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日本人が忘れつつある米と味噌の可能性、そして農村の未来について伝える活動「米と味噌」をクラウドファンディングで実現!
有機栽培の米づくりを継続可能なビジネスとして成立させ、自分達で育てたこだわりの米と大豆を活かし、日本人が忘れつつある「米と味噌」の可能性、そして農村の未来について伝える活動をはじめます。
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温故知新な未来へ。食に関する価値の転換を目指す「米と味噌」プロジェクトはじめます。
有機栽培の米づくりを継続可能なビジネスとして成立させ、自分達で育てたこだわりの米と大豆を活かし、日本人が忘れつつある「米と味噌」の可能性、そして農村の未来について伝える活動をはじめます。
このプロジェクトでは、有機栽培の米づくりを継続可能なビジネスとして成立させ、数多くのマイクロファーマーが有機米づくりに関われる拠点づくりを行います。また、自分達で育てたこだわりの米と大豆を活かし、日本人が忘れつつある「米と味噌」の可能性について伝える活動を始めます。リターンはこれからつくる米と味噌。僕たちが神戸市北区の農村に構えた拠点にも招待して、消費者であるみなさんにとっても農村が、農業が、リアルに身近な存在となることも目指します。スローガンは「Respect the Roots, Grow the New Future」。応援よろしくお願いします!
この春、農業合同会社 緑青舎を立ち上げた富澤希望(トミー・代表)と小泉寛明(ヒロ・筆者)、森本聖子(しょうこ)です。昨夏の4ヶ月間、訳あってトミーとヒロは、農業活動の拠点として使っている神戸市北区淡河町の家で家族も一緒に一時的に共同生活をしました。そのときに、互いの近況や想いを話すうちに意気投合し、有機栽培を軸とする米と味噌の生産を行うことを目的とした法人を立ち上げることに。その後、しょうこもジョインしてメンバーは3名となったのですが、この新たな法人のメンバーの背景、夢やリアルな活動、そんな話にしばしお付き合いいただけますと幸いです。
トミーは東京生まれ、実家は浅草の老舗寿司屋でバリバリの東京人。仕事の都合でやってきた神戸が気に入ってそのまま居つき、フリーのコーヒーバリスタとして活動を開始していました。そんな2015年頃、EAT LOCAL KOBE FARMERS MARKET(社会実験時)に参加した時に、僕たちは知り合いました。2018年からはヒロが経営するFARMSTANDという店のマネージャーとして立ち上げに携わり、そうこうするうちに農家という職業に魅了され、さらに農村(神戸市北区淡河町)の心地よさにはまってしまい農家研修をスタート。その後5年が経過した今、いよいよ新規就農者として独立するタイミングがきました。
法人代表のトミー。淡河町にある自身の畑にて。
僕(ヒロ)はあちこちに50回引っ越しをしながら、海外や東京での都市開発という経験を経て、2010年より神戸に定住。独立して始めた神戸R不動産、EAT LOCAL KOBE(詳しくは各ウェブサイトをご覧ください)などを行う活動家とビジネスマンの間のようなタイプです。トミーと同じく農村のよさに魅了され、近年は米にも興味を持つようになりました。昨年は神戸市西区の陽だまり農園にて米づくりの研修をし、現在は新規就農を目指しています。
しょうこは大阪のど真ん中にある旅行代理店で働くことから一転、14年前に野菜農家として就農し、同じく神戸市北区淡河町に暮らしています。ヒロから誘われてマイクロファーマーズスクールという農業を生業の一部に取り入れたい人(マイクロファーマーと呼んでいる)を育てる農業スクールのメイン講師をして今年で6年目。村がどんどん高齢化していくのを垣間見ていたし、自身が就農する際に苦労したため、新しく都会から入ってくる後輩農家に不必要な苦労はさせたくないとも思っていました。それぞれ東京や大阪での都会生活から農への転身組ですが、3人の中では一番早く淡河町に定着したパイオニアです。
マイクロファーマーズスクールでレクチャーするしょうこ。
僕たちが有機米の生産を意識しはじめるようになったのは、有機農業運動を長年やってこられた保田茂先生(神戸大学名誉教授農学博士・恩師として勝手に慕っている)の影響が大きくありました。「有機」とはそもそも何か、農薬や化学肥料の人や環境への影響、土から野菜や人ができていること、土壌や栄養のこと、生物多様性、有機農業が導く経済、未来のカーボンニュートラル社会など、歴史から紐解いた未来の展望まで幅広いジャンルで明確なビジョンを示してくださいます。その中で、これからの日本において最も鍵を握るのが有機米を広げていくことだと僕たちは確信しました。
恩師・保田茂先生の話は常に刺激的で心を揺さぶられる。
特に印象的だった話は、日本の1人あたりの米の消費量が戦前の3分の1になったということ。代わりに、肉、油、乳製品を食べる量が大幅に増えました。その背景には、太平洋戦争敗戦後の日本とアメリカの通商貿易交渉が大きく関わっているといいます(今でもその構図はあまり変わっていない)。戦前までは朝昼晩とごはんを食べるのがほとんどの日本人の食生活でした。しかし戦争が終わり、焦土化した日本は大変な食糧難を迎え、困った日本政府はアメリカに頼りましたが、支援されたのはパンの材料となる小麦と脱脂粉乳でした。当時の日本には大変ありがたいものだった一方で、以降はパンと牛乳が学校の給食で出されるのが当たり前になり、肉や油などの洋食化が進み、米の消費量は大幅に減ることになりました。これにより食料は輸入に依存するという体質になった挙句に、国防に不可欠な食料自給率も大幅ダウン。日本の主食を守ることを忘れ、手軽な欧米スタイルに慣れてしまった結果ですが、その見本となった欧米の先進国は自らの主食を大切に守っているという現実があります。
約60年で1人1日あたりの米を食べる量は半分以下に。かわりに乳製品と肉類が急激に伸びた。食の欧米化というやつだ。出典。
味噌については、ひょんなことからヒロが知り合ったオランダ人アーティスト、アルネ・ヘンドリックス氏の考えからお話しします。彼は、味噌をつくるということは、近年、世の中で議論されている脱資本主義論のようなこれからの社会のあり方を体現することができる行為だとも言っています。ではなぜオランダ人が味噌に興味を持ったのでしょうか。
先日、ヒロはアルネと一緒に大阪万博のオランダパビリオンで味噌をテーマとした話をする機会を頂いた。ここでも米と味噌プロジェクトのスタートを発表。
彼の主張は、私たちの身体を小さくすることで、より明るい未来が築けるのではないか?というものです。人の身長は過去100年間の間に20センチ程度伸びているのだとか。それによって家や家具、飛行機の座席も大きくなり、より多くの食料やエネルギーが必要になりました。つまり身体が大きくなることによって、環境負荷も増えているということです。では、逆の発想で考えてみましょう。もし身体が小さくなり、食べるものが少なくなり、家具も小さくなれば、必要なエネルギーは減り、環境負荷も減ります。つまり「縮小することは悪いことではない」ということです。恐竜は進化の末に、身体が大きくなりすぎて絶滅したという説もありますが、その生き残りの一部が鳥として現代にも存在しています。ひょっとしたら人類も「小さくなる」ことを希望すれば、僕たちにも「小さくなる進化」という可能性が生まれる未来があるのかもしれない。これがアルネからの提案です。
バスケットボール選手のシャキール・オニールが210センチ約150キロ。ただ身長が150センチになれば体重は約50キロに。身長が小さくなれば加速度的に体積は小さくなる。
彼はその一つの象徴として「味噌」の話をしてくれます。オランダは、ヨーロッパの文化を世界中に広めた国だと言われており、酪農や畜産を世界に広めた国だとも言われています。そんなオランダ商人は江戸時代、長崎の出島に出入りしており、味噌が味のいい健康的な食品で、保存食としても素晴らしいということを記録として残しているのだとか。事実、出島に出入りしていた江戸からの飛脚が、味噌と玄米ごはんだけを食べてハイスピードで走り江戸と往復している姿をみたオランダ商官は、小さくてもスタミナたっぷりの日本人に大変驚いたそう。そこでオランダにも味噌を持ち帰ろうとしましたが、残念ながら旅の途中で食べ尽くされてオランダ本土には届かなかったようです。アルネ曰く、もしオランダが味噌を持ち帰り、酪農や畜産ではなく大豆栽培をベースにして味噌を広めていたら、世界はどうなっていただろうか、と。オランダが世界中に輸出した動物性のタンパク質ではなく、味噌のような植物性のタンパク質が主体の世の中になっていたら、僕たちはこんなに体が大きくならなかったかもしれない。今からでもそれは遅くない、世界中が味噌を知る必要があると、身長約190cmのオランダ人・アルネは身振り手振りで熱く語ります。
こうして保田先生の話とアルネの話が繋がりました。米の生産が大幅に減っているという現実や、日本人が発明した食事、ごはんと味噌汁という和食文化が消えようとしている今、僕たちにできることは、もう一度、今の時代に合った形で米と味噌を広めることではないかと思い始めたわけです。僕たちの育った時代は、完全に西洋かぶれの時代でした。自分たちも肉や乳製品を食べて育ったという感覚があり、身体が大きくなったのもそのせいかもしれないし、身体が大きくなることが正しい、西洋文化の方が進んでいると信じて生きてきました。そしてアメリカの音楽を聞き、欧米の文化に憧れるという時代を過ごしてきました。しかし今は、日本の文化がとても重要なことに多くの人が気づき始めています。実際に、今の僕たちはサスティナブルだったと言われている江戸時代の暮らしに憧れています。そうしたことを心から気づかせてくれたのが、保田先生とアルネだったわけです。
そんな僕たちは、食生活を米と味噌中心の食生活に変えました。農家のトミーは基本的に3食しっかり米食。半農のヒロは朝と夜の2食のうち朝にごはんと味噌汁をしっかり食べるスタイルにしました。ちなみに、江戸時代の食事は朝と夕方の2食だったのだとか。現代では昼ご飯を食べないといけないという固定観念がありますが、実際に昼なし生活をやってみると、とても心地良いんです。身体の具合もリズムも、そして気持ちまでもが、爽やかにポジティブになりました。
20代、大手アパレルメーカーで働くトミー。欧米文化に憧れていた時代。
現在のトミー。生活観が大きく変化した。
これからは米と味噌が中心にあって、あとは野菜や海藻、そして魚や肉が少しあるという食卓のあり方が根付けばいいなと思っています。欧米化された日本の食卓では米も味噌も野菜も海藻も登場する機会が減っています。もちろん僕たちも肉を食べ、パンやピザを食べ、牛乳も飲む。それでも、現代の欧米に偏った食を冷静に見直し、日本人の身体に合う日本食も大切に残したいと思います。何事もバランスが重要です。
ヒロが毎朝食べているごはんと味噌汁。蕨の佃煮と自家製たくわんとじゃこ。極めてシンプルな料理だが、一番美味い。
昨今、自産自消のために野菜づくりに興味を持っている人も増えてきました。農業スクールの運営においても応募者は増える傾向にあります。都市に住む人が全員そういった生活をするというのは難しいでしょうが、そのうち1割ぐらいは自産自消するようになるのではないかと勝手に予想しています。かつては、みんな家の庭で野菜をつくっていたはず。農家から気軽に米を分けてもらう関係性があって、冬にはみんなで味噌づくりをしていたはずです。畑と田んぼをやって、米と味噌と野菜を食べる。そんな日本人を増やしたい!という目標を掲げて活動をはじめていこうと考えています。
今まで日本の食文化を守り育ててきた人たちに敬意を払いながら。これからの新しい農村の風景をみなさんと力をあわせて切り拓いていきたい。スローガンは、「Respect the Roots, Grow the New Future」。米と味噌のロゴ(Desinged by Honda Konomi)。江戸時代の版画をモチーフにしており、実際に版画として制作予定。
「有機栽培米の面積を増やすことで環境負荷の削減に貢献する。」これも僕たちにとって重要な意義。しかし、有機栽培で米をつくるのは難しい、少なくとも除草剤は必要だというのが定説です。あるときヒロは、自社で運営する食料品店兼カフェ・FARMSTANDの取引先でもあった「陽だまり農園」という有機JAS認証農園が「お米の学校」を始めることを知りました。前述の保田先生の右腕・西村いつき先生の農法主体で有機米づくり、有機農家の拠点づくりをされている農家さん。SNSでその投稿を見た瞬間に申し込み、以降1年間、有機稲作を体験しました。「陽だまり農園」で学んだ重要なことは、経験に基づく小さなテクニックの積み重ね。田植え後の水の量、苗の栽培サイズ、肥料の選択や量、除草の方法やタイミングなどきちんと技術を身につければ有機稲作は自分にも可能かもしれないと考えるきっかけになりました。陽だまり農園さんでの経験はとても素晴らしいものでした。
とはいえど素人がたった1人で実現できるのか...と悩んでいた時、たまたまトミーとゆっくり話をすることがありました。聞けばトミーはFARMSTANDを退職後、トマト農家のもとで農業研修を5年やっており、自ら住む地区の営農組合で米の仕事もやっていたと言います。そんな2人の会話が盛り上がり、一緒に有機米をつくろう!という結論に至ったのは必然でした。昨夏の農村での会話から「米と味噌」は始まっていたのです。
営農組合の手伝いをしているトミー。経験がここで役に生きてくる。
このプロジェクトが、米や味噌を広く供給できるビジネスとしての持続可能性を確立するには、超大規模経営で超効率的に運営するか(国はこちらを推し進めようとしている)、農家が直接消費者へと販売する形態をとるか、そのどちらかしかないと僕たちは考えています。
幸い僕たちはEAT LOCAL KOBEファーマーズマーケットや農業スクールを通じて、農業体験の場づくりを実践してきました。野菜や果物だけでなく米についても、消費者が生産地を体感できる機会づくりは大切だと思っています。一度でも田んぼに来てもらい、顔の見える関係を育み、互いの信頼の上で米の需要と供給について一緒に考えていきたいです。
そして有機米で麹をおこし、同じく有機で育てた大豆とあわせて味噌も作りたい。それは、稲作をビジネスとして成立させるためにも大切なポイントだと考えています。農閑期の冬に米農家が酒蔵へ働きに行くように、僕たちは味噌や米麹作りを冬の仕事にします。春から秋が農家の繁忙期なので、他の農家にとっても冬の良きバイト先となるよう、味噌工房も整備したいと考えています。
4月中頃にメンバーでおこなった味噌づくり会。来日していたアルネも参加。味噌づくりの拠点となるFARMHOUSEケハレにて。
国としては「みどりの食料システム戦略」という名のもと、有機栽培面積を2050年までに25%にするとの目標が掲げられています。25%の面積を実現するには、国土のうち大きな面積を占めている水田を有機化するしか実現は不可能でしょう。またカーボンニュートラル社会の実現が叫ばれて久しいですが、炭素を吸収するには植物の力が重要になります。つまり農地の大部分を占める有機稲作面積がその大きな役割を担うと思っています。
米づくりの拠点となる神戸市北区淡河町中村地区、勝雄地区の風景。ここで米づくりを行っていきます。神戸市の中心部から約30分の距離感。都会の人にも体感してもらいたい景色。
僕たちが憧れる江戸時代において、米は手植え・手刈り・天日干しでしたが、現代では機械産業化によって農作業が効率化されたことで、農村の環境も変化しました。約50年前に、機械を導入できるように農地の整備がされたのです。それにより、今では機械を使うことが前提の農地になっています。実際に、農村では条件が良い平らな場所に大規模な田んぼがレイアウトされており、山裾に近づくにつれて、機械が入りにくい不成形で小さな土地が多く残っています。手植え・手刈りで自給自足の稲作は一つの理想ですが、ビジネスとして考えた場合には機械化が必須で、最低でも2,000万円を超える初期投資が必要だと言う人もいます。その資金を回収するにはそれなりの面積の耕作が必要で、手植え・手刈りと機械化は両極端な世界と言えるでしょう。
僕たちの米づくりはビジネスとして確立することが主目的でもあるので、機械化を前提としてできるだけ条件の良い平らな場所で実施していきます。初期投資の回収について慎重に計画しながら進めていますが、気候変動要素なども加味するとリスキーなことに変わりありません。そして今、農村で現実的な問題になっているのは、この大規模な田んぼを誰が継承していくのかということです。農村の担い手が平均年齢70歳程度と言われている中で、可能な限り僕たちが地域の受け皿になれるべく努力していきたいと思っています。
また、山裾の使いにくい農地を誰が管理していくのかということも問題となっています。僕たちが想像する答えの一つは、自給自足を目指すマイクロファーマー(都市住民)が、この山裾に残る不成形で小さな農地を野菜や大豆の栽培、手植え・手刈りの稲作に活用するということです。機械を使う一般的な農家にとっては使いにくい土地でも、都会から通って来るマイクロファーマーにとっては、小高くて景観が良く、まわりに干渉されず、ちょうど居心地の良い農地であることが多いのです。
マイクロファーマーが典型的な農地を共同管理する想定の模式図。2人で1200平米を管理。山裾は1000平米以下の農地も多く、マイクロファーマー1名で米づくりと野菜づくりをするのにちょうど良い。
鍵となるのは、マイクロファーマーでも稲作に取り組めるインフラを整備することでしょう。手間のかかる苗づくりや脱穀、乾燥などの機械作業をハブとなる施設が請け負えば、マイクロファーマーたちが大きな経済的負担を背負うことなく稲作にも挑戦できるようになると考えています。区画整理された整形の広大な土地では、現代の機械的な手法で稲作を行い、整理されていない不成形の小さな土地では、マイクロファーマーが都会からやってきて活動する。そんな棲み分けと互いに協力し合う連携のスタイルを成立させることで、中山間地の農地を守っていきたいと思います。
機械を持っているハブファーマーが米づくりを主体に活動。山の裾野で活動するマイクロファーマーをサポートする存在となる。景観が良い山際に人が定期的に出入りすることにより、田畑も保たれる。
マイクロファーマーズスクールは、野菜の栽培を中心とするスクールですが、6年目を迎えた今までに60名が卒業し、そのうちの4名が本格就農、20名が神戸市版ミニ農家制度のネクストファーマーとして淡河町周辺で農業に関わり続けています。卒業生たちもそろそろ次のステップとして、稲作にも興味関心を持っているのではないでしょうか。
マイクロファーマーズスクールの圃場。山の裾野にて耕作放棄されていた場所を活用している。
農家になれば、農地に家を建てることも可能。また、畑の横に倉庫のようなスペースをつくってサテライトオフィスとしての利用もできそう(写真はマイクロファーマーがつくった竹ハウス)。農村の山際は可能性に溢れている。
この取り組みを通じてやっていきたいことは、価値観の転換です。このまま右肩上がりの成長を是とする経済・社会・会社・暮らしのままで良いのだろうか?と思っている人も少なくないと思います。僕たちが広めていきたいことは、新しい未来は日本古来の米や味噌を通じて切り開けるということ、そして農的生活を日常に取り入れることで自らの新しい成長を遂げられるということ、そして農村はまだまだ可能性を秘めているということです。
結論、何をするかと言うと、米と味噌づくりを始めます!すでに有機農法で米づくりをされている方も、小さな農家のハブとなる拠点づくりをされている農家さんも数多くいらっしゃると思います。僕たちの想いはすでにそのような活動をされている方たちと同じです。今回のクラファンでは、自分たちの米ビジネスを立ち上げる資金として単に寄付金を集めようとしているわけではありません。
こちらはお米2キロのイメージ画像です。お米はぜひ現地に受け取りにきてもらって農地の現場を体感してもらいたい。
お願いとしては、米と味噌を買って食べていただくことで応援していただきたいと考えています。有機JAS認証が得られるまでの転換期間である2年間、事前に2年分購入していただくというスタイルです。事前購入なので、ひょっとすると収穫量が少なすぎてみなさんにごめんなさい!と連絡しないといけない事態になる可能性もゼロではありません。万全の準備をして臨みますが、リスクも含めて一緒に体感しながらこの取り組みを進めていければと考えています。米を買い、味噌を買うという経済活動が、自分達の理想の未来へのアクションになる。そんな取り組みとなればと思います。
リターンについては、基本的にはお米の分量とワークショップの有無、現地でピックアップするか、発送するかを選んでいただく形になります。現地ピックアップが可能な方は、ぜひ現地ピックアップを選んで現地に来てください。お米づくりの方法や農地のことをお話しさせて頂ければと思っています。お米は2年にわけて発送させて頂きます。1回目は2025年の秋ごろを予定、2回目は2026年の秋ごろを予定しています。2回目の発送時に、2025年の秋に収穫した米と豆でつくった味噌もあわせてお送りする予定です。ワークショップは、2026年度の作付分について、ぼかしづくり(3月ごろ)、苗ならべ(4月下旬ごろ)、田植え(6月上旬ごろ)、稲刈り(10月上旬ごろ)などのワークショップを予定しています。日程をお知らせしますので、可能な日程でご参加ください。味噌づくりワークショップは2025年度の冬と2026年度の冬にご参加いただけます。
集まったお金は、米づくり体験を一般の方々にしていただきやすくするスペースの改装コスト(キッチン、トイレ、駐車スペースなどの整備費)に充当させて頂きます。改装は2025年8月ごろからスタートし、2025年10月ごろには完成予定です。
今年の苗ならべの様子。
当プロジェクトの成否に関わらず、米と味噌の生産はスタートします。今回はプロダクションファンディング(All in)での挑戦になるため、もし目標金額未達となった場合でも、不足する資金はチームで補填し、このプロジェクトを実現します。リターンも必ずお届けしますので、ご安心ください。
すでに米づくりは始まっています。苗づくりも順調に進んでいます。
世の中の報道では米騒動などが言われていますが、メディア等で騒がれる前から準備して米騒動に乗っかってすすめた話ではありません。あまり一喜一憂せずにやるべきことを進めるだけだと感じています。AI進化時代に入り、今後はますます社会のあり方が変化しそうです。AIが事務仕事をしてくれる時代だからこそ、今こそ、農業は若い世代が活躍していける良い仕事ではないかと思っています。農村集落の中心部の米は未来ある若い有機米事業者が担い、山裾ではそのインフラを活用して都市からやってきたマイクロファーマーが活動する。そして定住者や移住者が増えることで日本の山間部にある農村集落を守っていける。そんな未来をつくれないかと考えています。そのようなモデルになれるようにこの取り組みに挑戦したいと考えています。
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左からしょうこ、トミー、ヒロ。
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