ダルマ
vol. 9 2017-07-22 0
マハーバーラタには、「ダルマ」という言葉がたくさん出てきます。特に今回の第4章、敵味方でお互いに「ダルマにもとるぞ!」「そっちの方こそ!!」とやり合う場面が続々と。
この、「ダルマ」ってなんでしょう?マハーバーラタでも特に大切なキーワードですが、片目のだるまさんを思い浮かべる方も多いのでは??
そう、実は「ダルマ」と「だるまさん」は同じ語源です。ダルマは漢字で書くと「法」であり、ルールや秩序をあらわし、人として生きる正しい道、真理、を指すサンスクリット語です。「だるまさん」は禅の開祖達磨大師がモデルで、9年間坐禅を続けたために手足が腐ってしまったという伝説からあのような形になっているとか。その達磨大師は、悟りを開いて「ダルマ」を体現した人であったため、「ダルマ」大師と呼ばれるようになったのです。
マハーバーラタで最も有名な一節「バガヴァットギーター」は、その部分だけでも聖典とされ、大戦争を前に親族同士で殺し合うことに疑問を感じて戦意を失った英雄アルジュナに、ヴィシュヌ神の生まれ変わりであるクリシュナがダルマについて説く、というもの。
クシャトリア(武士階級)として生まれたアルジュナにとっては、戦闘こそが義務であり、ダルマである。生死は人智を超えた営みであり現世での出来事に過ぎない。そこに囚われて武士階級としての義務を果たさないのはダルマにもとる、というのが大筋。
また、パンダワ兄弟の長兄ユディシュティラは、その名も「ダルマ」神の息子であり、ダルマにもとることは一切しないという清廉潔白な人物。決して嘘はつかず、カウラヴァ側から仕掛けられたサイコロ賭博も、断るのは武士階級のダルマに反する、ということで引きうけ、結局イカサマで負けてしまうのですが…
今回の第4章の中で、パンダワ5兄弟にとっても武術の師匠であるドローナがカウラヴァ側の大元帥として立ったとき、どうしてもドローナ率いるカウラヴァ軍を打ち破ることができず、クリシュナが一計を案じる場面があります。
それは、ドローナの息子アシュワッターマンが死んだ、と、嘘の触れを広めること。
嘘で相手を陥れることはダルマにもとるということでみな反対しますが、結局それしか手立てがない、ということで、一頭の象に突如「アシュワッターマン」という名前を与え、これを殺して、「アシュワッターマンは死んだ!!」との情報を広めます。ドローナは、まさかユディシュティラは絶対に嘘はつかないだろうと考え、ユディシュティラに「アシュワッターマンは本当に死んだのか?」と尋ねると、ユディシュティラは「アシュワッターマンは死にました!」と答えるのです。その後に小さな声で「しかし、象のアシュワッターマンですが…」と呟いたのは耳に入らず、ドローナはたちまちにして戦意を失い、討ち取られてしまいます。ここから、一気に戦況はパンダワ軍に傾いていくのです。
しかし、ユディシュティラは嘘はつかなかったとはいえ、卑怯な手であることに変わりはない。これを提案したのは、他でもない、ヴィシュヌ神の生まれ変わり、クリシュナ。
クリシュナは、ことあるごとに、ダルマにもとるようなことをしでかして、戦況をパンダワ軍に有利に運んでいきます。
アルジュナにダルマを説きながら、本人はダルマを無視したようなことを平然としでかす。これが最高神の生まれ変わりがやることなのでしょうか??
一見、クリシュナのやっていることは「常識的に」考えたら、卑怯で、とてつもなく腹黒いことのように見えます。しかし、クリシュナは神の化身。そこには人智を超えた何かがあるのに違いありません。
バガヴァットギーターに、クリシュナが「私は全てであり、全てはわたしである。私の内に全てを放擲し、ただ行為せよ」というような内容の一節があります。つまりは、お釈迦様の掌で飛び回っていた孫悟空のように、何をするにしても大いなる存在の中にあるのだから、何事にもとらわれず、ただ為すべきことを為せ、ということでしょうか。
ある境地に達したとき、その為すこと全ては大いなる存在の為していることと同一であり、自由である、ということをクリシュナは教えているのでしょう。
これは5000年前の話とされていますが、さて、今の時代、ダルマはどこにあるのでしょう?バガヴァットギーターでクリシュナが説いているような世界を誰が見ているのでしょう?
様々なことを考えさせられるマハーバーラタpart4「戦いは終わった」、いよいよ公演まであと少し!!
ダルマにもとる仕掛を次々に繰り出すクリシュナ(一番左)。偽の日没を作り出して、敵軍を欺く。
弟たちのあとを追って天国に着いたユディシュティラが見たものは、ダルマにもとると思っていた敵将ドゥルヨーダナが神々に囲まれている姿。いったいどういうことなのか!??