんほどのこぶができて、
あぶなかったことったら、ひどくお泣きになって。
主人が申したんですよ、「うつぶせにおころびですかい。
年ごろになったらあおむけにころぶんですよ、
いいですか、ジュール?」すると泣きやんで「ウン」
うるさいし下品(笑)
キャピュレット夫人はパリスとの結婚をジュリエットにすすめますが、ここも懲りずに口はさんできます。
LADY CAPULET(前略) So shall you share all that he doth possess,
By having him making yourself no less.
NURSENo less? Nay, bigger! Women grow by men.
短いし、意味もとれなくはないですが、これも翻訳困難、小田島訳ではこんな感じ。
【小田島訳】
キャピュレット夫人 おまえもあの方を夫にもつこと、あのかたのもつ
いっさいがおまえのもの、おまえはなにも失わずにだよ。
乳母 失うどころかもうけますよ。女は男で子をもうけます。
この乳母がちゃんとかわいくてうるさいかどうかが『ロミオとジュリエット』翻訳を選ぶうえでの私の基準ですね。訳って、キャラクターの印象を大きく左右するんですよ。もちろんなにが良い悪いではないですけど。長くなっちゃってるんですが、一緒に『ハムレット』の河合訳と小田島訳の比較だけ見てもらえますか?
ハムレットが気が狂ったふりしてとぼけた返事をするところ。
POLONIUSWhat do you read, my lord?
HAMLET Words, words, words.
POLONIUS What is the matter, my lord?
HAMLETBetween who?
POLONIUSI mean, the matter that you read, my lord.
【河合祥一郎訳】
ポローニアス 何をお読みですか、殿下。
ハムレット 言葉、言葉、言葉だ。
ポローニアス 中にはどんな?
ハムレット 誰と誰の仲だ。
ポローニアス 読んでいらっしゃる本の中身のことです。
適訳だし、無駄がないし、かっこいい。河合訳は野村萬斎主演で上演するための訳ですし、だからかわかんないんですけど、全体的にすごくイケメンみがあるんですよね。じゃあ、同じところ、一方の小田島訳では。
【小田島訳】
ポローニアス ハムレットさま、何をお読みで?
ハムレット ことば、ことば、ことば。
ポローニアス いえ、その内容で?
ハムレット ないよう? おれにはあるように思えるが。
ポローニアス つまりその、お読みになっている事柄のことですが?
内容がないよう……。なんてくだらない……。まあここ好きなんですけど。小田島訳、ひらがなが多いこともあり、こころもち、ハムレットのイケメン度が下がってる気がします。
どんなハムレットが好きか、というのは人それぞれであります。翻訳は、文学の好みが趣味であるのと同様、趣味の問題です。そして作家や画家に運命を感じることがあるように、翻訳家に運命を感じることもあります。みなさんにもぜひ運命の糸をたどって旅をしていただきたいです。
ずいぶん前に読んだ本でも、翻訳が違えばまた新しく楽しめますし、翻訳の違いをかみしめながら読むのも一興です。ただ、「あ、新訳でたんだ、買わなきゃ(使命感)」ってなっちゃうので、お財布にとってはむしろ「原文至上主義」よりも危険な旅です。
なによりもこの旅が果てしないのは、運命の翻訳者が、まだ世に出てきていない可能性もあるということなのです。冒頭にて、河合祥一郎氏が40例にわたって紹介した
To be, or not to be; that is the question:
ですが、これ河合先生が何をいいたいかというと、あまりにも有名な訳「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」で訳した人は実はいないんだ、ってことなんです。「これまで最も人口に膾炙してきた訳といえば、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」であろう。ところが調べてみると、この表現は、どの翻訳でも使われたことがないのである。」とのこと。というわけで、河合訳では「生きるべきか、死ぬべきか」がはじめて採用されるに至ったのですね。こういうことがあるのが、翻訳って面白いなって思います。
最高に適した翻訳とはなんなのか、そればあなた次第であり、時代次第でもあります。いまこの瞬間にも若き翻訳者は誕生しており、翻訳は新しくなっていきます。日本語自体が変わっていくなかで、ずっと同じ訳でいいわけもないのです。新作への注目と同じくらい、新訳へも注目していきたいですね。
クラウドファンディングはまもなく終了いたします。支援いただいたたくさんの方に深く感謝しております。演劇界にどんな素晴らしい名作がかつてあったにしろ、今あるいは未来に、作り続けるひとはやっぱり一番尊い存在だと思います。演劇の歴史を刷新していく若手劇団に、一層の応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。