ビデオブログを考える。(2) - ルミナスダイアリーのはじまり(その2)
vol. 2 2014-06-01 0
ルミナスダイアリーは"観てくれた"人には好評だった。
そう、"観てくれた"人には。
ここでニコニコ動画の問題の一つとも言える現状と、自分の作品をPRするための難関が立ちはだかるのだった。
ニコニコ動画はサイト内全ての動画によるランキング以外にも、幾つか存在するカテゴリー別でもランキングが存在している。
これはオープンでユーザーも確認することができ、主に動画をマイリスト登録(お気に入り)した人数で順位が決定されるため、人気動画をすぐにチェックすることができるのだ。
……が、ニコニコ動画にはこの機能の非常に難しい欠点と、風土による問題によりビデオブログには不適とも言える動画投稿サイトの環境であった。
第一にニコニコ動画の人気動画の傾向は、基本的にゲーム実況やVOCALOIDチューン、そして『歌ってみた』系などの動画が殆どを占め、『日記』というカテゴリーに属してビデオブログ動画を公開しているのは、当時としてはルミナスダイアリーだけであった。
第二に、その『日記』と呼ばれるカテゴリーはその名前だけを残して、ユーザーの誹謗中傷動画や関係の無いゲーム動画、生放送ユーザーを叩き上げるような悪意のある動画が次々と投稿されているカテゴリーだったのだ。ルミナスダイアリーはこの幾つもある乱立する動画の中に埋もれていた。
最後に当時のニコニコ動画自体が、少しでも動画投稿者本人が登場してコンテンツとなることを是としていない文化であったことだ。ビデオブログの基本は、一つの事柄を動画投稿者本人が取り扱い、自分の所見を述べることでもある。これを普通の手段で成立することができないため、ビデオブログ自体の存在が認知すらされていない状態だった。
本人が顔を見せることは批判に繋がるため、当時のBreakthrough_ace.輝鳴も顔を隠して動画を投稿していたぐらいだ。
●第31回より 北海道虻田郡喜茂別町 道の駅『望羊中山』
その中でルミナスダイアリーは連載を継続していたが、最初のリアクションは人気ジャンルのものよりもかなり薄いものであった。
環境の問題により当然ではあるが、継続することにより作品を周知することに一定の成果を得ていることも実感できていた。それと同時に、この2011年時点で『ニコニコ動画では思ったことを上手く実現できる環境じゃない』ことに薄々気づいていたのかもしれない。
オンリーワンとも言えるビデオブログであれど、その取り扱うコンテンツの内容と構成の独自性は、流れの早いニコニコ動画の風土にはどうやらマッチはしていなかったようで、知名度の向上は他ジャンルの動画と比べるともの凄く緩やかだった。
そして、ある一定の時期からルミナスダイアリーシリーズを『不満を与えない形でビジネスとして活用できないだろうか』という、収益を得る何らかの発想を考えていくようになった。
これは、自分が当時在職中であった仕事が有限(非正規雇用)であり、任期満了による退職が近づいてきていたためである。
ここから、"フリーランス"となってルミナスダイアリーシリーズを継続していきたいという、一種の使命感を感じてくるようになったのかもしれない。
こうして、『ルミナスタジオ』は誕生したのだ。