マイノリティとマジョリティ
vol. 3 2020-11-03 0
私は中途障害者でもともと健常者。
そんな言い方もどうかと思うんですが、それはさておき。
車いす生活になっていろいろと大変でした。
それでも周りが思っているよりは大変じゃなかったりします。
大きな理由のひとつとして、私の幼馴染が小児麻痺で車いすの生活をしているからです。
大人になり自動車を運転するようになってからは彼女と一緒に良く買い物に行ったりしましたが、行ける場所が限られます。車いすが入れるトイレがあって駐車スペースがあって、特殊な車いすで少々大きく、商品が雑多に並んでいる店舗には入れないので、行ける場所は大型ショッピングセンターなどに限られていました。美味しいもの食べたくてもフードコートとかになってしまう。私は彼女の車いすを押していました。彼女の思っている止めてという位置と、私の止める位置との違いや彼女が快適と思うスピードと私のスピード、タイミング違うんです。いつも「違う違う」「えっ?何がちがうんよ!」と本音で言いあってました。車いすで生活していないと気づけないことも彼女と一緒にいると勝手に身について行っていました。それが当たり前になってたので、自分がいざ車いす生活になった時にはその知識が大いに役立ちました。
私が車いすになってからは当時3歳だった甥っ子が車いすを押してくれたりしました。優しさなのか面白い乗り物だなーと思っていたのかはわかりませんが(きっと好奇心の方)年長さんのころには誰も教えていないのに、一緒に散歩していると小さな段差に気づき、「さく(私のあだ名)、段差あるよ」と教えてくれたりしたのには感動でした。
あぁ、そうそうこれなんだ!
周りにマイノリティがいることで当たり前になっていく。
世間一般、今まで障害者は排除というか隔離というか、何と言っていいのか、身近な存在ではなかったと思います。でも、私は小さいころから幼馴染が小児麻痺でロフストランドクラッチや補装具をつけて日々を過ごしていたり、また、同じ保育所では自閉症の同級生がいました。その頃はもちろん子供なので自閉症とかわからないかったですが、みんなとは少し違うけど、一緒にいるから友達でした。意思の疎通も出来ていたので放課後は公園で遊んだり、自宅で遊んだりもしました。保育所では急に走り出し脱走を試みる彼をみんなで追っかけて先生を手助けしたり、彼ができないことはみんなで助け合い一緒にやり遂げたり、それが当たり前で普通のことでした。
でも、それが当たり前でないことに小学生になって気づきました。
彼と一緒の学校で学ぶことはできませんでした。彼女は見た目がみんなと違うことで奇妙がられました。一緒にいた私たちにとっては普通だと思っていたことがそうでなかった。
大人になり、違いが互いの理解を生むのではなく、いじめへとつながったり排除される社会のシステムに違和感を感じました。今はまだマシになってきたほうだと思いますが、私の幼かったころはまだ違いました。そんな大人が今の社会を作っているのです。
じゃぁ、気づく人がとりあえず動こう!
そんな思いで始めたのがこのプロジェクトだったりします。
相変わらず、整理整頓できない文章ですが、読んでくださってありがとうございます。
たぶん、つづく。。。