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急逝した巨匠・松井守男に迫るドキュメンタリー映画の完成をクラウドファンディングで実現!
フランスで「光の画家」として知られ、2000年芸術文化勲章、2003年レジオンドヌール勲章を相次いで受賞した松井守男画伯。2022年に急逝した画伯の芸術と生涯を、未完となった襖絵の制作風景と共にドキュメントした映画です。
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松井守男ドキュメンタリー映画実行委員会
フランスで「光の画家」として知られ、2000年芸術文化勲章、2003年レジオンドヌール勲章を相次いで受賞した松井守男画伯。2022年に急逝した画伯の芸術と生涯を、未完となった襖絵の制作風景と共にドキュメントした映画です。
"France's National Treasure": Morio Matsui. A Documentary on the Master Painter's Unfinished Legacy Bound for International Film Festivals
Project Overview
Morio Matsui, known in France as 'the painter of light,' consecutively received the Order of Arts and Letters (l'Ordre des Arts et des Lettres) in 2000 and the Legion of Honor (la Légion d'honneur) in 2003. This film documents the art and life of the master painter, who passed away suddenly in 2022, including scenes of his unfinished fusuma (sliding door) paintings.
*The introduction in English can be found at the bottom.
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★ 最新情報はこちらからご覧いただけます ★
松井守男ドキュメンタリー映画実行委員会 公式SNS
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松井守男画伯はフランスで50年以上にわたり創作活動を続けた画家です。フランスでも日本でも画壇・画廊に属さず、独自の表現を追求し続けた姿勢から「サムライ画家」と呼ばれ、その芸術性は高く評価されてきました。
日本での一般的な知名度は高くありませんが、私たちはこれまで松井画伯のテレビ番組を4本制作し、特に2021年1月放送のNHKEテレ「日曜美術館」の特集では高視聴率をマークし、多くの反響が寄せられました。
次は世界に向けたドキュメンタリー映画を作ろうと、京都の黄檗宗大本山萬福寺での襖絵制作という新たなプロジェクトを開始し、画伯も自身の集大成として気迫のこもった制作風景を撮影していたのですが、2022年5月に虚血性心疾患で急逝されてしまいました。
突然の別れに打ちのめされましたが、松井画伯の芸術と生き様を永く伝えるため、未完となった襖絵の制作風景と15年間撮り溜めてきた映像を基に、新しくインタビュー撮影も行って、ドキュメンタリー映画の完成を決意しました。
世界の映画祭への出品を通じて、松井画伯が追求した光の表現を、より多くの人に届けたいと考えています。そのために最後の追加撮影と仕上げの費用、映画祭出品のための外国語版制作費として、どうか皆様の温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
松井画伯の代表作をまとめたポートフォリオをこちらからご覧いただけます。
1942年愛知県豊橋市に生まれた松井画伯は、1967年武蔵野美術大学を卒業後、フランス政府の国費留学生として渡仏しました。パリのアカデミー・ジュリアンと国立美術学校で学び、以来フランスを拠点に創作活動を展開しました。
松井画伯は純粋に自分の芸術を極めるために一匹狼のスタイルを貫きましたが、その孤高の姿勢は次第に認められ、2000年にフランス政府より芸術文化勲章、2003年にはレジオンドヌール勲章を相次いで受章しました。2005年の愛知万博ではフランス・ドイツ館のフランス代表公式画家として選出され、シラク大統領から「わが国の至宝」と賞賛されるまでに至りました。
松井画伯の芸術人生において最も重要な出来事の一つが、晩年のピカソとの出会いでした。ピカソが亡くなるまで親友であった画家のピニョン夫妻の紹介で、若い松井青年は憧れのピカソと親交を重ねました。
「お前は私のような画家になれる。だがピカソになろうと思うな。松井守男になれ。」というピカソの言葉が、松井画伯の生涯を支えてくれました。
しかし芸術の道は決して平坦なものではありませんでした。最期に一つ作品を残して死のうと決意するまで追い詰められました。その時たまたまパリの画材屋で見つけた一番細い面相筆を用いて、215×470cmのキャンバスに2年半かけて描き続けた作品が1985年の『遺言』です。
初めは全てに絶望し、自分の中の怒りや恨みをキャンバスに叩きつけるように描いていたのですが、次第に時を忘れ無心で描いているうちに、いつしか不思議な光が現れ、ついに独自の光の表現を見出し、「光の画家」としての評価を確立することになりました。その後、使用した筆が故郷・豊橋の名産品であると知り、友人たちが日本から送り続けて支援してくれたことは、画伯にとって大きな励みとなりました。
1997年在仏30周年を記念する個展がコルシカ島アジャクシオのフェッシュ美術館で開催され、これを機にパリから「麗しの島」と呼ばれるコルシカ島へ拠点を移しました。「死なずに行ける天国」と画伯が呼んだこの島で、喜びを爆発させるように新作が次々に誕生し、また煌めく地中海の光の中で、風光明媚な風景を水彩画に描いて新境地を開き、愛猫と共に満たされた日々を過ごしていました。
コルシカ島で生み出された作品の中で後に「キリスト3部作」と呼ばれる作品は、最初アジャクシオの教会に飾られ信者の間で評判を呼び、パリのサン・サルピュス教会、バチカン、聖地ルルドの泉で巡回展示されました。
コルシカ島のアトリエにて。作品の上でくつろぐ愛猫・モンネコに優しく語りかける松井画伯。
1901年世界初のゴッホ展を開いたパリの著名なベルネーム・ジューヌ画廊は、セザンヌやモネなど印象派の画家を支援し、マティスやボナールが長期間専属契約していた老舗画廊です。
5代目画廊オーナーの故ミッシェル・ドーベルヴィル氏は若い時から松井画伯の作品に注目し、才能を高く評価して次のように語っています。
「松井は自分の内にある日本人としての伝統と、欧州人ならではの絵画に対する文化的な感性を併せ持ち、この二つを融合することに成功している。彼はまた筆使いをも芸術にし、最も大切な本質そのものを描き出す表現力を体得している。」
2007年10月松井画伯の在仏40周年を記念して、この画廊で3回目の個展が開催されました。
ベルネーム・ジューヌ画廊HP(現在は閉店)
https://www.gpf-dauberville.com/en-home
2008年1月銀座シャネルのネクサスホールで行われた個展の後、長崎県の五島列島を訪れた松井画伯は、キリシタン弾圧の歴史が色濃く残る久賀島を案内され、そこで廃校になった小学校に出逢います。島民の方たちが大切に守ってきた木造の学校に魅了され、ここで絵を描きたいと熱望しアトリエとして使用することが許されました。この時からコルシカ島と久賀島2拠点での制作が始まり、10mの大作が次々に生まれていきました。
2010年松井画伯の故郷である豊橋市美術博物館で画伯の回顧展が開催され、2014年には長崎県美術館で日仏文化協力90周年公式展が開催、10mの大作17展を含む油絵151点が展示され話題になりました。
「コルシカ島は印象派の画家たちを魅了した地中海の煌めく太陽の光。五島列島・久賀島は深く静かな月の光。光や湿度が全く違うから絵の具が乾くスピードも変わって、それが絵に良い影響を与えてくれる」と語っていました。
京都の萬福寺は日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山で、1661年中国の隠元禅師によって開創され、明朝時代の伽藍建築で有名です。萬福寺での40枚以上に及ぶ襖絵制作は、松井画伯の集大成となるはずはずでしたが、2022年5月に79歳で急逝され、未完の大作となってしまいました。
坐禅や読経にも参加して、全身全霊で挑まれた画伯の気迫とエネルギーは、スクリーンを通して観る人を圧倒することでしょう。
「描いて描いて、無に至る」
ストイックに己の芸術を追い求め、アート業界の因習に挑みながら、自由に芸術家としての生涯を全うした松井守男。
フランスで培われたエロティシズムを起爆剤に、己の限界を超え、昇華させるように描き続けた創作の秘密とは何か、作品に込めた想いとは何かを探ります。
私たちは30年以上前に松井画伯と出会い、その作品から放たれる美しい光の表現と温かな人柄に魅了され、長年取材を続けてきました。しかしテレビという一過性の媒体だけでは、画伯の芸術と生き様を十分に伝えることはできません。この映画を通じて、松井守男という稀有な芸術家の足跡を、確かな記録として残したいと考えています。
松井画伯の作品は永遠に生き続けますが、彼の生き様を50年後・100年後の人たちにも伝えたい。後世の人たちが再発見するときに貴重な資料になるよう、この映画を完成させたいと願っています。
今を生きる同時代の人たちにも、松井画伯の生き様を通して『自分自身を信じて誠実に頑張れば、いつか必ず道は開ける!』というメッセージを受け取っていただければ幸いです。
松井画伯が命懸けで描いた作品を一人でも多くの方に見ていただけるよう、世界の映画祭に出品したいと考えています。
撮影の8割は終了していますが、完成に向けて最後の追加撮影を行いたいと考えています。
日本語版完成のためのスタジオ編集・音響費、完成した映画をヨーロッパやアメリカなど世界の映画祭に出品したいと考えており、外国語版の作成にも資金を必要としています。
国内上映については世界の映画祭出品後に行いたいと考えています。その時には上映と同時期に作品展を開催したいと考えているので、どうか引き続きの応援もよろしくお願いいたします。
今後のスケジュール(予定)
追加撮影 2025年6月
編集仕上げ 2025年7〜8月
英語版制作 2025年8〜9月
海外映画祭出品 2026年
国内上映 2026年末
支援金の使い道
追加撮影・仕上げ(スタジオ編集・音響費) 300万円
外国語版制作費 200万円
撮影は8割済んでおり、残りの資金をプロダクションファンディングで挑戦しているので、もし目標金額に達成しなくても不足する資金はチームで補填し、この映画を完成させ海外映画祭への出品を実現します。
ただし国内上映の時期が遅れたり、上映の規模を縮小する可能性があります。やむを得ない事情によりプロジェクトに遅延等が発生した場合は、メールやアップデート記事にて速やかに進捗をご報告いたします。
監督・編集 吉峯美和
1967年、東京生まれ。フリーランスの映像ディレクターとして、美術ドキュメンタリーや海外紀行番組を手がける。
代表作には『コルシカの光にほれて〜フランス 画家・松井守男』(NHK BShi 2004)、ETV特集「我々はどこに行くのか〜池澤夏樹とゴーギャン 文明への問いかけ』(2009)などがある。『平塚らいてうと市川房枝〜女たちは解放をめざす』(NHK Eテレ 2013)でギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』(2019公開)を初監督したことで、第26回女性文化賞を受賞した。
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監督コメント> 愛を描く、コルシカのサムライ
松井守男さんの絵画の中にはよく、「愛」という文字が描かれています。
美しい光をたたえた抽象画の下絵には、実は人間の愛の行為が描かれていて、それが不思議なエネルギーを放つ源になっていると言うのです・・・
類まれなアーティストの創作の秘密に迫りたい!もし彼が100年後に残る画家だとしたら、この映像も100年後に残るのではないか?というのが映画を撮り始めた動機でした。
フランスと日本を行ったり来たりで撮影した15年。サムライのように孤高に芸術を追求した、しかし少年のように愛にあこがれ続けた、一人の画家の人生が最期の大作へと導かれていく、奇跡のような時間をとらえました。彼が描こうとしたものは何だったのか・・・やがて松井守男の絵画世界に、映像で挑戦したいと考えるようになっていったのです。
撮影監督・映像美術作家 南幸男
芸術家と現場を共にするのが楽しい。
いわさき ちひろ、岡本太郎、草間彌生、篠原有司男、勅使川原三郎、中川幸男、日比野克彦、ホリ・ヒロシ、松井守男、横尾忠則、(あいうえお順、敬称略すみません)を撮る。
勢いついて自身も映像美術作家に。
社会派ドキュメンタリー映画として『プリズン・サークル』(2020年)、『この星は、私の星じゃない』(2019年)等多数。
<撮影監督コメント>
初めて出会ったのは2004年。
9年後コルシカのアトリエ昼下がり、画伯はボルサリーノの愛用パナマ帽に、俺の息子 南幸男 と記し、同時にコルシカのMORIOジイチャンより とも記し、オレの兄弟と言いながら、帽子をプレゼントしてくれた。
私は画伯の息子、孫、弟になった。
松井さんとの撮影はよくセッションになった。松井さんがキャンバスに向かい鬼の形相、カメラマンはキャンバスを背にして松井さん正面に仁王立ち、クローズアップで表情を捉える。『よーっし来たぞ、来たぞー 』と唸りながら、カメラと私の体を透き抜け、『ウーン、アーン』と画筆がキャンバスであえいでいた。
描く、撮るの波長が合った。
お父ちゃん、お爺ちゃん、兄貴、脳内映像まで撮れたかもよ。
プロデューサー 村山若葉
フリーランスでPR担当をしていた1990年松井画伯と出会い、抽象と具象の狭間のような絵画を初めて目にした時、作品から放たれる光になぜか涙がこぼれました。さざなみのように深く静かな余韻がいつまでも心に残っていたのを覚えています。
松井作品は見る人の心に委ねられています。どんな見方をしてもいい。芸術に正解はありません。どうか心を開いて作品と向き合ってください。この映画がそのきっかけとなれば嬉しいです。
皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。
1. お礼メール
プロジェクトへのご支援に対する感謝の気持ちを込めて、お礼のメールをお送りいたします。
2. 特製ポストカード3枚セット
松井画伯の代表作を厳選した、美しい色彩の特製ポストカードです。
3. 特製キーホルダー
平和の祈りと万物の調和を願って描かれた作品《両界曼荼羅》をモチーフにしたキーホルダーです。
※ サイズ:幅4×全長7.5×厚さ0.3cm
※ 素材:合成皮革
4. 豊橋・豊麻神社 奉納手筒花火
松井守男画伯の故郷・豊橋市下地町の豊麻神社で実際に奉納された手筒花火です。この神聖な奉納品には、無病息災を願う氏子たちの想いと、450年以上の伝統が宿ります。豊橋地域では古くから、奉納後の手筒花火は玄関や床の間に飾って大切にされています。2025年4月例大祭にて奉納されたものをお渡しさせていただきます。(限定5個)
※ サイズ:直径7cm×高さ30cm(個体差あり)
5. 特製スマートフォンケース
画伯の作品をデザインしたスマートフォンケースです。
お申し込みの際に以下の情報をご連絡ください。
①お使いのスマートフォンのメーカー・機種
②絵柄(A:青系、B:赤系)
※ お申し込み前に
「対応機種一覧」 をご確認ください
※ 機種によってケース、印刷の仕様が変わることがございます
※ 画像はiPhone用ケースのイメージです
※ 絵柄の色味はイメージと異なる可能性がございます
6. 図録『こころの光展 松井守男』
2008年、『ペトロ岐部と187殉教者列福式』を記念した展覧会の図録です。殉教の歴史をモチーフにした新作や『キリスト・マリア三部作』などを収録。日仏の著名人による寄稿を含む一冊です。限定50冊(30ページ 日本語)
7. 図録『松井守男回顧展』
2010年、豊橋市美術博物館で開催された初の回顧展の図録です。高校時代の初期作品から、パリ時代、代表作《遺言》、そしてコルシカ島での近作まで、画伯の50年の軌跡を約70点の作品で紹介。美術評論家による詳細な論考も収録した貴重な一冊です。限定50冊(136ページ日本語)
8. 図録『ベルネーム・ジューヌ画廊個展』&特典映像
1901年に世界初のゴッホ展を開催し、セザンヌ、マティスなど印象派の巨匠たちを世に送り出した名門ベルネーム・ジューヌ画廊での在仏40周年記念展(2007年)の図録です。18世紀末に創設されたこの歴史ある画廊で3度目となる個展を記念し、画廊主ミッシェル・ドーベルヴィル氏が「日本人としての伝統と欧州の文化的感性を融合させた偉大なる画家」と評した松井芸術の真髄に迫ります。駐日フランス大使、ユネスコ事務局長らによる寄稿文と代表作を収録した貴重な一冊です。さらに、ドーベルヴィル氏へのインタビュー、個展の模様、松井画伯の紹介映像を含む15分の特典映像付き。この映像は2008年に東京・銀座のシャネル・ネクサスホールで開催された個展会場でも放映されました。 ※限定30冊(97ページ 日仏語)
9. 図録『光の画家 松井守男展』&特典映像
2014年、長崎県美術館で開催された大規模個展の図録です。縦2.15m×横10mの大作群をはじめ、油彩画、パステル画、水彩画など約200点を収録。松井画伯の集大成といえる作品の数々を、美しい図版で紹介した図録です。さらに、五島列島・久賀島のアトリエで、島の若い夫婦をモデルに下絵を描く熱のこもった制作風景を中心とした、松井画伯の紹介映像を含む9分の特典映像付き。この映像は展覧会会場でも放映されました。限定10冊(日本語)
10. 特製アートプリント《遺言》
画伯の転機となった代表作を高精細なジークレー版画で複製。2年半の歳月をかけて描かれた光の表現を忠実に再現しました。
※ 原画:1985年制作、油彩・キャンバス、215×470cm
※ 複製画サイズ:13.6×29.7cm
※ 額装あり(水彩額縁)
11. 特製アートプリント《マツイ富士》
最晩年期の渾身作を高精細なジークレー版画で複製。躍動感あふれる色彩に浮かぶ神秘的な富士山を丁寧に再現しました。
※ 原画:2021年制作、油彩・キャンバス、73×92cm
※ 複製画サイズ:48×60cm
※ 額装あり(油彩額縁)
12. 公式HP・エンドロールにお名前掲載(小・中・大)
映画の公式HP(2026年末予定)とエンドロールに、ご支援いただいた方のお名前を掲載させていただきます。
13. 企業向け 特別協賛クレジット
映画のエンドロールおよび告知ポスターに、貴社名とロゴを掲載させていただきます。掲載内容の詳細は、お申し込み後にご相談させていただきます。
※ ポスターは国内での映画公開時(2026年末予定)に作成いたします。
▶︎お申し込みの手引き
お申し込み方法を分かりやすくまとめた手順書をご用意いたしました。下記リンクからご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございます。
この映画を松井画伯と一緒に観ることはできませんが、きっと天国で誰よりも完成を楽しみにしていることでしょう。松井画伯への感謝を込めて、一人でも多くの方に届くよう祈りながらこの映画を完成させますので、皆様の温かいご支援を心からお願い申し上げます。
松井守男ドキュメンタリー映画実行委員会(matsui-cinema)
代表:村山若葉
Introduction
Morio Matsui pursued his artistic career in France for over 50 years. Without affiliating himself with any art associations or galleries in either France or Japan, he remained dedicated to his own unique expression. His unwavering pursuit of originality earned him the nickname "Samurai Painter," and his artistry has been highly acclaimed.
Born in 1942 in Toyohashi, Aichi Prefecture, Japan, Matsui moved to France in 1967 as a government-sponsored international student after graduating from Musashino Art University in Tokyo. He studied at the Académie Julian and the École Nationale Supérieure des Beaux-Arts in Paris, making France his base of artistic creation.
Matsui remained independent in his quest to refine his art. However, his uncompromising dedication gradually gained recognition. In 2000, he was awarded the Order of Arts and Letters (l'Ordre des Arts et des Lettres) by the French government, followed by the Legion of Honor (la Légion d'honneur) in 2003. In 2005, he was selected as the official representative painter of France for the France-Germany Pavilion at the Aichi Expo. President Jacques Chirac praised him as "a national treasure of France."
A Life Shaped by Picasso's Words and the Discovery of Light
As a young artist, Matsui had a fateful encounter with Pablo Picasso. Picasso told him: "You can become a painter like me. But do not try to be Picasso. Become Morio Matsui." These words became a guiding force throughout his artistic career.
However, the path of an artist is never easy. Overwhelmed by creative struggles, he once decided to paint a final masterpiece before ending his life. That work, meticulously painted with a fine brush over two and a half years, became "Testament." This marked the turning point in his artistic career, establishing his distinctive style of capturing light and securing his place in the art world.
Galerie Bernheim-Jeune: A Legendary Parisian Gallery
Matsui's work was highly valued at Galerie Bernheim-Jeune, the prestigious Parisian gallery that supported Cézanne and Renoir and hosted the world's first Van Gogh exhibition. In 2007, he held a solo exhibition there to commemorate 40 years of his life in France.
The late Michel Dauberville, the gallery's fifth-generation owner, once said: "Matsui successfully blends the tradition of Japanese heritage with the European sensitivity toward painting. He elevates brushwork itself into an art form, mastering the essence of true expression. Among great painters, he stands out as an exceptional figure."
Encounters with Corsica and His Remote Atelier in Japan
In 1997, to mark his 30th anniversary in France, Matsui held an exhibition at the Fesch Museum in Corsica. Captivated by the island, he relocated his studio there, calling it "a heaven on earth where one can go without dying." His "Christ Trilogy" series, created during this time, was exhibited in the Vatican and Lourdes.
From 2008, he also utilized an abandoned school on Hisaka Island in the Goto Islands of Nagasaki, Japan, as his atelier. Inspired by the contrast between the sunlight of Corsica and the moonlight of Hisaka, he produced a series of 10-meter large-scale works.
His Final Masterpiece and the Purpose of This Film
In 2021, Matsui embarked on what was to be the grand culmination of his artistic journey—creating over 40 fusuma paintings for Manpuku-ji Temple in Kyoto, a major Zen Buddhist temple of the Ōbaku sect. However, in May 2022, he passed away at the age of 79 due to heart failure, leaving his masterpiece unfinished.
The overwhelming passion and energy with which he approached his art will undoubtedly captivate audiences on screen. Through this film, we aim to preserve the legacy of Morio Matsui as an invaluable historical record.
His artworks will endure for generations, but we also strive to ensure that his life and philosophy continue to inspire people 50 or even 100 years from now. We hope this film will serve as an essential resource for future generations rediscovering his work.
We also wish to convey his message to our contemporaries:
“If you believe in yourself and remain true to your path, a way will always open.”
We aspire to present this film at international film festivals worldwide, allowing as many people as possible to experience the brilliance of Matsui’s work.
Future Plans & Call for Support
We plan to complete additional filming and final editing between June and August 2025, aiming for submissions to international film festivals in 2026.
Although 80% of the filming is already complete, we require an additional 5 million yen for final editing and English-language production. Any shortfall will be covered by our production team to ensure the film’s completion.
To bring Morio Matsui’s art to a global audience, we sincerely ask for your support.For our supporters from overseas, we have prepared a reward package that includes having your name listed on our website and in the end credits. We sincerely appreciate your generosity.
Suggested Support Amounts:
(1)JPY 3,000 – A thank-you email (August 2025).
(2)JPY 10,000 – Your name will be listed on the official website (December 2026).
(3)JPY 40,000 – Your name will be listed on the end credits (small) (December 2025).
(4)JPY 150,000 – Your name will be listed on the end credits (medium) (December 2025).
(5)JPY 400,000 – Your name will be listed on the end credits (large) (December 2025).
▶︎ Application Guide
We have prepared a step-by-step guide to help you easily complete your application.
Please check the link below for details.
3000 円
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残り3枚
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残り42枚
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