ロケ地ご紹介⑥ピアノバーおでんでん
vol. 37 2019-09-30 0
ロケ地ご紹介⑥ピアノバーおでんでん
にしきたにあるピアノバーおでんでん!
この店に導かれるように足を踏み入れたこと、阪神淡路大震災の記憶、東日本大震災の被害に心痛めたこと全てが繋がらなかったらにしきたショパンは世の中に存在していなかったと思います。
普通に定年退職を迎えてサラリーマンらしいセカンドライフを歩んでいたに違いありません。
おでんでんのマスター泉高弘さんはまさに達磨のようなお顔!その風貌からは、まさか市立京都芸術大学卒業のピアニストとは!県立西宮高校の音楽教師だったとは思えませんでした。
しかし、達磨先生のショパンは心に響く音がします。そのピアノは達磨先生の師であり、市立京都芸術大学で故下村和子先生から震災後にピアノバーを始めるために譲り受けたもの。
達磨先生が出版した「西北バー物語」を読んで達磨先生がピアノバーを経営するまでの経緯を知りました。
一階にある「さくら咲くころ」も達磨先生の経営。ピアニストであるはずの手で焼鳥を焼いてくださいます。
泉高弘さんは県立西宮高校で音楽を教えたあと、阪神淡路大震災で全壊した北口市場(現在のアクタ周辺)にオープンした小さなバーを失います。
その後、今のピアノバーおでんでんをオープンするまでにも物語があり、そのことは「西北バー物語」の一文一文から伝わってきます。
一階の居酒屋さくら咲くころの入り口横のガラスに、萬膳(私はおでんでんではこの焼酎を気にいって飲んでいます)という焼酎の杜氏の言葉が引用された一文が書かれています。
達磨先生にとっても、私にとっても大切な言葉です。
是非お立ち寄りいただき読んでいただければと思います。杜氏も全ての味をコントロールすることはできません。杜氏としてやるべきことを全てやりきり後は自然の力、時間、素材そのものが素晴らしい味の焼酎に仕上げるという意味が込められていると思います。それは杜氏として本質を知る人の言葉であり、謙虚で誇りある素敵な言葉だと感じています。
そんな達磨先生も、バーのマスターではありますが音楽家、音楽教育者としての本質を知っている方だと思います。
音楽教師を辞めて長らく時が流れましたが、にしきたショパンでかつて高校教師頃のように主演の水田汐音さんに本当の音を教えておられました。
にしきたショパンは、達磨先生とバーに通うサラリーマン(私の分身)、バーに通ういろいろな人物との出会いを書いたサラリーマンの書いた拙書「マスター先生」、のだめカンタービレの音楽監修をされた指揮者茂木大輔さんが帯に書いてくださった帯の推薦文、そして竹本監督との出会いと繋がって撮影にいたりました。
竹本監督は映画に対して、役者に対して厳しい目をもった監督です。プロデューサーとしてのお願いで達磨先生役に泉高弘さん本人を、達磨先生のショパン演奏録音は泉高弘さん自身の音をとお願いしました。
竹本監督からは映画俳優として未知数な泉さんの起用には慎重でしたが、今では竹本監督も泉先生の大ファン!
ピアノバーおでんでんで聴く達磨先生の生のピアノ演奏素晴らしいです!
でも押し掛けないでください。私の座る椅子だけは1つ空けておいていただければ!
にしきたショパンは他にも宝塚、西宮、尼崎の個人邸三ヵ所で撮影しています、また夙川や西宮北口周辺の道路でも撮影させていただきました。
全てのロケ地が記憶に残る場所でした。
ロケ地ご紹介シリーズは一旦ここまでとなります。クラウドファンディング終了後も左手のピアニストのことなどアップデートは続けていきたいと思います。
無事クランクアップを迎えられた
こと心より感謝します。
にしきたショパン
プロデューサー
近藤修平
写真は達磨先生が、バーをオープンした頃に着ておられた白いバーテンダー姿でショパンを弾く姿。
達磨先生の新しい教え子!にしきたショパン主役水田汐音さん!
達磨先生と出会い、東日本復興支援作品募集に応募し、書籍化されたプロデューサーの素人小説「マスター先生」※香盛(こうもり)修平はペンネームです。ヨハン・シュトラウスのこうもりと、香りあり、先に盛りがあることを願ってつけたものです。
最後の写真は大切な言葉。