コラム-7「激動の社会情勢に翻弄され・・・プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ」
vol. 7 2017-12-28 0
ついに最終日を迎えました。
昨日夕、ストレッチゴールの80万円に到達し「お礼の特別番組生放送」をお届けすることが決定しました!
約1か月に渡る熱い応援をありがとうございます。
魅力あふれるロシア音楽の世界をおひとりでも多くの方にお伝えしたい・・・。
CD、イラスト集を入手できる機会は今回限りです。くれぐれもお見逃しなく。
最終回のコラムでは2人の作曲家を取り上げます。
イラストも豪華二本立て!
残り9時間、ラストスパートにおつきあいください。
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激動の社会情勢に翻弄され・・・プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ
このロシア音楽コラムもいよいよ最終回です。最後に取り上げるのは、20世紀の作曲家、
セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)とドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)です。彼らの創作活動は、ロシアの政治的動向と切り離して考えることはできません。
1917年、帝政の支配に対して、民衆の不満が爆発ました。ロシア革命の勃発です。
最後の皇帝ニコライ2世は退位に追い込まれ、ロシアの政治情勢は内戦へともつれ込みました。左派勢力であるボリシェヴィキが台頭し、共産主義国家ソビエト連邦が1922年に誕生します。(…と、5年の大波乱を数行でまとめてすみません! しかし、クラウドファンディングは間も無く終了。先を急ぎましょう。)
芸術人民委員のアナトリー・ルチャルスキーという人物が、芸術においても革命を押し進め、1920年代には急進的で革新的な芸術が花開きます。
1920年代末には、共産党書記長スターリンが社会主義革命を進めました。すると、彼の意向にそぐわないと考えられた全ての活動は、厳しい取り締まりの対象となってしまいました。
芸術活動もその例外ではありません。 急進的=反体制的な芸術活動は厳しく糾弾されるようになりました。 作曲家たちに求められたのは「社会主義リアリズム」と呼ばれる、わかりやすく単純・直接的、そして伝統的な手法で、人民の革命的な精神を鼓舞するような音楽、国家と人民が成し遂げる新しい社会を描くような音楽を作ること。 自由で想像的・創造的な活動は許されなくなったのです。芸術家にとって不幸な時代の到来です。
ウクライナ南部で生まれたプロコフィエフは、革命勃発の年、26歳で最初の交響曲「古典交響曲」の初演を成功させます。しかし革命の混乱を避けようと、1918年にはアメリカへ渡りました(途中日本にも滞在)。アメリカとヨーロッパを行き来する中、オペラ《3つのオレンジへの恋》やヴァイオリン協奏曲第1番などを作曲しますが、なんと彼は1934年にはロシアへ帰国します。芸術に対する粛清の嵐が吹き荒れる中、緊張を強いられる生活が続きました。
帰国後は交響的物語《ピーターと狼》や、バレエ音楽《ロメオとジュリエット》など、わかりやすく、かつ独自の明朗な響きをもった傑作を残し、ソ連当局からはソ連国家賞も授与されました。
ところが、そんなプロコフィエフでさえも、1948年には「社会主義リアリズム」に応えられていないと当局から批判を受け(ジダーノフ批判)、自己批判文を書かされるという辛い経験をせねばなりませんでした。プロコフィエフは1953年3月5日、独裁者スターリンより数時間早くこの世を去りました。
ショスタコーヴィチはペテルブルク生まれ。ピアニストの母のもとに育った彼は、10歳で処女作《兵士》を作曲しています。13 歳でペトログラード音楽院に入学するも、不幸なことにかれの父親が急死してしまいます。二十歳で貧しい生活の中で書き上げた交響曲第1番は、見事初演が大成功。ソ連当局は若き芸術家の旗手として彼を持ち上げました(すでに当時、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、そしてプロコフィエフらは国外へ移住)。
ところが、20代半ば、国際的にヒットしたオペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》(1934年初演)が、共産党から「荒唐無稽」と厳しく批判され、社会主義リアリズムの理想「精神の高揚」をもたらさないという理由で、上演禁止状態になってしまいました。まさにスターリンによる粛清が最高潮に達していた時代です。追いつめられたショスタコーヴィチは、少なくとも表面的には当局の意向に沿った音楽を書くことを決意し、努力を続け、続く交響曲第5番「革命」で名誉挽回しました。
しかし1948年、プロコフィエフと同様に、彼も再び批判を受けてしまうのです。彼の作品には、実に特徴的な諧謔的なリズムや、内省的なメロディーが現れます。激動する社会に翻弄される自分の運命を表しているかのようにも聞こえるかもしれません。
応援いただいた皆様のおかげで制作が決定したコンピレーションCDには、プロコフィエフらしいキビキビとしたピアノのリズムやカラフルなオーケストラの響きが魅力的な、ピアノ協奏曲第3番第1楽章を、そしてショスタコーヴィチの作品からは、スターリンが亡くなる2年前の1951年に書かれた中期の作品、24の前奏曲とフーガOp.87から第4番のフーガを収録します。当局からは形式主義的だと批判を受けたましたが、ギレリス、ネイガウス、ニコラーエワといった当時のピアニストから絶大な支持を得た、非常に内声的な作品です。アルバムの最後に、しっとりとお聴きいただければと思っています。