目指せ、130万円
vol. 10 2019-12-05 0
▼目指せ130万円
お陰様で、目標金額100万円は達成しましたが、
100万円を超える大きな展示場を借りたため、諸経費を併せて130万円ほどの資金が必要になりました。
目標達成した際には、総額1万円以上のご支援をいただいた方、全員に
ニューヨークの「アウトサイダー・アートフェア」で撮影した動画をお送りさせていただきます。
夢を叶えるための後押しを宜しくおねがいします。
【8名の出展者をご紹介します】
1) 小林 一緒 (ITSUO KOBAYASHI)
1962年生まれ、埼玉県在住
調理師として蕎麦屋や給食センターに46歳まで勤務したあと、アルコール性神経炎を患い歩行困難な状態となる。
18歳頃から書き溜めたメモ書きを頼りに、当時の記憶を呼び起こしノートに自らが食べた料理のイラストと感想を描き続けている。
2) ガタロ (GATARO)
1949年生まれ、広島県在住
33歳のときから、広島市の市営基町アパートにあるショッピングセンターで清掃員として働き始める。以後35年以上、毎朝午前4時から午前9時半頃まで清掃の仕事に従事。
勤務後、みずからが使っている掃除道具の佇まいに美しさを感じ、拾ってきたクレヨンなどでスケッチをするようになる。
3) はくのがわ (HAKUNOGAWA)
1992年生まれ、東京都在住
16歳から精神科への通院を開始し、躁鬱病と診断を受ける。18歳のときには、仕事先で知り合った男性と結婚するが、リストカットや自殺未遂で不穏な状況が続き、4年後に離婚が成立。
鬱状態のとき、1日1回丸を描くことで達成感を味わえたことがきっかけとなり、18歳頃からメモ用紙に小さな丸で構成された細密画を描くようになる。以後、電車内や隙間時間などを見つけては、小さなメモ用紙に0.5ミリのボールペンで奇妙なキャラクターの絵を描き続けている。
4) 戸谷 誠 (MAKOTO TOYA)
1944年生まれ、東京都在住
多摩美術大学を卒業後、父親が開業した薬局で自分だけの絵を描く生活を始める。
26歳のとき、京都の画廊で初個展して以来、定期的に発表を続けている。
50代半ばには薬局を閉店し、現在も絵を描くことに没頭する日々を送る。
5) 新子 (SHINKO)
愛知県在住
幼少期より、みずからの性別に悩み、性同一性障害を抱えている。
社会人として働いていたが、あるとき体を壊して拒食症になり退職。鬱の症状も併発し、自宅に引きこもるようになる。その間も絵を描くことだけは続けていた。
下書きなどは全く行わず、その場にあった画材を使って即興的に描いていく。使用している画材は安価なものが多く、紙が足りないときは裏面に描くこともある。作品のタイトルはおろか、いつ描いたかという記録さえ記していない。自宅には2000点を超える絵画があふれており、2008年頃からは、最寄り駅の路上で毎月第一土曜日に絵の制作と販売を開始。
現在は、知的障害のある人の福祉施設で、家事援助や移動支援などの業務に携わっている。人間関係の広がりとともに、画風も変化。これまで、他者に理解されないことへの怒りや憎しみであふれていた絵画は、現在では動物や植物、仏像など多様なモチーフが登場するようになっている。
6) ピンクスキー (PINKSKI)
1986年生まれ、神奈川県在住
生理前に絶望感や自殺願望が現れる月経前不快気分障害(PMDD)や自閉症スペクトラム、統合失調症などさまざまな障害を抱え、20代半ばから本格的に絵の制作を始めた。
制作時は画面が汚れないように手袋をはめ、色鉛筆やクレヨンを塗り込み、はみ出した部分に丁寧に消しゴムをかけていく。その姿は、まるで神聖な儀式のようだ。1枚描くのに2ヶ月は費やしている。
精神的に弱っているときに描くポップで毒っ気のある絵画に、彼女は自己を投影させている。絵のなかの女性は残虐な行為を行うこともあれば、様々な場所へ自由に出かけていくこともある。ひとりで外出することだけでなく、部屋の掃除や他人と長時間コミュニケーションをとることが困難なピンクスキーにとって、絵の中は唯一自由でいられる場所なのだ。自らの内面を切り開くように描かれたその絵画からは、圧倒的な生へのエネルギーが感じられる。
7) 戸舎 清志(KIYOSHI TOYA)
1969年生まれ、島根県在住
出雲市の山間部で両親と暮らしている。
建物以外の道路や駐車場、空き地などすべての空間が、たくさんの車で埋め尽くされた町の俯瞰図を描いている。描かれた建物には、実在するものも多く、職場へのバス通勤時や母親の車の乗車時に眺めた町の風景を記憶し、それらを組み合わせて描いているようだ。
3歳ごろから絵を描き始め、小学生になると定規を使って町の俯瞰図を描くようになった。中学生のときには、絵の中に人の姿を描くこともあったが、近年は建物と車だけを描いている。
制作は、休日に自室で行っている。下書きもせず画面の左下から右上に向かって、定規を使っていく。これまで描いた絵画は1500枚以上に及び、家族によって自宅の押し入れで保管されているが、描き終えた絵に執着はないようだ。
8) 丹 作造 (SAKUZO TAN)
1958年生まれ、東京都在住
大学卒業後から現在までビル清掃の仕事に従事。
30歳のときから、仕事の合間に独学で音楽活動と絵画を始めるが、音楽活動は5年で挫折。35歳より、本格的に絵を描き始める。
自身の清掃の仕事に対する他者からの差別的意識が、彼の制作の原動力になっており、絵のなかには彼をさげすんできた人物が描かれている。彼にとって絵を描くことは、そうした人たちに対する怒りや暴力的衝動を抑えるための「特効薬」になっている。