メンバー寺井昌美が語る 「ゼロからの出発!」
vol. 13 2020-02-25 0
こんにちは。孫の手トラベルの寺井です。
クラウドファンディングも残り3日となってしまいました。
いまだ48%のままです!みなさん何とかよろしくおねがいします!
昨日、チーム全員でライブ配信を行い、今年のフードキャンプ企画のご紹介やなぜクラファンに挑戦しているかなどをお話しさせていただきました。
★ライブ配信はこちらです
https://www.facebook.com/magonotetravel/videos/133...
その中でもチラリとお話しさせていただきましたが、目標額を達成するため、お恥ずかしながら私がフードキャンプ担当になったいきさつ、立ち上げ時の苦労話などを赤裸々に書きました。今日から毎日順番に、メンバー全員の想いをお伝えしてまいります!!よろしくお願いします!!
<なぜFoodCamp担当になったのか?
震災で第三の人生
私は郡山生まれの郡山育ち。大学から東京に出て、住宅メーカーに就職したのち、実家の料亭に戻り若女将となった。
母から女将を引き継ぎ数年経ったころ、突然震災が起きた。築80年以上の店兼住まいだった建物はひとたまりもなく全壊。そして、廃業。天がもたらしてくれた第三の人生、「あとは残りの人生を楽しんで生きられるようなことを、なんでも自由に選ぼう」と心に決めていたが、震災直後から東京に逃げたまま、気が付けばこれといったものが見つからず6年もの月日が経とうとしていた。また心のどこかに、福島を離れ何もできない自分に後ろめたさと故郷に帰るとしても何か仕事を探さなければ帰れないという焦りもあった。
Facebookを初めて間もないころ、光一さんや喜一さんが登場する「食大学」の投稿を見た。実は福島の生産者の皆さんがどうしているのか、これからどうなるのかがずっと気になっていた。そして有名シェフが一堂に郡山に集結した「食大学サミット」に衝撃を受け、生産者を応援する仕事ならやりたい、食大学の活動に混ざりたいと思うようになった。そんな思いを、料亭時代からいろいろと相談にのっていただいていた柏屋の本名社長さんには打ち明けていた。
鈴木農場・伊東種苗店 from caan on Vimeo.
運命の電話と4時間の夢トーク
ある日、本名社長からのお電話があり、郡山観光交通の山口社長とぜひ会って話を聞いほしいと言われた。実はその時、本名社長と山口社長は、奥田シェフからフクケッチャーノを引き継ぐため北海道へ向かう途中で、フードカートとレストランの事業を始めるにあたり、人材を探しているといった会話が展開されていた。そこで本名社長が私を思い出して推薦してくれたのである。山口社長といえば同級生の友人の弟さんで、小さいころから知ってはいたが、よくよく話したのはその時が初めてだった。
お会いして約4時間ずっと熱いトークでレストランと連携したフードカート事業の構想などを伺い、素直に「おもしろい」と思った。そして何よりも、また光一さんたちと仕事ができるのがうれしかった。もう二度と飲食はやるまいと除外していたのだが、店の経営とは一風変わった仕事であり、何より経験を生かせるのは有難い、しかも福島の応援になる仕事というのが魅力だった。
とはいえ出戻って正社員に雇用してくれた住宅メーカーをおいそれと辞めるわけにもいかず、1年間はお客として参加し様子をみていたが、やはり専任者不在の事業はなかなか進む気配が見えなかった。やはり、人が居なければ無理か。もうこれに乗じて故郷に戻ろうと決意したのが2017年の春だった。
<これまでの歩み
0→1の苦労に泣いた1年目
入社時はフードカート担当として、私以外にもう一人男性社員がいた。その男性が調理師免許を取得してもらい、フードカートの運転&調理担当に、私がサービスをして営業にならないかと模索していた。はじめは全くの手探りで、食大学の皆さんにご協力をいただきながら、フードカートの扱い方から備品やユニフォームをどうするか、スタッフ集め等から一つ一つ固めていった。飲食サービスのことならある程度の自信はあったが、そこにたどり着くまでに準備することが山ほどあった。そして、FoodCampの仕事は飲食業ではなく、イベント業だと思い知らされたのが、我々の初戦、鮫川ツアーだった。
最初に鮫川を選んだのは、もう一人の男性社員が入社前に地域おこし協力隊として所属していた鮫川村での人脈を生かすためだった。今考えると無謀にも程があるが、星の名所として知られる広大な牧草地で「星空の下でフレンチ」というディナー企画で、しかも一泊二日のツアーだった。当日、災害レベルの豪雨に見舞われ、急遽会場や計画の変更を余儀なくされ、頭が真っ白になった私を助けてくれたのは、鮫川の宿泊施設の館長さんや食大学の皆さんだった。
これが教訓となり、以後1週間前から天気の動向は必ずチェックし、必ず現地の方と相談して対処を検討する習慣がついた。アウトドアにレストラン空間を作る、というのは私の中にはない能力であり、今でも誰かやってくれないものかと本気で悩んでいる。
開催地探しも、はじめはひと苦労だった。朝から晩まで慣れない運転で下見に赴き改めて福島の広さを実感しつつも、今まで気づかなかった素敵な場所を見つけては喜んでいた。そんなワクワクを仕事にできる旅行業の楽しさも快感となっていった。一方で自然の影響を如実に受ける農作物の状況や生産者の農作業の合間を縫って、開催をお願いすることの難しさも知った。ちょうど入社した年は秋の長雨で、11月になっても稲刈りが終わらない中でのFoodCamp開催となり、お願いしていた生産者に大変ご迷惑をかけたうえに十分な打ち合わせができないまま当日を迎えた苦い思い出もある。
一人ぼっちの2年目
ゼロからの立ち上げの苦難と豪雨・台風などの悪天候のダブルパンチ、しかも2年目に差し掛かるころ相棒だった男性社員の退社が重なり、一人ぼっちになった私は、精神的に病みかけた。それを救ってくれたのは、市内ホテルの総料理長だった。グループ内のレストランはスタート時の無理がたたり、私の入社当時すでにクローズ寸前でFoodCampとの連携は不可能だった。事業の構想自体が機能していなかった。最も基盤となるシェフ探しは困難を極め、初年度は場当たり的に乗り越えたものの、2年目は年間12回の開催をこなすため、豊富なスタッフや食器類の備品も完備しているホテルの機動力に頼らざるを得なかった。
何より有難かったのが、総料理長自ら音頭をとり、若手の経験にもなるからと毎回現場に来て、FoodCampを楽しんでくださったことだ。シェフの笑顔はそのままお客様に伝わり、その日限りの工夫を凝らしたお料理とともにお客様がとても喜んでくださることを実感した。
また、同じころ出会ったアウトドアメーカーの役員からスタッフに関する考え方をお聞きして、覚悟がきまった。社内にスタッフがいないのなら、社外に求めればよい。それもボランティアで協力してくれる人、アルバイト的に臨時に協力してくれる人、分野は分野に明るい人に任せて行くことで事業は進んでいく、と教えられた。その後もとはお客様だった竹内さんに、私には手の回らないHP制作や写真撮影、情報発信のお手伝いをお願いし、サービスアルバイトを探し、シェフを探し・・・皆さんの協力で乗り越えた2年目だった。
チームで臨んだ3年目
そして3年目を迎えた昨年、またしても有難い助け舟を出してくれたシェフがいる。シェフ探しに苦労していた私を見かねて仲間に声をかけてくれ、「シェフ説明会」を実施した。
ホテルと違い、個店のシェフは、一人でやっていたり食器類の数も限りがある。開催日はシェフの希望を聞いて決め、最低限の食器類も会社に許しを得て購入した。そうして計8店のシェフが参加してくれることとなった。どのシェフも生産者やその育む食材への想いが強く、どの回も真剣勝負だった。私は内心、「こんな大変な仕事は二度としたくない」と言われるのではないかとひやひやしていたのだが・・・。
昨年は、若手のホープ、佐藤くんも加わり、外部スタッフの竹内さんと3人でチームで立ち向かうことができたのも幸せなことだった。毎回片付けが終わるたびにお客様のアンケートをみながら、反省を繰りかえし次に工夫を重ねることができるようになった。こうしたクラウドファンディングのようなアイディアもみんながいなければ挑戦できなかった。
<これから
先日ようやく4年目となる今年の計画を発表した。なんと、昨年協力してくれたシェフや生産者から互いに「この人とやりたい」とのうれしい要望をいただき、ペアリングするうちに全15回にもなってしまった。本当に有難い悲鳴である。
最近感じることは、私の思い込みで進めていたFoodCampが、みんなのものになりつつあることである。お客様のみならず、生産者、シェフがこぞって参加したくなるFoodCampになるまでは、まだまだ整えなければいけないことが山積み、事業を発展させるには少なくとももうワンチーム、運営スタッフも必要です。
そのためにも、今回クラウドファンディングの形を利用して皆様にFoodCampの可能性をご理解いただき、ご一緒に育てていただきたいと思うのです。そのためにお恥ずかしながらこれまでの裏話を長々と綴りました。どうか皆様のご支援をよろしくお願いいたします。