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をクラウドファンディングで実現!

暴走族の文化と日本の工芸がコラボ。
未だかつてない日本の文化価値を発見できる「工藝族車」

閉塞感漂う今の日本で、忘れ去られたり、少しずつ衰退している工芸と、未だ文化として価値が発見されていない族車の文化を掛け合わせ、日本らしい伝統的な美意識を継承しながらも全く新しい価値を創出するプロジェクトです。

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このプロジェクトは、2020年2月28日23:59に終了しました。

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このプロジェクトは、2020年2月28日23:59に終了しました。

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PRESENTER
UMI

人間と、テクノロジーや技術の関係を観察しながら、 人間がまだ気づいていない、または意識できていない、新たな美を作りたいと考えています。 広告会社でデジタル中心のプロデュースに従事した後、2019年より独立。 HAE (Human Awesome Error) 代表。

  • 東京都
  • 起案数 1
  • 応援数 0
  • Twitter (未設定)
  • フォロワー 30 人

ヨーロッパのハイブランド視点からの暴走族

vol. 3 2020-02-21 0

恋とは無いものねだり。ヨーロッパのハイブランドが、ストリートファッションに恋をするのは、ファッションど素人な僕からしても自然に見える。もう100年以上、年2回のタイミングで考えをまとめてコレクションをランウェイで発表するという、もはや厳格といってもいい慣習を続けるハイブランドにとって、ストリートファッションは、いつどこで何が原因でそうなったか分からない、掴み所が難しいうねりだ。努力しても手に入れられないものは眩い。

両者の接点として最も明快なルイヴィトンのヴァージルアブローが、最近ストリートファッションはもうそろそろ終わる的なことを言い、いや、そんなわけねーだろ、と巻き起こる議論自体が、ストリートファッションというキーワードの重要性を感じさせる。個人的には影響力のある人がなんと言おうと、ストリートファッションはそこかしこで噴出して、コントロールができないんじゃないかなあと、昨年のSUTUDIO VOICEの濃密なアジア特集群を読んで肌感を確かめているところです。
そんなハイブランド(というか単にケリンググループの二つだけなのか、同じ映像プロダクションなのか?)が、3年前くらいに暴走族を取り上げている。

まずGUCCI。

続いてサンローラン。

2019のDiorは暴走族ではないけど、

リーゼントとボンタン、ギラギラした夜の東京(勝手な想像)、という、僕みたいなヤンキーマンガで育った人からしたらノスタルジーを禁じ得ない。

今、暴走族の文化を引き継いでいるのは暴走族というよりは「旧車會」と呼ばれるチームだ。
警察白書によれば、いわゆる暴走族と呼ばれる人たちは彼らが把握している限り、減少傾向にある。それは間違いないが、水面下で現役の暴走族、旧車會まで含めると実態は恐らく把握しきれてないだろうというのが関係者の意見である。

5-27 暴走族の勢力と動向の推移(平成25~29年)

元暴走族の人たちに、なぜ暴走族に入ったのか聞いてまわったことがあったが、愚問だった。彼らは選択をしていない。中学、高校と、ガチでヤバい先輩との上下関係によって、中高一貫教育のようにほぼエスカレーター式に暴走族になっていく。暴走族が廃れた理由は多説あるが、暴走族と旧車會の性質を概念的に分けるとしたら、暴走族が縦の関係だとしたら、旧車會は横の関係だ。モダンな旧車會はチーム同士で様式美を競い合いながら文化を守り、更新し続けている。
この辺はヒップホップが誕生した頃のギャング同士のポジショニングの抗争から、文化的な競争に移行した風景と似てて(NetflixドラマGet Downが楽しく学べるヒップホップ誕生)改めて砕いて伝えたいんですが、旧車會の人たちは文化を継承しているだけあって、厳しい審美眼を持っている。
彼らがハイブランドfeat.暴走族の流れについて、あーあれね、程度の感想しか持たないのは、どれも掘り下げ方が浅いと映っているからだ。
GUCCIもサンローランも、撮影用に作った小物でなく、すでにあるものを引用して作った映像であり(もし違ったらすみません)、狭い世界なので、あーあのバイク知ってるよ、〇〇んとこの〇〇のでしょ、でもなー、違うんだよなー…、という感想になってしまう。(ごめんなさい、映像は格好いいと思います)
茶道で言えば、あー、冬なのに、夏に使う風炉用の道具使っちゃてるから折角の季節感が…みたいなことだ。
各ブランドにとっては、ニュアンスや空気感の方が大切だろうから、ミームや細部の優先順位は低いかもしれない。ただ僕が気づいたのは、族車の伝統的な様式美を継承していくのはホントに難しいんだな、ということだ。

大学を出て数年が過ぎた2000年代後半、どうこでそうなったか忘れたが、個人的に影響受けていたのがヒップホップ黎明期のDYIブロックパーティだったので、友人達と発電機とサウンドシステムを車に積んで人が来ない場所を探し、爆音でパーティをしていた。
ある時、朝まで遊んだ次の日の帰り道、三浦縦貫道路の入り口で休憩していると、大量の族車が通り過ぎたのである。ゼロ年代も終盤に差し掛かったその頃、僕は族車の改造様式が概ね殆ど変わっていないことに気づいた。
小学校の時にみたアオシマのプラモ、高校の時に読んだ「特攻の拓」(あと「BAD BOYS」)、大学の時に見たスペクター、多少の差異はあるかもしれんが、ずっと同じだ。ちなみに大学の頃、チーマーやカラーギャングと共に並走したYAMAHA TWのスカチューン(バッテリーを無くす、もしくはミニバッテリーで不可視化する)スタイルは、その頃既に影を潜めている。
その時、目の前の旧車會の集団を見て、自分の中で少なくとも20年も続いているこの様式は、もはや伝統文化といっていいじゃないか、という感覚が芽生え始めた。スカチューンよりも族車の方が文化として強靭なのは疑いようがなかった。

そして、後々知ることになる、型を意識しながら、自分の代でどう革新的な更新をしていくかという旧車會の若手のメンタリティは、あれ、これ工芸に似てねーか?という仮説に繋がってきた。
迷惑行為に文化もクソもあるか、というのはごもっともだけど、ただ、他人の家の壁に勝手に絵を描く迷惑行為だったものが、芸術史に残る傑作としてサザビーズでどえらい金額で取引されるようになったり、他人の家に無断で入ってプールでやってた遊びが、スケボーとして東京オリンピック正式種目になったりしたのは、批判以外の視点を向けたからこそ、違法行為の文化的側面が成長したことに着目したいと思う次第です。

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