関口監督エッセイ⑤「母のパニック症(前編)」(認知症の母がパニックを起こす理由)
vol. 23 2017-05-11 0
母のパニック症(前編)
母にパニック症があると気づいたのは、2011年3月10日だった。日にちまではっきりと覚えているのは、それが、3.11東日本大地震の前日だったからだ。私がオーストラリアから帰国して1年余、母の閉じこもりが顕著になっていた頃で、その当時の母は布団も敷かず炬燵で寝起きをしていた。
その日は階下の壊れたトイレの修理日で、トイレの床を壊し、電気の配線をして、新しい温熱式便座とウオッシュレットのトイレが据え付けられるまで、大きな音が丸1日家中に響き渡っていた。工事のため台所も使えず、昼食を母の部屋まで持って行くと、なんと母は、炬燵にもぐりこんでブルブル震えていた!
今まで見たことがなかった母の姿を見て私は、ショックを受けた。「ど、どうしたの?」と聞く私に、母は「知らない人たちが家に入ってきて何かしている!」と恐怖に慄いて返事をした。もちろん、トイレ工事のことは、何回も説明していた。改めて工事の趣旨を説明すると今度は「支払うお金がない」とさらなるパニックが起こってしまった。この時私は、初めて母の尋常ではない状況を目の当たりにした。
認知症前の母は、良妻賢母は、もちろんのこと、自信に満ち溢れた人(と思わせるような言動)だった。たとえば、学校時代は優等生で優しかったので、ものすごく人望があった。兄妹の中でも一番勇気に溢れ、戦時中に実家に焼夷弾が落ちた時も防空壕に行くことを拒否した、などなど。また、自分の母親がボケて、他の兄妹の顔を忘れても自分の顔だけは忘れなかったというのは、母が繰り返し言ってきたことだ。
こういう話をたくさん聞かされて育って来たので、私の中には自信と勇気に満ち満ちた母の人物像が刷り込まれていた。ただ、本能的になんか変で、自画自讃の多い人だなあと思っていたところがあった。それは、父を含めた関口家の人達は、誰ひとり母のように自分を褒め称える人達ではなかったので、余計に母の異様さが目立ったのだと思う。
ところが!認知症発症後の母は、今までとはまるっきり違うことを言うではないか。たとえば、成績はよかったけれど「お高い」と言われ、友達からは敬遠されていた。防空壕に行かなかった話が本当かどうかは分からないが、今や就寝時に部屋の電気を消しては寝られない。真っ暗だと防空壕を思い出すからだ。そして、ボケた母親に自分の顔を忘れられたことが一番辛くて、兄嫁に懐かれたのが悔しかった、とも。
つまり、認知症前に言っていたこと(嘘?!)をことごとくを忘れ、記憶の奥底に残っている真実/感情が遂に陽の目を見たことになる。母の認知症前の豪胆な性格は、虚構であり、本当は、石橋を叩いても渡らない小心者だったのだ!
私の反応は、驚くというよりは、安堵だった。ようやく母は、認知症の力を借りて素の自分に向き合うことが出来たのだ。虚構を張って生きることは、もうおしまい。張ろうとしても認知症である自分の記憶の問題が、常に真実の自分に導く。長年の虚構の自分は、崩れ去ったのだ。万歳!!
だから、今の母が流す涙は、裏も嘘もなく、世界で一番美しい純粋な涙だし、笑い声も怒りの声も全て本気だ。私は、そんな母を人として愛おしく思う。そして、母のパニック症は、そうなるキッカケを理解し、可能であれば、排除できることが望ましい。ただ、そう簡単には排除できないエピソードがたて続けに起こってしまった。私が認知症ケアは、つくづく高度な理解とスキルが必要だなあと思う所以である。
どんなエピソードなのかは、次回に!(後編に続く)
※写真は東日本大地震の翌日3/12の宏子さんです。(『毎アル』より)
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