vol.ⅻ 今夜、すべての寝床で
vol. 12 2026-02-20 0
vol.ⅻ【今夜、すべての寝床で】 20260220 圓道
どうも、圓道 a.k.a 孤独な一昨日から来た男です。音楽をやっております。
長いことひとりでいるためか、しゃべり方と、物の書き方をほんの少し忘れてしまっているよ。
とりあえず、とりとめもなく、思い出を書いていこうと思う。
監督の仁平氏から映画「みずひたしのくに」の話を聞かされたのは確か去年の7月頃だった気がする。
僕は大学だと喫煙所以外で五十音の発話プリセットをアンインストールしているため、当時初対面だった仁平氏は相当話しかけずらかっただろうなとおもう。
実際、監督からの最初のコンタクトはインスタのDMで来た。確か
「今度ちょっと相談したいことがある!!」
的な感じだったと記憶している。
普段、人間から連絡が来ることなんて間違ってもないから、少し身構えた。
最近は不良が少ない代わりに運び屋とかそういう闇労働の誘いがたくさんあるらしいからね。
もしくは何かしらのハニートラップかと思って、まあそれならそれで乗ってみようということで三文字程度の相槌と記号だらけの応答を返した。
しかし、待てど暮らせど追報が来ない。大学で話しかけるよ、とのことだったのでいつ来られても問題ないように毎朝鏡に向かって笑顔の練習さえしていたと言うのに。
行き交う人からはマハロが探していたぞ、という当たり屋伝書鳩のバードストライクみたいな攻撃を仕掛けられ、それじゃあ実はこの部屋のどこかにそのマハロというやつは隠れているんじゃあないかと思って目を凝らしてみた。
するとある時、私がいつもいる大学スタジオの席を扉の後ろから睨んでいる女がいた。
実は私は霊感があるのでこれは間違いなく人外だ、と思った。
このままだと冷笑界隈が霊障界隈になってしまう!鬼気迫る勢いで昔近所のオッサンが教えてくれた古武術(?)の体位をとろうとしたところ、怯えたそいつが圓道君ですか、と聞いてきた。怖かった。私も怯えた。有名なアスキーアートみたいな顔をしてたと思う。
東南アジアの湿地帯でデカイ哺乳類と相対した時くらいの緊張感の中、マハロさんは「ラップのためのビートを作ってほしい!」と一転空元気に言い放った。
劈かれた緊張感の中で、惹起した私の情緒は明確に一つ。
ハニートラップじゃなくてラップかよ!コンチキショ~
そして同時に、ラップと言われてもな。B-BoyのBの字もない俺にそんなことができるのか?とも思った。
ラップは人並み程度には好きだが、10代の頃から作ってきたのはどちらかと言えばポストロックとかオルタナとかそういうやつだったし、サンプリング文化はほんまに分からへんと言った状態だった。
ただ、話を聞いていくとどうやらそこまでテクいラップをさせたい訳ではなさそう。
そりゃあ地球に取り残された青年が単独でラップやるのに、RedbullマイクみたいなHighガンガンでコンプバチバチのイケてるビートには乗ってないよなと思ったし、みずひたしの世界観におけるHIPHOPっていうのは皆が地球外に飛び立つ前の世界の遺産みたいなものなんだろうなという想像をしながら製作に取りかかったのだ。
そういう見当がついてからは早かった。
みずひたしというモチーフから、それならやっぱり水だろ、と思い。家でCD類を漁ったところ都合よくラヴェルの洋上の小舟を発見。
印象派のサウンドってなんだかキラキラしていて高潔さと無邪気さが同居している感じがみずひたしにピッタリだ。
先述の通り、ビートは20年後?のレトロスペクティブで考えてみた。
模索の結果J DillaとかNujabesみたいなしっとり系で進めていくとこれが相性バツグンだった。
さらに、何故か父が譜面も持っていたのでそれを元にいい感じで弾き直した音源を切り刻んでいく。意外といい感じになった。
しかし何かが足りない。ウンウンとひとりで唸っていてもしようがないのでマハロさんに連絡してみると、みずひたしだし、泡とかー!という返事が来た。
ピピピピーン!良いアイデアが浮かんだ時の音。
水の泡が弾ける音はだいたい500Hzから可聴範囲くらいと聞いたことがある。これでHighを上げればいい感じに全体のバランスが取れるのでは!
実行すると案の定、チョベリグだった。
完成したデモをマハロさんに送る。それじゃあ俳優さんと練習をするために集まろうということになる。どうやらリリックを書くためにラッパーも来るらしい。
正直めちゃくちゃ怯えてた。
同い年とはいえ失礼を働いたら何をされるか分からない。私はあくまで21年間貧弱なやられ役として生きてきたから、最初の出方しだいではチームのパワーバランスが一瞬で決定されてしまうのではないか!と。
借りてきた猫のような愛くるしいフェイスで、電車に揺られる。
当日、集まったのは炎天下の新宿柏木公園。
どうでもいいが私は高校時代この近くの塾に通っていた。集中力の弱い高校生だったため、1日5時間くらいこの公園でボーッとしてた気がする。日中は鳩に餌付けしてるオッサンか河合塾の浪人生しかいない。もしかしたらこいつらとハートフルコメディみたいな展開があるんじゃないかと期待してたが全然そんなことはなかった。
それはさておき、当日、集まった中にラッパーらしき奴はいなかった。俳優さんかっこいいなー、とか人生って塩味ってよりタレ味だよな、とか考えて高校時代を思い出すようにボーッとしていると、遅れました、とジャルジャルの後藤っぽいやつが来た。
これはなんの人だろう。不可思議に首を傾げていると、NCLです、と自己紹介。
こいつがラッパーのナックルだった。事前情報のナックルという名前からキメラアント編のリーゼントの奴みたいなのが来ると思っていたのでとりあえず安堵した。
しかし、練習がはじまり蛍くんのラップ説明に入ると畳み掛けるようなスキルで圧倒される。というか、自分の作ったビートにひとが乗っかってくれるのってこんなに嬉しいんだ、という驚きが弾けた。
概ね共同制作というのはこういう驚きがあるから楽しい。
ナックルは吟じ終わるともう普通の青年だった。恐ろしいほど低姿勢で、バイトの話とかをする感じの。
ただ、その朴訥の後ろに、小さな諧謔の断片に、自分と同じ行く末を見据える眼差しを感じたからこいつが好きだと思った。
その行く末というのは要するにどう昔の自分と折り合いを付けるかということだ。
ナックルや私のように下手によい経歴を引っ提げた男は狡猾に生きていく手段もそれなりに知っている。しかし、それでいいと思っていないから空虚を埋めるように粉骨砕身する。
恐らく、これまで私たちは不毛な競走の中で清冽な劣情をひた齧りながら、それでもと生きてきた。こんな半生の延長線上に人生がダラダラと続いていくのだとしたら、そんなにシケた皮肉はないだろう。
ニヒル混じりにそう吐き捨てるのは簡単だが、踏み出せないから辛辣なのだ。
多くの20代は社会に出る時、空港の保安検査場で没収されるBICライターのように、些細な抵抗を剥奪される。
それでも心に火をつけるためにと、テロリストにでもなったつもりで、モッズコートの内ポケットにしまった廉価のライターを、後生大事に守っている。
どこにでも売ってるやつだ。
そういう奴が結果的に皆集まった。
21歳という、大人とも子供ともとれない不安定であいまいな我々は、何者かになることを求めて、何者かであることを拒否して、時には無理に取り繕い、衝突して、それでもここにいるよと叫んでいる。
思えばロックもブルースもパンクもHIPHOPも、こういう打算を砕いた先人の文化である。
柄にもなく、一切の衒い抜きで言えば、この映画は私にとって青春2.0みたいなものだ。
左脳は疎外だの劣情だのを表明しても、もう片側の脳みそは純粋に何かを形にしていく皆に些細な憧れを抱いていたのかもしれない。
未遂の春が、仁平真羽呂とその友人という暖かい輪郭の精一杯の賛歌によって成就された。
みずひたしのくにで、或いはその製作に関わった全ての当事者の息継ぎは、もはや四六判でも、MP3でも、MP4でも表現できない。
なんだ、苦節なんてどうでもいいじゃないか。
今はまだ、誰にも頷かなくていい。
とにかく、俺ももう少し、このまま生きてみようと思った。
以上
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圓道龍一
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