コラム5 教皇庁もあったアヴィニヨン
vol. 6 2017-05-21 0
バカンス気分たっぷり?どのような曲が収録されるのですか、というお問い合わせをいただきます。チラッと紹介いたしましょう。
♪ バカンスは物憂げな午後からはじまる
ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
♪ あっという間にリゾートへ〜♪
アルカン 鉄道
♪ イギリスの旅する音楽家によるフランスのバケーション
ディーリアス 小管弦楽のための2つの小品 - II. 川辺の夏の夜
♪ 選曲者ピアニスト本田聖嗣の演奏も収録
ドビュッシー 前奏曲集第2巻より〜ヒースの茂る大地
ほか、全16曲を予定しております。
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コラム5 教皇庁もあったアヴィニヨン
【アヴィニョンの旧教皇宮殿】
前回のコラムで触れた「古代ローマ時代の属州プリヴィンキア」だった南仏プロヴァンス地方ですが、当時は、現在のナルボンヌを中心とする「ガリア・ナルボネンシス」という地域圏で、イタリアに国境を接しているため、「属州というより、むしろイタリアである」、と大プリニウスに言われたぐらい文化的洗練度の高い地域でした。
ずっと時代が下って14世紀、この地域の小さな町アヴィニヨンが、さらに、イタリアに近くなります・・というより、イタリアが引っ越してきます。・・・というのは言い過ぎかもしれませんが、ボルドー大司教がフランス王の後ろ盾の元、ローマ教皇に選出されたため、アヴィニヨンに教皇座が69年間にわたっておかれる、という大事件が起こります。俗にいうローマ教皇のバビロン捕囚、です。
中世のキリスト教会の権威と権力は絶大で、この時期に建造された建築物が、今でも世界遺産「アヴィニヨンの歴史地区」として、現在もたくさんの観光客を集めています。北部ノルマンディーのモン・サン・ミシェルとともに、その後の歴史の動乱の結果、「実は中身はあまり残っていない」歴史遺産ですが、それでも、当時の栄華をしのばせるに十分な街の遺構として立派な姿を残しています。どんなに北フランスが、威張っていても、ローマ教皇が一時期であれ本拠を置いたのは、ローマ以外にはアヴィニヨンしかありません。
今や、マルセイユ、エクス・アン・プロヴァンス、と並んで、「プロヴァンス観光の三大都市」アヴィニヨンですが、駅やバスターミナルから、旧教皇宮殿に向かう並木道を歩いていると、どことなく「壮麗な」雰囲気を感じてしまうのは、思い込みでしょうか?
【アヴィニョンの橋の上で・・・踊ったら実際は危ないサン・ペネゼ橋をローマ川上から望む】
旧教皇宮殿を見学してさらにその先に出ると、「アヴィニヨンの橋の上で」の童謡に歌われたサン・ベネゼ橋・・現在は途中までしか残っていませんが、がローヌ川の上に「突き出している」・・のを見ることができます。
プロヴァンスは、古代ローマ俊在、中世の教皇宮殿あり、決して、「単なる田舎」などではない、誇り高い地方なのです。