わたしの島根愛と映画の持つ力への気づき
vol. 26 2021-10-28 0
クラウドファンディングも残すところあと1日!となりました。
夫の浩章は映画愛や映画への想いを語ってきましたが、妻のわたしは島根への愛を最後に語っておきたいと思います!
先日、とある機会に小野沢シネマの紹介をしていて「活動にあたっての原動力はなんですか」と聞かれたときのこと。すこし考えて、出てきた言葉は「島根のこと、益田のことが好きだから」でした。
私が益田を離れたのは2002年の春。当時の私からすれば、20年後の私がこう言うようになるなんて、しかも益田に戻って映画館の復活に関わることになるなんて、信じられないことだと思います。
田舎がイヤでイヤで、憧れの東京へ
なぜなら、当時の私は「こんな何もない田舎は出てやる」「絶対に東京に行く」と思い、関東の大学ばかりを受験。そして念願叶って東京の大学に合格し、晴れて上京することにしたのだから。
なんて言ったって、東京は電車が数分ごとに来るし、流行りのものが食べられる可愛いカフェも、好みの服が買えるお店もたくさんある。初めての一人暮らしで、最初の頃こそホームシックで親に連絡しては料理の仕方を聞いたりしていましたが、数ヶ月が経ち慣れて友人ができてからは、ほとんど連絡もしなくなりました。東京生活を満喫し、そのまま就職。気づけば益田で過ごした年数に、上京してからの年数がどんどんと追いついていきました。
島根と向き合うきっかけ
そんな私が、もう一度島根と向き合うことになったきっかけは二つ。
一つは、老舗の旅館や映画館が廃業した、スーパーが高齢者施設になっていた…など、帰省するたびに変化する地元の風景が気になったこと。
もう一つは、東京で、地方出身の同世代の仲間と出会う機会があったこと。福井、岩手、岡山や愛知など、様々な地方で生まれ育ち、東京で働き、暮らす人と知り合ったのです。いつかは地元に戻って家業を継ぐと決めている人、東京に家族と住まいがあるので地元に戻ることはないが何か関わりをもちたいという人、東京で働きつつ頻繁に地元と行き来している人など、ふるさととの関わり方もそれぞれでした。何よりも驚いたのは、それぞれがそれぞれの故郷について、生き生きと、熱く語ってくれたこと。私は高校までの島根しか知らない。果たして島根のこと、益田のことについて同じように語れるだろうか。まずは今の島根のこと・益田のことをもっと知りたい、そう思っていた時に出会ったのが「しまコトアカデミー」でした。
「ふるさと」をテーマに活動していた仲間たちと
「しまコトアカデミー」とは、島根県と雑誌「ソトコト」が2012年より行っている、島根をフィールドに自分と地域との関わりしろを学ぶ講座です。受講中、わたしは島根で活動する様々な方の話を聞いたり、実際に訪問して見せていただいたり、また講師の方や他の受講生とともにこれまでの自分の仕事や思いを整理していきました。受講するうちに、島根に対する見方はガラッと変わりました。何もないからこその、面白い、がたくさんあること。何もないからこそ、自分にもできる、がたくさんあること。仕事も暮らしも自分らしく楽しんでいる魅力的な人がたくさんいること。
「しまコトアカデミー」のインターンシップ(隠岐の島に向かうフェリーの中で)
映画の持つ「力」
また、これまでの仕事の棚卸しをする中で思い浮かんだのは、視覚障がいの方と大学生とが一緒に映画を見て交流する「バリアフリー映画祭」の風景です。参加者の視覚障がいの方と大学生はその日が初対面。年代も違えば、普段の生活もきっと大きく異なります。しかも、大学生は福祉を学んでいる学生というわけではなく、いわゆる普通の大学生。でも、映画を見たあとの交流会では、映画の感想や分かりづらかったシーンの質問に始まり普段の生活の話まで、お茶を飲みながら大盛り上がり。映画にはこんなにも人と人をつなげる力があるんだなということを実感しました。
同時に思い出したのは、小野沢ビルの映画館が閉館したこと。私は夫とは違い、日々映画情報をチェックしたり、頻繁に見に行ったりするほどの映画好きではありません。それでも、もう益田では、あの大きなスクリーンと音響で映画を見ることができないんだ…と思ったら、とても切ない気持ちになりました。そして約半年間の「しまコト」修了時に抱いたのは「映画をきっかけに、人と人が出会いつながる場所や機会を島根につくりたい」という想いでした。
いつかは島根に戻りたい、という想い
けれども、私は映画の興行には全く関わったことがありません。映画の上映の仕組みや費用についてイチから知る必要があると思い、様々なイベントやセミナーに参加して勉強しました。その中で出会ったのが今の夫です。当時、夫は東京の映画館で支配人をしていたので、すぐではなくともいつかは島根に戻りたいという気持ちがあること、今は東京でできる関わりを模索していきたいことを伝え、結婚にいたりました。まさに、公私ともに強力なパートナーを得た瞬間でした!
夫は、益田への帰省はもちろん、一緒に隠岐諸島を回ったり、私や私の仲間との上映会やイベントにも快く協力してくれました。でも「子どもが産まれたら慌ただしくて島根のことからは少し離れるのかな」と思っていたそうです。ところが意に反して(?)妊娠中〜産後も東京で島根関連やしまコトのイベントに出続ける私。子どもがいることでいっそう、島根に思いを馳せるようになりました。そんな中で、夫も島根の魅力に徐々にハマっていき、様々なご縁に導かれるように、今回の映画館復活プロジェクトに至りました。
初めて益田を訪ねたときの夫
益田に戻って、これから
戻ってきてみて、正直なところ、不便さも感じています。娘が好きなアニメの影響で無性にドーナツが食べたいのに近場で買えないとか(笑)、車がないと断然不便だとか、歩いていける範囲に子どもが楽しめるものが少ないとか。
また、地元とはいえ、高校までの人間関係や見えていた世界と、大人になって見える世界とはかなり違いましたし、人間関係もほぼ新しく作るところからのスタートです。それでもこの数ヶ月で、少しずつ輪が広がってきたことも感じています。「昔は小野沢以外に3館も映画館があったんだよ」と話してくれたおじいちゃん、「映画館復活がとても嬉しい」と海外から連絡を下さった島根出身の方、「オープンしたら絶対来ます!」と隣町から駆けつけてくれた大学生。話のついでにいただいたイチジクや柿。産まれたばかりの子どもと関わることが今の私の最優先事項ではありますが、一人一人の顔が浮かぶ関係に、とても元気をもらっています。
今回のクラウドファンディングでは、これまでふるさと・島根つながりでお世話になった方や同級生をはじめ、ありがたいことに、仕事仲間やともに音楽を奏でた仲間の方、そして何とママ友まで!たくさんの方からの応援をいただきました。
これは、私たち夫婦の映画館ではありません。地域の、島根の、みんなの映画館にしたい。島根のシネマに。そんな思いを込めて「シマネシネマ」と付けました。
先日、地元企業のアタック企画さんの協力のもと、以前から使っているスピーカーを活かして音響周りの調整をしました。とても久々とは、昔の機材とは思えない、低音の効いた、お腹にくるビリビリする音。約20年ぶりの、地元の映画館の音。コレだコレ、やっぱり映画館じゃなきゃ。そう確信した瞬間でした。
総額約2000万円のプロジェクト。経営努力も、協賛金周りも引き続きしていきますが、どうか皆さんの思いもぜひ載せて頂けたら。島根のシネマの仲間に加わってもらえたら嬉しいです。
Shimane Cinema ONOZAWA予定地のロビー