そういえば。
vol. 7 2015-07-05 0
昨日の、制作発表会のはなしで、
会としては、とても盛り上がったし、
良かった、よかっただったわけだけど、
そんなことはどっちでもよくて。
昨日ボクは、大きな解がぽとりと胸に落ちたんです。
ボクと、利重剛さんと、増原と影山と壇上で、
他愛のない話を4人でしているとき。
利重さんが、
『役者なんてのはプロもアマもないですね。
だって、人間なんてのは、日常生活で
いつだって誰だって芝居をして生きているものだから』
という話をしました。
それはまぁ、そう思います。
そのあと影山が、それをフォローするように、
その利重さんの 芝居 という言葉を 偽り と置き換えて、
「ほんとにそうです。ぼくなんてずっと偽りだらけで、
もはやどれがほんとの自分なんかわからないですから」
と続けたんですね。
そして加えて、
「(井川さんや利重さんのように)ありのままの自分で生きていける。
そんな強さというようなものは自分にはなくて、
ペルソナ、つまり仮面をかぶって生きていく道しか自分にはなかった。
だから。
そのかぶらなくてはいけない仮面が多いと混乱してしまう」
んだと言ったんです。
まぁ、深刻でもネガティブでもない言い回しだったし、
とりあえず会話を拾ったというだけだったけど、
「でもいまは、カフェ店主という(誰もが納得する)仮面がひとつあることで、
随分と楽になりました」
と言ったことにボクはなんか打たれてしまったんですね。
そんなことをボクは考えもしてこなかったし、
ボクとしては、マメヒコのボクともともとのボクのあいだに、
何の段差もないから。
すると影山はまた会話をつなごうと、横にいた増原に、
「増原さんも、声楽家という(誰もが納得する)仮面がひとつできたことで、
随分と楽になったんじゃないですか?」。
ボクはなんていうのかなと増原を見ていたら、
「ほんとうにそうですね」。
とポツリと言ったんです。
生まれながらに刻印されているものが キャラクター で、
その後、人生で身につけたものが、パーソナリティー、つまりペルソナ。
という解釈があるというはなしを、
影山とラジオだったか、マメクルだったかでかつて話しをしたことがあります。
ボクが増原や影山と、どことなしの縁でつながっていて、
彼らを巻き込んで、色々と始めているのは、
根本的に二人のことをボクは信用しているからです。
なんでこの二人を巻き込んでしまうのかということが腑に落ちたんです。
仮面をかぶってるんですよねぼく、
仮面とは脱いだりつけたりするもんですよね人間は、
と二人とも自覚をしてる。
結局、分別を持っているんだと思います
そういうヒトってほんとうに少ないとボクは思う。
映画を作るなんてめんどくさいですよ。
けどね、
大まじめに、大勢で、
「本番、よーい、スタート」と言ったら、
ペルソナをつけ、
「ハイカット」
と言ったら、ペルソナを外す。
それをお金をかけて大真面目にする。
そしてそれを目の当たりにできる。
それが映画を作る唯一の楽しみだとボクは思う。
そういう面白さがボクを映画に向かわせてるんだと、
そういうことまでも、昨日、腑に落ちたんですね。
やっぱり、やってみなくては、
まだまだわからないことがいっぱいあるんです。