リスタートアップ外伝 〜撮影の裏側〜【第3話】
vol. 8 2022-08-20 0
■タイトル誕生の瞬間
撮影を始めた日のことはいまでも鮮明に覚えている。
シリコンバレーのIT企業を模した、ソファーの並ぶオフィスに感心していたのも束の間、田中さんから「物件を見に行くので、一緒に来ませんか」と声を掛けられる。
向かった先は、上野や湯島と呼ばれる下町エリアだった。
「オフィスを縮小しようと思うんですよ。毎月ものすごい固定費が会社から流れ出ていくので、少しでも水の漏れるスピードを緩めることが目的です」と田中さんが引っ越しの意図を説明してくれる。
内見先の物件に着くと、不動産屋の営業マンが待ち構えていた。
「いまの場所より、かなり狭くなりますよ」と心配そうに尋ねる営業に、「人数も絞って、一からやり直す。まさに『臥薪嘗胆』の心境ですね。」と田中さんが、まるで決意表明かのように答えている。真剣なまなざしで語る田中さんの後ろ姿が神々しくもある。
私は「臥薪嘗胆」を思わずスマホで検索してしまう。意味は「目的を達成するために苦労を耐え忍ぶこと」だった。この単語を聞いたのは、中学生以来だ。
「臥薪嘗胆」の意味を知ってか知らずか、不動産屋は「ああ、なるほど」と大仰にうなずいている。営業のプロとはこのことだ。
すかさず田中さんが「僕ら、手持ちのお金も少ないんで、家賃は安い方が良いんです。多少、ボロボロでも平屋でも良いから、とにかく費用を抑えて開発に集中したいんです。」と伝えると、不動産屋は「ああ、スタートアップ系ですね」と感心したように答えた。
僕なら顔を曇らせ「大変ですねぇ・・・」と言ってしまうだろう。営業のプロは、どんな難しい球も前向きに打ち返すのだ。
そんな言葉に、田中さんはまんざらでもない表情で「そうなんです!」と笑顔を浮かべる。同行していた秘書のりささんも、満面の笑みを浮かべ、「そうですね」とうなずいている。ここにもプロがいた。
不動産屋と秘書のりささんが、図面を見て話し始めると、田中さんがファインダーを覗く私に向かって、歩み寄ってくる。
「岸田さん、おれらスターとアップ系らしいですよ!ものは言いようですね。スタートアップか・・・」。田中さんが、不意に与えられた言葉を確かめるように反すうしている。
「おれら一回、スタートアップはやってるから、”リ”スタートアップだな」
晴れやかな表情の田中さんをみて、私も楽しげな気分になる。
現場のふとしたやり取りの中から、ひとつの言葉が生まれ、この物語に名前がついた瞬間だった。
■撮影の原動力、「ドキュメンタリー駆動」の正体
田中さんはカメラがあるからがむしゃらに走り、走る田中さんを見てまた、私は取り憑かれたようにカメラを回す。
のちに田中さんはこの時の心境を「ドキュメンタリー駆動」と称した。
「岸田さんがカメラを持ってくると、必ず”進捗ありましたか?”と、僕に聞くのです。”何も進んでません”と答えたくないから、事前にあれこれ準備するわけですよ。」
自ら提案したドキュメンタリー撮影に、追い込まれていく田中さん。
「本当は、『筋肉ポーカー』の企画も早々に頓挫して、万策尽きた状態だったんです。でも、カメラが来るから、何か出来る事は無いかなと、変化を作り出そうとあれこれ動いていました。」
わたしは、そんな田中さんの真の苦悩を当時は知らず、次々と企画を出して歩みを止めない田中さんの姿に、驚いていた」
田中さんのアグレッシブな姿勢に触発され、私自身のドキュメンタリー脳が覚醒し、撮影にのめり込んでいった。
双方が苦境に立たされながら、お互いの存在をドーピング剤代わりに発憤し、必死にのたうち回っていたのだ。まさしくドキュメンタリー駆動だ。
現場に現れた「カメラ」という異物の存在によって、一種の誤作動が生じ、連鎖的に作用していく。そして芸者東京と田中さんは想像もしなかった未来へと突き進んでいく。
カメラの存在はほんの小さなきっかけに過ぎず、チャンスを作り出し結果を引き寄せたのは、紛れもなく田中さんの持つ強運と芸者東京・社員の努力によるものだ。
だが、カメラを持つ私はいつ何時も傍観者であった自覚は無い。私自身が芸者東京が生み出す物語の渦に巻き込まれ、時には主人公たちと対話し、励まし励まされ、ともに併走した感覚がある。
4年半にわたり、彼らを追い続けた原動力とは、傍観者にならず彼らの物語の中で併走出来たからだろう。