リスタートアップ外伝 〜撮影の裏側〜【第2話】
vol. 7 2022-08-19 0
■アメリカンドリームの幻想
ブータン視察から帰国して数日後、芸者東京の田中泰生さんからメッセージが届いた。「一度、事務所に遊びに来て下さいませんか?動画の相談などもありまして」
「ドキュメンタリー専門・映像制作」を掲げたとたん、仕事が激減したわたしは暇を持て余していた。金の匂いのするメッセージに、小躍りしたい気分でメッセージを打った。「すぐに、お伺いします!」
本郷のオフィスビルを訪ねると、満面の笑みを浮かべた田中さんが、出迎えてくれる。70~80人は収容できそうな広さのオフィスに、沢山のソファーがIKEAのショールームのごとく並んでいる。
そこに、ジーンズにTシャツ姿の社員らがに腰掛けて、MacBookを開いて仕事に打ち込んでいた。
「アメリカのイケてるIT企業、みたいですね」と思わず言葉が出る。
田中さんが「僕らはそんな、いいもんじゃないですよ」と笑いながら、社内を案内してくれる。「むかし、Twitterの本社を訪問したことがあったんです。広い社屋のあちこちにソファーが並んでいて、みんな自由に仕事をしていたんですよ。日の射す廊下や、風の気持ちいい屋上にもソファーが並んでいて、本当に理想の仕事の空間を見た気がしたんです。それで帰国後すぐに、ぼくらもソファーを買いまくったんです。」
休憩時間なのか、数人でカードゲームに興じている社員の姿が飛び込んでくる。田中さんが「彼らはデザーナーですね」と紹介してくれる。昼間っから、カードゲームを広げて盛り上がっている姿に「さすがゲーム会社!」等と感心してしまう。
彼らに向かって「それ、なんのカードゲーム、面白いの?」と話しかける田中さん。「君ら、休憩8時間ぐらいしてない?」と冗談を飛ばす田中さんい、「良かったら、一緒にやりませんか?」と返す社員たち。軽妙な関西弁と少年のような田中さんの表情に、親近感が増す。
ブータンで会ったときは「会社を畳んで出家しようかと思う」などと話していた田中さんだったが、開放的なオフィスの雰囲気や彼の明るい表情からは、不穏な空気など感じられない。日本にも、こんな会社や働き方があるのかと、感心してしまう。
■魅惑の提案
「ところで岸田さん。動画のご相談をしたいんですが?」と田中さん。あるゲームを自社で開発することになったので、その様子を動画に収めて、メイキング動画に出来ないか・・・という内容であった。なんだか、ワクワクする展開だ。
だが、この先の話は予想を上回る展開だった。
「うちの会社は、このまま行くとあと1年ぐらいで資金が尽きるんですよ。倒産です。」
先ほどからのテンションのまま、笑顔で倒産の危機を語る田中さんに対し、どんなリアクションを返せば良いのかとまどってしまう。
続けて、田中さんが会社の歴史を語り出す。「創業数年で、世界初のARゲームやヒット作をいくつか出して、それなりに注目されたんですが、その後、全然上手くいかなくなり、僕自身も仕事への情熱を失いました。」
ようやく、神妙な表情を浮かべた田中さんが「復活を目指して、大型のソーシャルゲームを開発して最近リリースしたんですが、これがが見事にコケてと、いよいよあとが無くなったんです」と、壮絶な現状を告白してくれる。
「いま、大変じゃないですか」と驚く私に「いやー、きついですね」と、笑顔のまま答える田中さん。この人は、一体どんなメンタルをしているのか。
「それで」と言い、一呼吸置いた田中さんが、話し出す。「そこで最後に、自分たちが本当に面白いと思うゲームを作ろうと思って、『筋肉ポーカー』というタイトルを立ち上げるんです。最後の資金で挑戦して、ダメなら華々しく散ろうと。そういう計画です。この一部始終を、動画に残してもらえたら面白いかなと思って。」
理解を超える状況と提案に、私はゾクゾクした。
明るい表情で、倒産の危機を語る社長。
最後に、自分たちのやりたいゲームを作ろうという、刹那的な計画。
滅び行く会社の内部に入り込む機会など、そうそう無い。
鼓動が高くなり、ドキュメンタリーのセンサーが鳴り響く。
■驚異のドーピング剤
「ぜひやらせて下さい!」
その言葉を発したとき、私も胸がチクリと痛んだ。わたし自身の会社もこのまま行けば、彼らと同じタイミングで力つきる状況にあった。
30代半ばで一般企業を辞め、映像制作をはじめた私は、仕事が軌道に乗り始めた頃合いを見て、かねてからの計画であった「ドキュメンタリー」に、制作分野を絞り込む。
あっという間に仕事が減り、懐事情がどんどん苦しくなっていた。ドキュメンタリーを撮りたいからはじめた仕事だったので、この選択は間違っていなかったと思う。さりとて、収入が無ければいきていけない。やっぱり、ドキュメンタリーに特化するなんて、無理だったのかも知れない・・・
そんな私に「本当にやりたいことをやって、ダメなら華々しく散る」と言い切った田中さんの言葉が、「ドキュメンタリー制作に賭ける」と宣言しながら、先が見えずに不安と逡巡に苛まれていた私の心に刺さる。
結果はどうあれ、田中さんのすがすがしい表情と迷いのない言葉が、私の背中を押してくれる。
田中さんはカメラがあるからがむしゃらに走り、走る田中さんを見てまた、私は取り憑かれたようにカメラを回す。のちに田中さんはこの時の心境を「ドキュメンタリー駆動」と称した。双方が、お互いの存在をドーピング剤代わりに奮起し、不安を払いのけようと必死にのたうち回るのだ。
こうして、わたしが夢中で駆け抜ける4年半の撮影の日々がスタートする。
2017年11月のことだった。