(こぼれ話)ドタバタかつトホホでヘロヘロのクラウドファンディング・前編
vol. 17 2021-03-04 0
こんにちは!
ある方へ、貴志が私たちの今までの経緯を文章で説明したことがありました。私たちの現状が、まるで漫画のように綴られていたのが可笑しく、よかったら読んでみてください。(長文です!)
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私たちは、昨年末まで、ほぼ自腹を切って撮影を続けています。そもそもが「映画にする」という計画ではなかったという要因もありますが、元々、「資金は自分で何とかすべき。」「カンパなどに頼るべきではない。」と考えておりました。今となっては大変に恥ずかしい話ですが、ひたすら支援を募っている方々を見ると、何かしらの反感を覚えていたくらいです。「クラウドファンディングなどという、安易な資金集めには便乗しない。」「結局はたかりでしかないのだから、そんな流行には乗らない。」とまで考えていました。今ではもう、反省の言葉しかありません。
(一部ではあると思いますし、そう信じたいのですが、)様々な運動家・活動家という方々に関わると、まるでお金の調達を目的としているかのような動向をされる方に出会う機会があります。何をしようとしているのか、どこを目指しているのかの説明より前に、相手構わずに支援を要請したり、手当たり次第に振込用紙を配布・送付する人を見るにつけ、何とも知れない嫌な思いを抱きました。正直を言うと、「あんな風にはなりたくない。」と思った次第です。
また、カンパなどを募った際に見られる現象として、自腹により最前線で頑張る人ほど、資金を提供するという現状があります。勿論、皆が皆というわけではありませんが、私たち自身が「カンパをしてあげなければならないのではないか?」と思うような相手が、身銭を切って支援をしてくれる場面が多々あるのです。それは、その方自身が同様の立場にあり、当事者としての苦労を知るからこその動向だと言えるでしょう。しかしながら、それでは現場で頑張っている者同士が、お互いにお金を出し合い、結局、お互いにやせ細ってゆくという状態に陥りかねません。だからこそ、私たちは、このカンパという制度に、あまり賛同できないという感覚がありました。
私たちのような特殊な立場になると、周囲からの依頼により、編集した短編の動画を、集会などで上映する機会が度々あります。そして、その際には必ずカンパ箱を設置する案が浮上します。しかしながら、かくいう現状から、自分自身の撮影と記録という行為に対し、カンパを募ることはありませんでした。今現在は変わりましたが、以前は、まるで拒絶の症状を呈していたと言えるでしょう。それくらい、「資金は自分たちで何とかすべき。」との考えに固執していたのです。勿論、支援を募る機会もありましたが、それは私たち自身の為ではなく、急を要する状況に陥った漁師さんや、知人・友人の為の募金でした。
ただ、1度だけ例外があります。私たち夫婦には、屋久島町長選挙前に候補者同士の公開討論会なるものを企画し、開催にこぎつけた経験があります。
https://2019yakushimachou-koukaitouron.tumblr.com/
こちらに進行ミスなどがあり、反省せざるを得ない点も多々ありましたが、とにかくやったことはやったのです。その際には、周囲からの勧めというか、相当に強い要望と説得があった為、皆さんからのカンパを募りました。そしてようやく、出費を多少の赤字程度で収めた次第です。
この不思議な任意の支援システムについては、討論会の開催が、それまでの考えを改める機会になりました。屋久島には、造林(杉の植林)全盛期の時代に、森を守る運動を展開した、私たち夫婦が尊敬する長老的な存在の方がいらっしゃいます。そして、公開討論会開催の際に、その方からの印象的な言葉がありました。
「公開討論会は多くの住民が開催を望むところだが、要する資金や労力だけをとっても大変な負担で、誰もが実現できるのもではない。先ずは公職選挙法を学ばねばならないし、候補者ないし陣営同士の調整や、主催者自身の中立性保持の条件などを考えると、開催に漕ぎ着けたこと自体が奇跡的なものである。だから、どう見ても私たちには成し得ることができない。私たちにはできないことをあなたたちはやっている。できることがあるとすれば、あなたたちに僅かながらの資金的な援助をすることくらいだ。だから、せめてカンパくらいはさせてくれ。」
私たち夫婦は、馬毛島ないし種子島における軍事化計画において、この3年くらいの間に、100万円近いお金を費やしています。当然ながら、そこは自腹で何とかしていたのですが、元々撮影用に用意していた資金は、さすがに底を突きました。時折、馬毛島保全を目的とする川村作のポストカードや手ぬぐいが売れますが、それは元手も掛かっていますし、撮影資金にあてがうには雀の涙の利益でしょう。それでなくとも、今後の身の振り方の決断を迫られている状況でしたので、それ以上に身を切る浪費は、さすがに妻の同意を得られません。以上のような背景から、私たち夫婦は、撮影を継続するか否かを決めなければならない状況下にありました。一方で、「地元の意向に寄り添う。」と言い続けた国は、反対票が7割を超える選挙結果を受け入れず、基地化計画は着々と進みます。「さて、どうしよう・・・?」と頭を抱えていた折、昨2020年夏から、現政権による馬毛島基地化の動きが非常に激しくなった次第です。
まるで、国がコロナ禍に便乗したような印象でした。「大々的な反対運動や集会開催が困難であることを踏まえ、ここはチャンスとばかり、強引に基地化へ踏み切った。」というような、そんな感触を否めません。草の根で運動を展開していた反対派の市民は対応に窮し、賛成派の市民は保守派政党の支援を全面的に受けて勢い付きます。穏やかであった市内は、賛否による分断の様相を強めてゆきました。特に、漁業者間での分断は顕著です。賛成側に付いた漁師さんたちには、防衛省から「海上タクシー」という高給の仕事が用意され、マージンが入ることから漁業協同組合も賛成のスタンスを固めます。馬毛島周辺で地道に操業する反対派の漁師さんたちばかりが置き去りにされ、気が付くと日に日に包囲網が狭まり、やがて追い詰められてゆきました。その中には、私たちがお世話になった方もいらっしゃいます。この記録を残さないわけにはゆきません。私たち夫婦は、短期のバイトをこなしては撮影資金に回し、現場に向かうという、自転車操業的な生活に入りました。その一方で、またもや周囲から説得され、催しの度にカンパを募り、撮影資金に回すようになります。種子島の西之表市議や弁護士、漁師らを迎えて開催した、昨年11月3日の集会からは、会場にカンパ箱が設置されるようになりました。
その後も、国からの攻勢は一向に止みません。防衛省による議会や市民向けの説明会が次々と開催され、軍港を造る為の海上ボーリング調査が開始されます。政権側の猛ラッシュに伴い、市内でのデモ行進を開催するなど、市民側も対応せざるを得ませんでした。非常に厄介な話で、記録を行う側としても、種子島だけでの取材では収まらなくなります。裁判を起こした漁師さんらと共に鹿児島裁判所へ出向いたり、反対派の市民グループと共に鹿児島県庁まで行き、抗議の様子などを撮影する機会が増えます。私たちが撮影・編集した動画が上映される上に、議員会館で開催された集会の撮影も兼ねることから、東京の国会へ上るケースもありました。屋久島へ帰ることがなかなかできず、そのほとんどを種子島で過ごした月もあります。とにもかくにも、昨年の9月末以降は、記録を取らねばならない状況が続いた為に、通常の生活を送ることが困難になったと言えるでしょう。
そして、ようやく屋久島に帰って来たとしても、ろくに休むことができません。そもそも、私たちの最大の目的は、現状を私たちの地元へ知らせることです。コロナ感染症の様子を見ながら現状を報告する為に小さめの集会を開いたり、何らかの組織の集会に呼ばれたりした際に、動画を上映する機会を持ちました。その度にカンパによる支援がありましたが、撮影と取材の頻度が激増している以上、このままではらちがあきません。それでなくとも世の中はコロナ禍に陥っているのですから、社会全体が経済的な疲弊を呈しており、短期のバイトを頻繁に得られるはずがないのです。終いには、Go toキャンペーンに起因するクラスターも発生し、集会の開催も自粛となりました。そのような状況下にあって、自転車操業的な暮らしを、長期的に継続できるはずがありません。種子島までの渡航費だけをとっても、バイトとカンパだけでは足りないのです。私たちは、懐的にも身体的にも弱ってゆきました。
私たち夫婦には、2つの選択肢がありました。1つは今後一切の手を引き、通常の暮らしを送るという道です。そもそも、私たちは映像畑の出身ではなく、ドキュメンタリー撮影時にカメラマンの経験はあれど、私などはフリーソフトによる動画編集の方法すら知りませんでした。第一、私は絵描きであり、絵を描く為に屋久島での定住を決めたのです。自然に向き合いながら創作を続ける一方で、ポストカードやプリントの販売を行いつつ、穏やかな暮らしを送りたいと望みます。妻は土いじりに目覚めており、でき得ることなら屋久島で野菜や果物を育てたいと考えております。山手にある古い家と土地を知人から買い取り、木を伐採し、根を起こし、やぶを払い、土を返し、何とか自家用の作物まで採れるようになった私たちにとって、夢の生活実現は目前でした。ある意味、それこそが移住者らしき、典型的な田舎暮らしの形でしょう。可能であれば、運動とか活動とかいうものには関わりたくありません。それが、「なぜ、こうなってしまったのだろう・・・?」と、ふと考え込む瞬間が多々あることを、正直に告白しておきましょう。そもそも、全てが自腹のボランティアであり、私たちには記録や報告の義務がありません。「何で私たちが・・・?」という疑問が生じるのは、当然の成り行きではないでしょうか?撮影から手を引き、元より求めていた暮らしを選択したとしても、近しい友人たちからは理解を得られます。彼らの間から、非難の声が挙がることはないでしょう。
もう一方の選択は、世間に広く呼び掛けることで資金を募り、このまま撮影を続け、その記録を全国に公表するというものでした。この道を選ぶならば、今流行りのクラウドファンディングを利用する他に道はないように思えます。しかしながら、広く資金を集めた以上責任は重く、その1歩を踏み出したなら、もう後に引くことは不可能になります。作品についても、今まではド素人の映像で済みますが、支援を募った後は、ある程度のクオリティが求められます。また、広く支援を集めるということは、私たち自身の顔を公表することに繋がりますから、地域での生活にも多大なる影響が及ぶでしょう。私たちの住む区内にも、馬毛島基地化に賛同・推進する有力者と称される方々がいらっしゃいますから、その後の暮らしには苦労が伴う可能性を否めません。この島で生まれ育ったのではなく、よそ者の移住者であることから、その影響はより大きなものになると考えます。声の大きな人には逆らわないように尽力する田舎の慣習や、噂や風評ばかりが先行しやすい環境であることを考えると、相当な覚悟が必要です。下手をすると、頼みの綱である短期バイトの獲得さえ難しくなるでしょう。何より、ここは離島なのですから、私たちには逃げ場がありません。この決断に関する重圧は、私たちの肩に大きく圧し掛かります。
また、顔をさらして呼び掛けを行う以上、影響がこの島に限らないという現実を、しっかりと受け止めねばなりませんでした。扱う問題が軍事や国防に関わるのですから、その反動のあり様は計り知れません。私たちの動向による影響が大きければ大きいほど、政治的な圧力が働くものと容易に推測されます。逆に反響がなければ、情報拡散と問題の周知、議論の促進などをなし得ておらず、目的が達成できていない証拠となります。であれば、どうにか工夫をして、何としてでも社会に影響を及ぼすような何かを作らねばなりません。私たちは、どうあっても世の中にインパクトを与えねばならないのです。しかしながら、その先にあるのは、全国からの非難であったり、誹謗中傷を浴びる可能性を否めないという現実です。それが事実を根拠にしたものならまだしも、ネットやSNSの発達により、情報拡散能力が肥大化する今の世界では、フェイクニュースも簡単に拡散できてしまいます。最初に認識しておかねばならないのは、事実よりフェイクの方が拡散しやすいという残酷な世界の実情です。その一方で、多大な風評を被るほどのインパクトを、社会に与える為のアクションであることは否定のしようがありません。つまり、目的の達成に近付けば近付くほど、反比例的に被害の度合いは増すことになるのです。以上の要因を鑑みたならば、どうあっても、私たちの動向に伴う風評被害の発生は免れません。とてつもない大きな渦に巻き込まれるですから、これが離島で田舎という特殊な環境ではなかったとしても、いずれは暮らし難くなること請け合いでしょう。わりと容易く挑戦できることから、人気を博しているクラウドファンディングのシステムではありますが、私たちが置かれた条件を鑑みると、人々が思うほどイケイケの単純な話ではありません。その背後には、極めて大きなリスクが隠れています。以上の要因から、生半可な覚悟で手を出すわけにはゆきませんでした。とにもかくにも、そこには大変に重い決断が必要だったのです。
しかしながら、「これまで続けてきた記録を、このまま埋もれさせて良いのか?」「現場で起きていることを、人々に知らせずにいて本当に良いのか?」との自問は止まりません。そもそも、この問題は地元だけのものではなく、日本という国そのものの問題です。何もない更地に軍事基地を作り、アメリカに差し出すという事例は戦後初のケースになります。この馬毛島が前例となることで、全国的に同様の展開がなされる可能性を、左派の政治家や平和運動家らは懸念しています。以上の要因からすると、記録や情報を、地元だけに見せている場合ではないのかも知れません。いずれは(なるべく早急に)データをまとめ、なるべく多くの国民に知らせなければならないでしょう。しかしながら、正直な話、「何で私たちが・・・。」と思うのは事実です。誰かがなさなければならないのは事実でしょうが、私たち夫婦は、運動や活動といったものから、なるべくなら遠ざかった暮らしをしたいと考えておりました。だからこそ、「運動などが好きな、他の誰かがすべき。」と思います。そもそも、私たちはジャーナリストでも報道関係者でも活動家でもありません。ただ、縁があったから、そこで記録を取っていただけに過ぎないのです。「このような仕事は、本来、マスコミに任せておけば良い。」とも思いますし、そのようなアドバイスを受ける機会も多々あります。私たち自身も、「本来ならジャーナリストの誰かが、この問題を追い掛けるべき。」と考えます。しかしながら、「果たして、しっかりとした情報が人々には伝わっているのだろうか?」との疑念はぬぐえませんでした。「運動などが好きな、他の誰かがすべき。」との捉え方についても、実際には誰も手を挙げませんし、その苦労を十分に理解している分、この作業を他者へ押し付ける気にもなれません。何せ、普通の暮らしを送ることができなくなるのです。かような背景があったからこそ、私たちは散々考え、大変に悩みました。一方では撮影に追われながら、心の中で自問自答を繰り返し、七転八倒した末、資金集めに踏み出すことを決意した次第です。
即効性があるのは、関連する短編動画をYouTubeに流すことでしょう。何とかして話題に載せることができたならば、相当数の人々に視聴していただけます。但し、その手法では、短期的な効果しか得られません。ならば、一方ではネットで短編を流しつつ、長期的に存在感を発揮し、繰り返して見てもらえる可能性が高い、映画作品という形に仕上げることを目指すべきではないかと考えました。その手法ならば、短期と長期の両面からの効果を期待できます。勿論、それは作品のクオリティによるものが大きいものの、作るからにはベストを目指すべきです。いずれにせよ、何よりも恐ろしいのは、時が既に「何ができるかできないかを検討する。」という段階にはなかったという実情でしょう。ことの性急さから見て、問題は、「私たち夫婦がやるかやらないか?」の決断に限定されていました。状況や環境がどうあれ、とにかくやると決めた以上、私たちはやるしかありません。「ひたすら撮影し、短編をYouTubeで流す傍ら、コツコツと長編映画を編集する!それに付随する様々な障壁や問題は、その都度何とかする!資金はクラウドファンディングで調達!資金が足りなくとも何とかする!ハイ、動く!」こうして、ドタバタかつヘロヘロの企画がスタートしたのです。
その後が、また大変でした。なにせ、私たちはクラウドファンディングという言葉くらいは知っていたものの、その詳細な内容や手法などは全く知らずにいたのです。妻の未菜は、とにかくネットを検索し、ありとあらゆる情報を集めました。昨秋から年末に掛けては、車中泊で撮影を行いながら、フリーのWi-Fiを利用できる場所を探し、その場で情報を集める日々を送ります。そこで判ったことは、支援を募る期日が120日間であり、相当な短期間の勝負であること、とにかく情報の拡散が成功のカギであるということです。
当然ながら、人々からの支援を得るには、多くの方々の納得を得なければなりません。情報の拡散は、SNSなどに強い知人らの助けを借りることで何とかなるかも知れませんが、肝心要の問題提起の文章やメッセージ、それらを紹介するページなどは、全てこちらで作成しなければならないのです。馬毛島問題を理解してもらわねばならないことから、本質の解説や、これまでの経緯の説明などが必要でしょう。また、今回は映画の制作が目的である以上、動画による公告的な映像の公開が必須です。私たちは、クラウドファンディングの情報を集め、リリースの準備を進めながら、大量の動画データを引っ張り出しました。そして、寝落ちでパソコンに頭をぶつけそうになりながら、片っ端から編集を行ってゆきます。また、過去の写真などを探しては、クラウドファンディング「開始」もしくは「挑戦中」を知らせる広告チラシや、馬毛島問題を判りやすく説明するWEBページの作成に努めました。一方で、生きて行く為に生活費を捻出せねばならず、悪天候により散々苦労しながらも、請けている電気メーター検針業務をこなしています。今年の1月は、夫婦共々、正月休みなどありません。休みどころか、ひたすら寝不足の日々が続きました。
1月の24日からは、馬毛島を擁する自治体である、種子島西之表市の市長・市議のW選挙の撮影に出向きます。そして、種子島入りしたその夜の25日0時から、ようやくクラウドファンディングをリリースするに至りました。私たち夫婦は、西之表に住む知人宅の居間を借り、クラウドファンディングがスタートしたという情報と、その情報の拡散をお願いするメールを、知人や友人宛に送付し続けたのです。送付数は、ざっと450通くらいになるでしょう。その作業を終えたのが3時近くで、知人が用意してくれた缶ビールをお祝いに飲みました。「つまみにしたらいい。」と添えられていたプロセスチーズの味には、涙が出そうになります。ようやっと寝袋に入ったのが朝方の4時、6時には起床し、7時には選挙の様子を撮影し始めていました。これが、クラウドファンディング立ち上げに至る経緯です。
(前編おわり。後編へ続く。)