「婚葬式」がIDEAS FOR GOODにて紹介されました。
vol. 5 2022-07-25 0
アーティストとしての最初の作品「婚葬式」を紹介頂きました。
「正しさ」が溢れる世の中で、「正しくあれない」人間たち。
あらゆる世界に存在する醜さが「社会課題」と言明され変容を要求されるこの世界の片隅で。
「正しくあれない人間」が誰にも聞こえない呻き声をあげている。
かつて家族や学校、それ以外の他者に傷つけられた子どもは、怨嗟の声ではなく「綺麗な社会課題解決の提案」として声を上げなければ誰も見向きもしなくなった。
それ以上に、「その心の苦しみを他者が存在する社会で表現してはならない」という規範に基づいて、正しいカウンセリングを受け、正しい認知を獲得し、正しい振る舞いを身につけることを強制されることになった。
だから人々は、綺麗な社会課題を綺麗な感情を込めて声を上げるようになった。
なぜならそれが美しいとされ、美しくない人間は承認をされないから。
街中でヘイトスピーチをしているキモくて汚いおっさんは、あなたたちが同情を捧げる「発達障害や虐待を受けた子どもたち」だったかもしれない。
ジャンクフードを食い、未成年飲酒をし、人を傷つけるその人は「貧困に喘いでいた子ども」だったのかもしれない。
何かのカテゴリーで同情し、そのカテゴリーを卒業した人間にはバッシングを加える。
もしかしたら、この世界が「正しく美しくならない」のは「正しく美しくあれ」という規範そのものを抱き、そうではない人間をバッシングし、排除・改善を要求する「正しく美しい人間」たちが無自覚に正義を振るっているからかもしれない。
「優しい顔」をした、「潔癖なまでの美しい人間への要求」。
その優しさと、美しさの裏に隠された不寛容さが、見えない排除を生み出しているのだとしたら。
その潔癖で健康で、道徳的で、美しい世界に生きられる人間は何人いるのだろう。
美しい環境の中で生きられない、汚く、醜い人々。
僕はそんな人間の醜さを愛したいと心から思います。
葬式と結婚式、「不幸」「幸福」対極の感情が強制される2つの儀式を混ぜ、「内面を正される」世界への問題提起を行いました。
潔癖な真っ白な世界に、真っ黒な感情が混ざり、白も黒も生きることができる灰色の世界へ。
その一歩に、なればとこの世界の片隅で私は声を上げ続けております。
取材リンクはこちら: https://ideasforgood.jp/2022/07/25/katharsis/
〜以下、取材をいただいた方のコメント〜
いま、この世の中に流れている情報やニュースのほとんどは、おそらく私たちに何かを伝えようとしている。その何かとは、直接的には言わなくても、多くの場合「こうした方が良い」「こうあるべき」という社会規範のようなものである。そして、それらはあたかも「一般常識」の様相を呈して、私たちの目の前に現れる。
たとえば、「環境汚染が深刻なのでプラスチックを削減しましょう」「インクルーシブな社会のために企業は多様性を認めましょう」といったように、聞く限り“大事そう”で、皆が取り組むべきであろう事柄はたくさんある。そうした言葉にわざわざ「なぜ」という疑問を投げかけ、疑ってかかる人は少ないだろう。
だが、そのようないわゆる“耳触りの良い”言葉を見聞きしたとき、ただ無批判に受け入れるのではなく、一度立ち止まってみる。そして、「なぜ私は、僕はそれをするのか?」「本当に大事なのか?」と自分に問いかけてみることは、本質的に大切なことのように感じる。
属性だけでカテゴライズできない、固有名詞を持った個人が77億人も生きているこの世界で、本当の多様性を認めることは難しい。だけど、自分や他者の素直な感情を認めてあげることができれば、少しでも多くの人にとって生きやすく、もっと多様で自由な社会になるような気がする。この取材を通して、そんなことを思った。
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