関口監督エッセイ⑥「母のパニック症(後編)」(認知症の母がパニックを起こす理由)
vol. 28 2017-05-25 0
母のパニック症(後編)
母の最大のパニックは、昨年の夏にやって来た。
理由は「テレビ」だった。8月に入ると連日連夜のようにテレビで戦争特集が組まれ、広島、長崎への原爆投下、そして敗戦へと話題が続く。毎年恒例の放送だが、昨年の母は全く様子が違った。自らが体験した「戦争」を、70年以上の時を経て、もう一度生きているように見受けられた。極度に暗闇を恐れ、部屋の電気を消しては寝られなくなった。自分の部屋が防空壕に見えるのだ。一晩中、電気を点けているため眠りは浅くなり、何度も起きてはトイレに通う(ひどい時は10分おき!)。当然、昼夜逆転が起こる。全てが悪循環に陥ってしまった。
私は、慌ててテレビのコンセントを抜いたが、時すでに遅し。母のパニックが治るまで待つしかなかった。いつになるかは分からないけれど、ひたすら待つしかなかった。その間、普段の100倍は優しい言葉をかけ続けた。そうして、涼風が立つ9 月になり、ようやく母の戦争の記憶は<記憶の壺>に戻っていった。おぞましい記憶は、一旦彼女の中にしまわれていったが、失われたわけではない。今年の8月は、テレビは壊れたことにしよう。
次のパニックは、意外なところからやって来た。
母はデイ・サービスに週2回行っているが、そこでのトイレ介助が引き金になったのである。ある女性スタッフが、母のトイレ介助にヤル気満々なのだが、これがイケナイ…。認知症と診断されて「まだ7年」という言い方を敢えてすれば、母の86年間の人生の中では直近になる。だから、「自分が認知症である」ということが母の<記憶の壺>に入っていないのは、ある意味「当たり前」と考えるようになった。つまり、本人は「介助が必要」とは思っていないのだ。それなのに、赤の他人がトイレに入って来るのだから、仰天してしまう。デイでそんな体験をした日の母は、帰宅するとトイレに通う。1度ならず、何度も通う。通う、通う、とにかく通う。トイレ介助をされる前にトイレに行ってしまいたい、と思っているのだろうか。母のトイレ通いは、母の「心の不安」が形になったのだ。
こんな時に限って今度は、4月にベテランの訪問看護師さんが「研修」の名目で、若い看護師さんを新しく連れて来た。若い訪看さんは、母の入浴介助に張り切っているように見えた。嫌な予感…。案の定、母は「もうお風呂には入ったから入らないよ」と久しぶりに入浴に抵抗したのである。しかし、以前のように強固ではなかったので、若い訪看さんに寄り切られた。そして、入浴介助後に激しいトイレパニックが、母を襲った。(やっぱり!) 2回目の入浴も同じだった。母は直腸脱を患っているので、入浴後はその手当もしてもらう。孫のような若い訪看さんには絶対に手当てをされたくないのだろう。ベテラン訪看さんに相談して、若い訪看さんに来るのを辞めてもらった。しかし、この「たった2回」の研修の代償は大きく、6年半かけて築いてきた母と訪問看護師さんとの信頼関係は、もろくも崩れ去ってしまった。
現在は、ベテランの看護師さんだけがやって来るが、それでも母の抵抗は続く。「夜に銭湯に行っているから入らないよ」(母の実家には内風呂がなく銭湯に行かなければならず、それが嫌だったとよく言っていた)と言う母をベテラン看護師さんは、説得したり、話しかけたりして、どうにか入浴を続けていた。だが、遂に先日(5/22)母が入浴を断固拒否。何年振りになるだろう?母が拒否してお風呂に入らなかったのは…。
認知症ケアは、身体的ケアだけに意識が集中していると厳しい。
一般的に言われる「周辺症状」を引き起こしているのは、実は、ほとんどが「私達<介護する側>の問題」だろうと思う。そして、私達<介護する側>は大抵「本人の認知症が原因」と考えているのではないだろうか。
母のパニックを事前に防ぐことは、私にとっても至難の技だ。今できることは、パニックが起きた時、母の視点から見て次に打つべく手を考えることぐらいである。
この認知症ケアの難しさが、私を魅了し続けている。探究心を持ち続けるモチベーションになっている。何よりも史上最強の被写体であり続けている母と、応援してくださる皆さまに感謝したい。
※関口監督のエッセイは今回が最終回となります最後を飾るのはやっぱりひろこさんの笑顔ですよね!