はまができるまで(3) いつだって旅人に助けられてきた話
vol. 5 2022-08-10 0
「旅をするなら、足は遅いほうがいい」
そう教えてくれたゲストさんのことをふと思い出して、電車を降りた。
鹿児島県の川内市と熊本県の八代市を各駅停車で結ぶ、この「肥薩おれんじ鉄道」のことを教えてくれたのも、そういえば同じ人だったな。
途中下車した出水駅で乗り換えの案内板表示を探していると、
オレンジ色のジャケットを羽織ったほがらかな駅員さんと、入口でたむろするおばあちゃん達に、「惜しいねえ、さっき出たばっかりよ」と声をかけられた。
次の電車が来るのは1時間後と知って、すぐ乗り換え案内のアプリを開きそうになる。
いつものくせで特急や高速バスを探すことが頭によぎったけれど、そんな考えは通過していく特急列車の風になびかれて消えた。
「まあいいか」
なにせ、足は遅い方がいいらしいので。
駅のホームを行ったり来たりしながら、スーツケースのキャスターに不安ともどかしさが絡まっていくような気持ちも何年ぶりだろうか。次の電車が来るまでの1時間を、この旅で一冊だけ、と決めて持ってきていた本をここぞとばかりに開いて過ごした。
実はここに来るまで、ありとあらゆる縁故を頼って薩摩半島を3、4日間うろうろしていたけれど、
その楽しさと、予想以上の居心地の良さに4日じゃ足りない、と気づいた時にはすでに旅は最終日を迎えていた。
この場所に次はいつ行けるだろうか、あの人とは次どこで会えるだろうか。
そんなことを帰路で考えながら、ただゆっくり日常に戻っていきたかった私にとって、虫と鳥の音に時々我に返るような出水駅の静けさが地球上のどこよりも尊かった。
「電車で行くなら高知もいいもんだよ」と、さすらいのボサノバ奏者は言ったし、
「愛媛出身だよね!四国ならこのローカル線が超楽しいよ!」と、靴の行商人も教えてくれたなあ。思えば私はこれまで、まちの玄関口で多くの旅人を迎えると同時に、いつだって彼らに助けられてきた。
あれは数年前の大学4年の夏のこと。
「いつまで日本人は東京に搾取されてんの?」
当時アルバイトをしていた小倉のゲストハウス、タンガテーブルで、
アメリカから来たというバックパッカーのお兄さんの一言に脳天を貫かれた。
というより、大きなヒビが入って自分で勝手に割れた。
(あまりの衝撃で前後の文脈をすっかり忘れてしまったので、彼の言葉の真意は定かではない)
ごく普通の女子大生として北九州で暮らし始めて、ちょうど5年くらい経ったタイミングだった。
卒業して就職して、新たな場所で、おそらくはもっと大きなまちで暮らすことに人並みに憧れていたし、知らない都市の環状線に目を回しながらレールに乗っかる自分の姿も想像していた。
だけど、私がタンガテーブルを通して毎日目にしていたのは、
たくさんの人の手で回る北九州のまち。
地域の外と中、中と中で循環しながら日夜生まれる数奇な出会いの楽しさを、
現実的な諸々と天秤にかけることすら惜しくてずっと握りしめていた。
正確には「北九州が楽しい」というより、目に映るもの全て、今となってはなんでもないことですら刺激的だったのだと思う。
当時手探りでバラバラに打った点も、北九州を離れた今になって「あ!あの時の!」と
突然線になってつながったりするから世界は狭いというか、人間の視界って無限に広がる。
自分自身が、見ようとするかしないかの問題で。
ゲストハウスを作りたいのに旅行は苦手だとか、移動が億劫だとか、以前noteの記事に書いたことがある。いろんな場面で致命的だと思うけど、私はそもそも「目的を決めて進む」のが苦手なのかもしれない。ここまでの人生だって、「自分で選んだ」よりも、「なんとなくやばいと思って逃げた先がここでした」という感じがする。
旅が苦手な理由も多分そこに繋がっている。
「気分が乗らないから引き返す」とか「何もしない」とかのコマンドは設定されていなくて、
目的を設定してプランを立て、時に誰かと協調性を持って、
「いつもどこかを目指し進まなければならない」ことが旅だと、思い込んでいた。
そんな私に、「正解を選ぼうとするんじゃなくて、自分の選んだ道を正解にしていくものかもしれないよ」
と教えてくれたのも、北九州で出会った旅人たちだったな。
逃げ道だろうと抜け道だろうと、選んだ道の無限の過程をいつまでも楽しんでいこうと。
時々、途中ですれ違う旅人と意味なく乾杯して、また進んで、その繰り返しだと。
彼らは首を傾げて「そんなん言ったっけ?あ、俺明日からメキシコ行くけ早よ帰るわ!」なんて手を振る様子が目に浮かぶ。
気づいたら、私が宿を通して伝えてきたものより遥かに、
その足で歩いて、その旅を語る旅人達から教わったことがたくさんあった。
誰もが旅する気持ちをいつまでも大切にしてほしいから、
刺激的な異世界の玄関口をいつまでも作り続けたいし、
ゲストとかホストとかの境界を無くして、
自分の道を楽しみながら歩き続ける人の背中を押していたい。
くるりの曲じゃないけれど、ぼくが旅に出る理由が大体100個くらいあるなら、
私が「はま」を作る理由も100個あってもいいと思う。
今日も誰かが、旅をしている。
お客さんたちと撮った写真がたくさんあって、結局どれを載せようか選べなかった。
タンガテーブルでのアルバイトを卒業する頃これを描いたときのように、一人一人の1日1日を想像しながらお店に立つことの大切さを忘れないようにしたい。(2022年現在もダイニングの黒板に残してくれている、はず!)