トークレポートをお届けします。
vol. 38 2014-12-07 0
※12月4日の内容です。
12月4日の上映後トークショーには、エネルギー学者でNPO法人環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんをお迎えした。舩橋監督とは、昨年4月のチェルノブイリ原発事故27周年の日に、山口・下関市で上映された前作の上映会の際にも、井戸川前町長とともにトークを行っている。今回も話題は映画の感想から、12月14日を前に総選挙後の原発行政のゆくえなど、幅広く、そして熱く語って頂いた。
舩橋:まず、映画をご覧になられていかがでしたか?
飯田:そうですね、私は井戸川前町長も実際にお話したこともありますし、第一部を見た時以上に、現在進行形の話だと感じました。改めて3・11を原点として日本史の中に組み入れられるべき内容が描かれていたとおもいます。
舩橋:飯田さんにお尋ねしたいのは、やはり「電力の自由化」がなぜ日本ではできないのか?ということです。欧米では当たり前に実現できていることですし、自分の意志で電力を選べるようになるべきだと僕は思います。それが民主主義だとおもうからです。
飯田:はい。民主主義といわれるのは大げさでも何でもなく、私もそうあるべきと考えています。「自分たちの社会をどう作るか?」というのはとても大切な事。エネルギーというのは確かに見えにくいけれども、本来意識して、各自が良いと思えるものを選び取っていかなければならないですよね。その気になれば技術的にも実現できてしまうのが今の世界です。たとえば、ドイツでもチェルノブイリ事故後に同じような取り組みがありました。再生可能エネルギーを中心とした小さな電力供給会社がたくさんでき、結果として、ドイツでは最大規模の電力会社ですらも、今後再生可能エネルギーをメインの電力として推進していくことを決定しています。2000年には全体のわずか6%だった再生可能エネルギーは、現在、31%になっているくらいです。原子力の14か15%と比べても、大きな数字です。
舩橋:原発はもしもの時に、ものすごくお金がかかりますよね。今回の福島第一の事故だって、20兆円と試算されている賠償額も、国家予算が90兆円ですから驚くべき金額です。もし歳入がその半分と考えれば、予算の約半分ものお金が賠償にもっていかれてしまいます。それはなんて非効率な電力なのだろうと。それに、自分が映画で描きたかった事ですが、原発は人間性を奪うものです。たかだか40年足らずの繁栄のために、1,000年以上の歴史のある土地がなくなり、地元のコミュニティはズタズタに切り裂かれてしまう。ちなみに、ドイツとフィンランドで前作を上映したときに、「日本人はアメリカに似ているのではないか。それは経済と倫理をごちゃまぜにしていることだ」なんてお客さんに言われましたけど、なるほどなとおもいました。
飯田:倫理と経済の話でいうと、大飯原発の再稼働禁止について、福井地裁が出した5月の判決は、「原発の本質的な危険性」を指摘して、発電コストよりも「生存にかかわる人格権」が優先するとして、関電に運転差し止めを命じました。あれは非常に分かり易い言葉で説明されていて立派だなとおもいました。日本にも、そういう決断を下せる人はいる。いや、むしろ良識のある方が本当は圧倒的多数ではないでしょうか。問題は、誰かがそれをごちゃごちゃにしているということなんです。現に、あれだけの事故が起きたのに、東電の誰1人として責任を問われていない。きちんと社会的・あるいは刑事責任を取らせないと。こうした正義が守られないと、社会全体のモラルが崩壊してしまいます。
舩橋:なんでも「米国では」と言いたくないのですが、2010年のメキシコ湾の原油流出事故では、事故を起こしたBP社、国際石油資本でスーパーメジャーとまでいわれている大企業ですが、あの場合、同社は刑事訴追されましたよね?なぜ、日本ではそれができないのでしょうか?
飯田:日本では責任が個人に落ちていかないですよね。いや、こうした責任の所在があいまいになる原因をつくった人間はかなり特定できていますよ。しかし、現実には誰も血を流していない。司法から追求するにしても、検察・警察も動かないから手続き上、誰も責任を問わない。やはり譲るべきでないところはきっちりとすべきなんです。時間が経てば立つ程、こうしたことは対処するのが難しくなってしまいます。私は事故直後、管元総理大臣にも腹をくくって、そうした責任のある人物のクビをとってほしかったと考えています。
舩橋:12月14日はいよいよ衆議院選挙が控えています。しかし、このまま自民党が圧勝した場合、エネルギー政策はどうなってしまうのでしょうか?
飯田:やりたい放題になるでしょうね。あらゆる遠慮をかなぐり捨てて。2年前の選挙の時は、いちおう「原発には依存しない」という公約を立てていた自民党ですが、今回は多少むちゃくちゃをやってもイけるだろうとタカをくくっているとおもいます。再稼働はもちろんですが、それ以上に大変な事が次々に起こってくるとおもう。特に、自然エネルギーや発送電分離に象徴される電力自由化は、どんどん骨抜きになるでしょう。例えば、電力小売自由化をしたとしても、本当に取られた困る送電線は握っていますから、実質的に独占の体制は崩れません。また、法律にも安定供給を前提とした文言が付加されていたり、原発を使い続ける逃げ道がきちんと用意されています。原子力は彼らのいう「ベースロード電源」として、当面使っていくことになるでしょう。稼働延長も含めて、本当にやりたい放題になることが予想されます。
舩橋:一番苦しむのは、電力料金としてそれらのコストを支払っていく庶民ですよね。本当に今回はそうしたことのきっかけになる選挙になってしまうかもしれませんね。この映画で描いたとおり、最終的にはすべて庶民が大変な目に遭わされてしまう。本作をできるだけ全国各地で上映して、原発を使うことの真の意味を、問い続けていきたいと思っています。本日は、ありがとうございました。