ビデオブログを考える。(3) - ルミナスダイアリーのはじまり(その3)
vol. 3 2014-06-02 0
Breakthrough_ace.輝鳴は、元々は音楽で生きていくと決めていた人間だ。
4歳からピアノを学び、恵まれた講師によって知らぬ内に音楽理論の基礎を教え込まれていたのと、当時としては高級ともいえるパソコンや56kbps時代のインターネットを使えたおかげで、中学生の頃からDTMによる作曲を行うことができた。
小学館ウェブスターズと呼ばれるコンペサイトではその功績が実を結び、『別冊DIME』での特集企画で選ばれた1000人の中の一人に選ばれるほどであった。
しかし、その自信は音楽に強い専門学校へ進学したときに、脆くも崩れさった。
専門学校へ入ってから本格的なDAWの作法や音楽の技術を学び、更にはフルートを演奏できるにまで至ることはできたものの、周囲の同級生の意欲と成長は自分の遥か先を行っていた。
自分が一段階成長する度に、周りは四段階も五段階もステップアップしているようなものだったのだ。
プライドはそこでいとも簡単に壊れ、就職活動にも失敗したBreakthrough_ace.輝鳴は、ここでしばらく音楽に手をつけることができなくなってしまったのだ。
音楽の代わりに目をつけたのが、当時正式サービスには至っていなかったニコニコ動画の存在である。
動画制作というものが、創作の代替の役割と成し、次々とゲーム動画を使った他作品のパロディ動画を作り続けていった。
この時忘れかけていた『楽しく作る』ことができる作品作りを思い出すことができたのだ。
時は流れ2009年、期間の定められた札幌市の非常勤職員として勤めていたBreakthrough_ace.輝鳴は、将来の進路について深く悩んでいる日々が続いていた。
陰鬱とした思考が常々巡り、動画作り自体にも支障をきたすほどの状態まで追い込まれていたそのとき、ふと思いついた気分転換が、その闇を一瞬にして吹っ飛ばしてしまったのだ。
●第149回より
「シャボン玉でもやってみよう」
たったこれだけである。
自殺をも仄めかすほどの暗く重い悩みは、一度のシャボン玉遊びだけですべて払い切ってしまったのだ。
シャボン玉に対する異様なまでの愛を抱くようになったのはここからでもあり、自らを『シャボン玉フェチ』と呼称するようになったのも、このたった一つの救いの出来事からでもあった。
このシャボン玉に対する目覚めの影響は、これだけでは終わらない。
作曲活動を再び始め、現在は非公開ではあるが一つの組曲をあっという間に完成させることができた。中学時代のスピードで一曲一曲を書き上げていたのだ。
さらには、今まで得た作曲の技術と動画作りの技術を用いて実写作品を作ってみたいという欲求まで浮かび上がってきた。無論、これがルミナスダイアリーシリーズの事である。
●『輝鳴紅葉のノーツオブバブルス』イメージイラストより
『自分はシャボン玉に守られている』。
この主観的な事実が、一貫性を持つブレの少ない創作の一要因になっていると確信している。
ルミナスダイアリーの中で、シャボン玉の存在が常に作品の一構成とされているのは、このためだ。