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黄金町出版プロジェクトをクラウドファンディングで実現!

都市文化政策や地域活動など、
社会におけるアートの役割や機能について再考する本を作りたい!

横浜市の初黄・日ノ出町地区(黄金町)におけるアートによるまちづくりの活動を事例に、都市とアートを関係づけるための実践とそこで起きた日常の記録を、その背景となる構想を振り返りながらまとめた本の制作・出版のプロジェクトです。

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このプロジェクトは、2021年1月12日23:59に終了しました。

コレクター
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残り日数
0

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このプロジェクトは、2021年1月12日23:59に終了しました。

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黄金町出版プロジェクトは、横浜市の初黄・日ノ出町地区(黄金町)のアートによるまちづくりの活動に携わる山野真悟と鈴木伸治の共同著書の制作です。 横浜市の創造都市政策(2004年〜)と、まちを舞台とした国内初期のアートプロジェクトである「ミュージアム・シティ・プロジェクト(1990〜2002年、福岡)」が始まった背景を振り返りながら、黄金町のアートによるまちづくりの活動を一つの事例に都市とアートを関係づけるための実践とそこで起きた日常の記録をまとめた内容で構成しています。

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活動のご報告ーその3

vol. 3 2020-12-06 0

*12/7 本文(IAF(福岡)について)に一部修正を加えました。

こんにちは、黄金町出版プロジェクトです。

書籍本文でも紹介するIAF(Institution of Art Function)の活動について、フィリピンのアートスペースGreen Papaya Art Projectsが運営する「Right People, Wrong Timing (RPWT)」に山野真悟さんが寄稿されました。

アーティストが集積する黄金町のスタイルの原型とも言えるIAFの活動がどのように発展してきたのか。そして、一人のアーティスト(川俣正さん)との出会いがアートの概念を変えるきっかけとなったことや外との関係性に注目した活動の始まりとなったことについても書かれています。

本書が完成する前に、ぜひご一読いただければ幸いです。

*****
Please click here for the English version

IAF(福岡)について
寄稿:山野真悟

1971年、私は東京から福岡に戻ってきた。1975年、福岡市中央区谷2丁目で銅版画教室を開いた。少人数の生徒たちが集まってきたが、その頃東京芸術大学を卒業して大牟田市の実家に帰ってきたばかりの江上計太と知り合い、彼と教室に集まってきた人たちと小さな美術評論の雑誌を作ったりしていた。そして彼らとともに、もう少し教室を大きくしようという話になり、そのほかのクラスも準備し、福岡市中央区薬院3丁目の木造の2階部分を借りて再スタートすることになった。しばらくして私はその場所に「IAF芸術研究室」という名前をつけた。やがて私たちのグループはIAFと呼ばれるようになる。

教室立ち上げ時の講師は山野(銅版画)、江上(デッサン)、小川幸一(シルクスクリーン)、だったが、その後、木塚忠広(油絵、デッサン)、井上彰(リトグラフ)、田崎六郎(小川と交代してシルクスクリーン)、多比良澄生(テンペラ)が加わった。

この新しい場所には若いアーティストや九州産業大学の芸術学部の学生たちが集まるようになった。彼らの多くはIAFの生徒ではなかった。彼らは毎晩のように、教室が終わる頃の時間に集まるようになり、ビールや食べ物を買い込んできては夜遅くまで、時には朝まで居座って議論をするようになった。

そのような状況の中で、木塚忠弘が現代美術の読書会を提案した。最初は自分たちだけでやっていたが、それでは限界があり、途中から福岡市美術館学芸員の帯金章郎に講師役を依頼した。彼が最初に選んだテキストはMINIMAL ART A CriticalAnthology Edited by Gregory Battcockという分厚い本で、東京池袋の西武美術館の一画にあった書店、アール・ヴィヴァンから取り寄せて、毎週1回、各ひとりずつ担当の分を翻訳して発表し、それに帯金が英語の間違いチェックや解釈についての説明を付け足し、それをもとに議論を進めるという形をとった。1979年10月に始まったこの読書会は1981年3月に終了した。私たちは、次はコンセプチュアル・アートをやることにして、ミニマルアートの時とほぼ同じサイズのアンソロジー、On Art Artists` Writings on the Changed Notion of Art After 1965 Edited by Gerd de Vriesを読み始めた。この勉強会は帯金が福岡を離れたあとも、継続した。その後も九州芸工大の助手、森下明彦が参加し、アート&ランゲージのテキストによる概念芸術研究会、黒田雷児が参加してThe Anti-Aestheticの読書会、その後もパースやバフチンをテキストとした記号論研究会へと続いた。この研究会に集まってきた若い彼らと行動をともにする機会も増えて、私たちは若いアーティストグループのひとつと見なされるようになった。当時のメンバーでその後もアーティストとして活動を続けた学生は九州産業大学出身では和田千秋、牛島智子らがいる。後年ミュージアム・シティ・プロジェクトの事務局スタッフとして活動するようになる宮本初音(当時九州大学医学部学生)は1984年にサークルで作っていた雑誌の取材のために初めてIAFに来たそうだが、彼女の証言によれば、それ以前に九州大学の美術部の学生がシルクスクリーンを習うために通っていたという。

私たちは若いアーティストたちが主催するグループ展に参加し、また自分たちで展覧会を企画した。また、その頃福岡では実験映画がさかんだった。民間ではFMF(フィルム・メーカーズ・フィールド)というグループがあり、また松本俊夫率いる九州芸術工科大学の画像設計学科には若くて優秀な人材、学生が集まっていた。私たちも彼らの指導で、8ミリの映像作品を作ったり、彼らが私たちの展覧会に参加したりしていた。1982年私はFMFのメンバーであるノトヨシヒコに映像のクラスをお願いした。そのときのただ一人の生徒として、のちの京都大学教授、映像作家土佐尚子がいた。IAFは映像作家の上映会やパフォーマンスの会場として利用される機会が多くなった。また福岡を訪れた東京や他地域のアーティスト、さらに後年はアジアのアーティストが立ち寄る場所にもなっていた。

1983年、帯金章郎から、川俣正が美術館の外で展示を計画しているので場所探しを手伝ってほしいと連絡があり、それで初めて川俣正と会った。帯金はその時『素材と空間』展という、当時新しい動向として注目を集めていたインスタレーションと呼ばれる手法の展覧会を計画中で、他に戸谷成雄と保科豊巳が参加していた。

川俣が持ってきたインスタレーションという新しい概念は福岡の若いアーティストたちに大きな衝撃を与えた。アートの概念が変わるということはアートを取り巻く現実についての概念も変わるということで、特に私と江上計太は彼から大きな影響を受けた。

川俣以後、福岡の若いアーティストの行動が変わった。彼らは(というか私たちは)とにかく外へ出るようになった。私たちの展示は、ビルの屋上や、空き家、オフィスなど、ギャラリーや美術館以外の場所ばかり使うようになった。また、動きが早くなった。私たちは毎月のように展覧会をやるようになった。このときには、すでに私たちの世代だけではなく、もっと若い人たちの動きも目立つようになっていた。川俣とIAFの関係はその後も続いて、アートフロントギャラリーやコバヤシ画廊の依頼で、彼のシルクスクリーン作品を制作した。

川俣正は1990年代の後半から、改めて福岡と接点を持つ。「コールマイン田川」は炭鉱の街に鉄塔を建てるという長期的なプロジェクトで川俣は年に2回滞在してプロジェクトを進めながら、それに関連する企画を行なった。若いアーティストや建築家をはじめ、多くの人たちがスタッフやボランティアとしてこのプロジェクトに関わった。2006年にこのプロジェクトは鉄塔が未完成のまま、終了した。

1983年以来、さまざまな場所を移動しながらプロジェクトを行う川俣との出会いがきっかけとなって、私たちは他の地域とのつながりを作ろうと動き始めた。札幌で川俣のプロジェクトのサポートをしていた道立近代美術館学芸員(当時)の正木基の協力が大きかった。私たちは比較的近場の九州からネットワークを作り始め、ローカルな地域同士をつないでいった。九州から関西、群馬、北海道へ、とつながってから、1987年、東京の佐賀町エギジビット・スペースで、ローカルエリアのアーティストが集まり、「Artists` Network]」という展覧会を開催、さらに同年、福岡県立美術館でその拡大版「Artist`s Network Expanded」を開催した。この時に作った人脈がその後の活動の基礎になった。

1989年、博多駅そばにあったホテルリッチ博多で、総勢100人以上のデザイナー、イラストレーター、アーティストが参加して『GAS』展が開催された。この展覧会はホテルリッチ博多側の依頼により、その頃空室となっていたホテル内2Fの音楽教室跡、約890㎡を会場に1989年8月1日より9月30日まで開催された。企画内容や運営方法は、ホテル側と参加アーティスト側の代表との協議で決定された。

この会期中に私に会いに来た人がいた。三菱地所の辻正太郎と西日本新聞事業部の原田信行で、辻はこの年、福岡市中央区天神にオープンした商業施設IMS(イムズ)の経営側、原田はギャラリー三菱地所アルティアムの運営をはじめ、イムズ内の文化事業等を委託されている立場で、ふたりの相談はイムズの館内全体を使って、地元の若いアーティストの展覧会がつくれないか、ということだった。私は引き受けることにした。このとき私は予算管理をしながら展覧会をつくることをはじめて経験する。1989年、第1回目の「九州コンテンポラリーアートの冒険」が15名の九州エリアのアーティストを集めて開催された。私と商業施設とのつながりはこのときからはじまり、この展覧会は1998年まで10回開催された。3回目以降は公募展となり、若いアーティストたちの登竜門的な役割を果たすことになる。1999年に「九州コンテンポラリーアートの大冒険」として、これまでの参加作家のうち、その後も継続的に活動している地元のアーティスト6名のほか、東京から中村哲也、ベルリンからナターシャ・ニジックをゲストに招き、特別展を開催してこのシリーズはすべて終了することになった。

1990年代に入って、私の活動の中心はIAFからミュージアム・シティ・プロジェクトという新しい事業に移行する。IAFはまだ教室のスタイルを残していたが、私個人としては事務所兼、交流の場所という役割が大きかった。

IAFは経営的には失敗で、収入が家賃の額に達することはまったくなかった。私が別のところで収入を得ながら運営を続けるというスタイルだった。

IAFが果たした役割をまとめるなら、まずは福岡の若いアーティストが集まる場所になったこと、そして彼らの研究と発表の場所として機能したこと、そしてアジアを含む他地域のアーティストとの交流の役割を果たすようになったことだろう。

1990年代に入ってもIAFの活動は続いた。そこにはおそらくMCPとIAFを区別し、使い分ける意識があったのだろう。IAF特別講座という福岡市内の施設を借りてゲストを招いて続けたシリーズがあった。

資料によれば、1995年当時、IAFは年会費3000円の会員制度を作ったようで、その会員のための特典として、特別講座を始めたらしい。第1回目は写真家吉住美昭による作品を撮影するための写真講座。そして第2回目が蔡國強(Cai Guoqiang)の講座で、「福岡市健康づくりサポートセンター、あいれふ」で開いている。現在残る資料によると1995年から1998年の間に31回開催しているが、このあともまだ続いたらしい。

またこの講座の報告のような形で、会員向けにIAFペーパーという小さな手書き混じりの冊子を作り、会員分コピーをして少部数配布していた。当時の福岡の美術状況を知る上で、今では貴重な資料となっている。

2001年になって、私が福岡市博多区に新しいオフィスを構えるようになってから、IAFはIAF SHOPと改称し、若い人たちが中身を変えて、引き継いだ。その後さらに2004年から運営者が交代し、2020年現在、飲食とライブや展示のスペースとなり、同じ場所で続いている。

山野真悟
2020年11月16日

*****

表紙写真 提供:山野真悟
1993年のIAF (奥にいるのが山野真悟さん)

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追加情報

Film Makers Field (フィルム・メーカーズ・フィールド)
http://fmffukuoka.blog61.fc2.com/
“Museum City Tenjin 1996, Fukuoka, Japan”
http://www.asahi-net.or.jp/~RY4H-MYMT/mct96.index....
Stephanie Gartelman. "Activists in the name of art." (19 Aug 2001)
https://www.japantimes.co.jp/.../activists-in-the-...
"Art in Fukuoka." (24 Oct 2011)
https://www.fukuoka-now.com/en/article/art-in-fuku...
IAF SHOP*
https://iafshop.tumblr.com/
もしよろしければ
https://greenpapaya.art/donation

*****

Right People, Wrong Timing (RPWT)は、グリーン・パパイヤ・アート・プロジェクトの20年の歴史を通して交流のあった、または同じ時代に活動したアジアのインディペンデントのアート・イニシアチブの中から、一時的、または永続的に活動を休止しているイニシアチブに関するテキストを紹介するシリーズです。2020年8月から12月の期間中、毎週金曜日に新しい記事を掲載します。国際交流基金マニラ日本文化センターからの助成を受けています。
http://rpwt.greenpapaya.art

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