映画でしか表現出来ない手法
vol. 71 2016-01-21 0
この作品は「意味」を探求するテーマが有る。何故、生きるのか?何故、作るのか?が大切な課題として提示される作品であるからだ。その為に、本作自体も、意味付けや手法に敏感でなければならなかった。例えば、テキスト、音、映像、などをどう組み合わせるか?どうズラしていくのか?台詞やカット割り、物語は、2回繰り返す。音楽も2回繰り返される。それも特異であるが、基本的に映像構築をズラして意味を変化させる事が多くなっていると思う。
例えば、オーバーラップ手法。これは単純で、前後の映像を重ねる事で、意味を強めたり、違う何かを感じさせる。
例えば、女の顔は出さないのに、絵を先に出し、女の顔を想像させる。これは神秘性を強める。
カメラの先を見つめる女。次のカットは、女の心に有るだろう人間の写真を、違う人間が観ている。中間に写真をはさむことで、次元を超えるのだ。今回は、このズラし手法が多い。振り返ると違う場所に居たり、マンホールの上と下が入れ替わったりする。天を仰ぐと次のカットの花びらが降っても来る。これは時空間を超えて表現するレディコミック(ぶーけ派)の影響。w
これも絵の女と同じで、しばらく話す相手を映さない。じらしつつ登場させる。
女性の独白に音楽を載せると、独白の方向性が変わる。
撮り方が変化して、主観の喪失。急に世界観を再構築させる。(まあ、よくあるふわっと救いを差し伸べる手法でもある。)
映像の進行とは別の出来事が進行する。これも映画の醍醐味。小説には出来ない表現。さらに、ここに音楽も投入し、表現の頂点を極める。
本作では、テキストの力と、音楽の力、オペラの映像と音楽の挿入によって、感じた事が無い何かを表現出来ていればと思う。最近の映画は、物語を語ろうとするあまり、感情に寄り添おうとするあまり、画一化された表現に落ち着いて来ている。もっと映画らしい異次元の表現をすることが、この作品のテーマに合っていると考えた。それは思考するということ。それこそが、私の作家性にもなっている。