版画「希望の船」/復興教育
vol. 6 2015-09-16 0
雄勝小学校で行われた「復興教育」
「復興教育」は2011年9月から正規の教育カリキュラムとして雄勝小学校で取り組まれ,3期に渡って6年生,5年生対象に行われました。
その中で,2012年度小学5年生向けに行われたプログラムにて,版画「希望の船」は製作されました。指導を行った徳水先生は,震災後の子供達のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の兆候に気づき,学力向上ではなく心のケアを目的とした教育を行っていきました。
この教育の中で,小学生は作文や詩を作りました。
そして最後に,9人で力を合わせ作られたのが版画「希望の船」なのです。
子供達が書いた,作文のひとつを紹介します。
・作文 K子さん
「三月十一日のあの日」
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三月十一日のあの日,私は三年生でした。
その時,私は初華さんと七海さんと伊藤良くんと一所に下校していました。ゲラゲラ笑いながら歩いていると「ゴオーゴオー」と大きな音が鳴りました。
「あっ,地震だ。」
と言いました。周りを見ると電信柱がぐらぐらとゆれていました。私は怖くて怖くて,ふるえていました。みんなで,
「どうする。走って逃げる。」
と相談していた時,ガソリンスタンドの人が私たちの方に来てくれました。そして,消防署の方へ行くと,サイレンが鳴り出しました。
私は,死ぬんだなと思いました。そしたら,社会福祉協議会のみなさんが雄勝小学校まで車で連れて行ってくれました。
そのあと,みんなの家の方たちがむかえにきました。私は初華さんのおじいさんが来るのを見て,やったあと思いました。なぜなら家に帰れると思ったからです。でも,先生たちに,「本人の親じゃないと,帰れません。」といわれてショックでした。そして,私の親はむかえに来ませんでした。
その後,校庭から新山神社にひなんしました。それで何分か待っていると,津波が見えました。私は今度こそ死ぬんだと思いました。
そして,山を登ってクリーンセンターに向かいました。クリーンセンターに着いた時は,助かったと思い,嬉しかったです。でもやっぱり親が心配でした。
一泊して次の日は,雄勝森林センターにひなんしました。長い道だったけど,がれきの中を歩いてがんばりました。そして、私の家の近くの元雄勝小学校校長先生とお兄ちゃんがむかえに来ました。私はとってもとっても嬉しかったです。
でも、おばあさんとおじいさんが来ていないので、死んだのかなと思いました。そしたら、生きていました。会った時は大泣きしました。
私はガソリンスタンドの方、消防署の方、社会福祉協議会の方などに感謝しなきゃと思いました。そして,私は雄勝がまた復興しますようと願っています。
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この作文では,「私は,死ぬんだなと思いました」「私は,今度こそ死ぬんだなと思いました。」「でも,おばあさんとおじいさんが来ていないので,死んだのかなと思いました。」と,何度も死に直面した場面が出てきます。
こういった状況の中を暮らしていた子供達の心のケアを目的に,徳水先生はプログラムを進めていました。
版画「希望の船」
「希望の船」は,本プログラムのテーマ「震災体験を記録しよう」のまとめとして9人の子供達によって製作されました。
左側から,過去,現在,未来を時系列で表現しています。
一番左側は津波により町が被害を受けている場面です。小学校校舎と波の渦が描かれています。その様子を手前の山から見ている住民。その中に一人目を背ける子供がいます。それがK子さんです。
右側は,復興した未来の町,そして笑顔の家族を描いています。下側に描かれた復興の歩み。避難所での焚き火や,復活した獅子舞,再開されたホタテ養殖,雄勝法印神楽が描かれています。
そして中央に描かれているのは伊達政宗の時代,雄勝で作られ,支倉常長率いる慶長使節団がヨーロッパに向かったとされるサン・ファン・バウティスタ号をモデルにした「希望の船」です。
子供達は船に乗り,過去から未来へと向かっていきます。
子供達が版画「希望の船」を製作した感想文を紹介します。
【感想文1 N子】
私は,あの三・一一の暗い事と明るい未来の事を,そして船を彫りました。私達が体験した三・一一からにげずに前へ進んでいくという思いで,この共同製作の版画にいどみました。後世に伝えた行かなくてはならないこの版画を見て,思い出してもらうことや,後世に伝えていくことができるのではないでしょうか。そして,私達もわすれかけている時に版画を見て,その震災を思い出せると思います。私はこの共同製作「希望の船」を製作してよかったなあと思います。私はもう転校しますが,転校した学校でできた友達にも,この「希望の船」のことを教えようと思います。私の大切な思い出です。
【感想文2 R男】
この「希望の船」は,最初はいやだったけど,雄勝のことを思い出してやってみたら,うまくやれました。時にはふざけたりあきたりしたけど,でも三月十九日に彫りができてよかったです。また機会があったら,やりたくないけどやりたいです。これからもこの「希望の船」が太陽に向かって進むように,前へ,前へ,ちょっとずつでもいいから,進んでいけたらいいなあと思います。雄勝にいたころの思い出や友達,雄勝の伝統,ふるさと,津波にのみこまれた人,雄勝小学校,家族,宝物がすべて流されたけど,これからも死んだ人の代わりに,生き続けたいです。
20日の当日は,全員ではないですが,子供達が見に来てくれることになりました。
3年経ち,「希望の船」はプロジェクションマッピングの作品となり神社の拝殿の上で出航します。
9月20日 18時45分から,「希望の船」出航です。