〜 公開記事 私と父のはなし。
vol. 1 2024-06-08 0
こんばんは、秋葉美希です!
この記事を開いてくださりありがとうございます。
昨日から始まったこのプロジェクトに早速支援してくださる方が沢山!!
本当に、ほんとうに、ありがとうございます‥!
温かいコメントまでいただき、歓喜しております!!
昨日はなんだが眠れず「初めての記事は何を書こうかな」と考えていました。
そして書き始めてからも随分と時間が経っていました…
そんなこんなでちょうどプロジェクト開始から24時間です!
今日は公開記事で、私と父の話を飾らずに綴ろうと思っています。
長くなりますが、本作に興味を持ってくださった方、どうか読んでもらえると幸いです。
そして興味がなかった方も少しでも、興味を持ってもらえると嬉しいです。
〜 父と私のはなし。
私は8年前の 2016 年に、実の父を癌で亡くしています。父は膵臓がんでした。癌になる前は、上の写真よりもっと太っていました。
うろ覚えだけど、たしか癌と宣告されるまでいろんな検査をして、膵臓がんということもあり、なかなか見つからなかったんだと思います。
父の病気を母から告げられた時、毋はふざけたように「お父さんやばいかも」と車の中で助手席に座る私の横でおどけました。母が平気なふりをしてそう言うので大学生の私には、父の病気なんてすぐに治るのだと思っていました。そう思いたかったんだと思います。
そして今思えばなんであの時、母が強がっていたことに気づかなかったんだろうと後悔しています。
思っていたよりも治療がうまくいかない日々が続き、父の様子はどんどん変わっていきました。
食べることも、お酒も大好きで肥満体型だったはずなのに、気づけばガリガリに細くなった手首を今でもよく覚えています。
父の生活もどんどん変化していきました。毎朝近所の山を登る犬の散歩が日課だったのに、近所一周に変わりました。 会社をやめ、母と出かけることが増えました。 父と母は、たまに旅行に行くようになり、いつか父が若い頃に住んだ、フロリダに二人で旅行に行く計画を立てていました。
気づけば家の居間の壁に『食べたいものリスト』という一枚の紙が貼られていました。
母の手料理もあれば、〜の○○といったようにお店の名前や料理名が書かれていました。 私はそれを見て、なんとなく父を馬鹿にしたような記憶があります。 父や母の行動ひとつひとつを直視したくなかった。 病気もすぐに治り、笑い事に変わっていつもの生活が戻るものだと思っていました。
いつものように、帰りが遅くなった私を駅まで車で迎えに来てそこにぶっきらぼうな私が「ありがとう」も言わずに乗り込む日常を。
私がバイト先でもらってきた飲み物を一口を欲しがり、同じストローを使われるのが嫌で最後の一口だけをあげていたあの夜が。
朝起きるのが苦手な私に、会社に行く前にドアを少しだけ開けて 「起きや〜」なんて言ってきて、「入らんといて!!」って怒る、あの朝も。
どれだけ父の姿が変わっても、いつも父を鬱陶しがり、
ぶっきらぼうに接してた自分は何も変われないままでした。
私はその頃、大学3年生でした。 大学に通い、映画と芝居の授業を受け、夜はバイトやダンスのレッスン、 正直その頃は本気で俳優になりたいなんて思っていませんでした。
ただ、今までは居眠りをしていた芝居の授業の時間は“演じる”ということで 私の中で向き合えない自分や、消化できない父への感情を曝け出しても許される時間に変わっていました。
ある意味で、芝居というものに救われていました。
それから私はのめり込むように芝居に熱を注ぎました。
学校外でのオーディションを受け、今泉力哉監督作品『退屈な日々にさようならを』の出演が決まりワークショップや撮影で東京に通う日々が続きました。
大学では舞台の主演に手を挙げ、初の主演舞台が決まりました。
いつも頭の中には父の姿がありました。
父に、私を観てもらいたかった。
2016年の冬、私の主演舞台の本番直前に父は危篤になりました。 それでも私は「公演があるから」と家に帰らず、学校の近くに泊まりこんでいました。 芝居をすることで私は父の死からずっと逃げていました。
結局父は舞台を観に来られるはずもなく、公演が終わってすぐの 12 月 9 日にこの世を去りました。 翌年、出演作の『退屈な日々にさようならを』が完成し東京国際映画祭のレッドカーペット歩いた時も。 スクリーンに映る私の姿を父が観ることはありませんでした。
ただ、私の中で芝居というものが亡き父との向き合える唯一の時間になりました。 そしてそれに気づいた時、 “俳優として生きていく” ということを決めました。
父を亡くしてから約7年の月日を経て “食べたい物リスト”を辿るロードムービーとして 、
『ラストホール』の撮影が始まりました。
そしてスタッフ、キャストの皆様に支えられ、2022 年の夏に撮影を終えた本作『ラストホール』は
第 17 回田辺・弁慶映画祭において、光栄なことに【キネマイスター賞】を受賞し
田辺弁慶セレクション 2024 としてテアトル新宿、テアトル梅田での上映が決まっています。
私は田辺・弁慶祭でこの映画を上映していただき、スクリーンの前の自分以外の誰かに届くことでやっと、この『ラストホール』いう映画が “確かに血の通った作品”になることを知りました。
個人的な、自伝的な、小さな映画です。
それでも確かに、人の心に寄り添える作品だと信じています。
この作品が誰かの元に届き、その瞬間を生み出すことができたのならそれだけで私は充分幸せです。
本作『ラストホール』がより多くの方に届きますよう、
みなさまのご支援をどうかよろしくお願いいたします。
最後に…
娘と写真を撮りたい父と、父に近づかれて嫌がっているわたし(2015年)↓
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