【メンバー紹介#2】くらげっきーと私はこうして出会い、今も成長している。
vol. 5 2023-10-04 0
こんばんは。
喫茶ソラクラゲの稲垣です!
今回は、自己紹介と併せて、くらげっきー誕生の経緯やなぜ今「喫茶ソラクラゲ」を行うのか、その想いを綴らせていただきました!
「喫茶ソラクラゲ」をどんな場にしたいかなども書いてみたので、ぜひ最後までお楽しみください!
○略歴
稲垣 菫(いながき すみれ)北海道札幌市生まれ。昔から毛のないぷにぷにした生き物が好きで小学二年生の学習発表会でクラゲ役をつとめた。こう見えて4人兄弟の長女!大学では管理栄養士コースを専攻していたが、気がついたらクラゲのクッキーを焼いていた。卒業後も事業を続けるが、カフェはうまく行くも、設立した合同会社はトラブル多発の日々…どうしようか悩んでいたところクルミドコーヒーのクルミド大学で東京・国分寺に流れ着く。思い切って上京し1年半、いまだに慣れない東京暮らしに奮闘中。
○”くらげっきー”の誕生と、私がなぜ喫茶店をやりたいのかについて。
今から6年前に遡ります。
20歳だった私に辛いことがたくさん重なりました。毎晩、涙がでなくなるまで泣き叫んだり、話したくても声が出せなくて話せなかったり…落ち込んでいた時期がありました。
そんな時、家にも学校にもどこにも居場所を感じられずにいた私をささえてくれたのが近所の喫茶店「ジミーブラウン」の存在でした。
最初は偶々連れていってもらったのですが、なんだか言葉にできない心地よさがあって、気がつくと週に何度も行くほど通っていました。ジミーブラウンの店長は、私の悩みや話を聞いてくださったり、時にはピリリとした一言をくれたり…お店で働かせてくれたり、お菓子を焼かせてくれたり、いつも私の安心と冒険を後押ししてくれました。
なにより、珈琲を1杯。ただそこにいていい。珈琲と共に過ごす時間が、何よりも心の拠り所となりました。
店長お得意のラテアート
ジミーブラウンには、夜な夜な閉店後に集まってくる変な大人たちがいました。すきな楽器を弾いたり歌ったり、思い思いに話したり、みんないつも楽しそうに自由に過ごしている。そんな大人たちに混ざる中で私も何か表現してみたいと思い始めました。
表現したいと思ったはいいものの、当時は意見を言うのも苦手だし、得意なことが特別あるわけでもないし…なんとなく流されて生きてきた。
そもそも自分は何が好きで、何が嫌い何だろう。なんてことも自分で自分のことがわからなく、最初はとにかく何でもやろうと思い、色んなイベントに行きまくったり本を読んだりたくさんの人に会ったり、がむしゃらに動いた。
北海道の生産者さんをたくさん回ったり、VEGANの飲食店で働かせてもらったり、勉強会に参加したり…そんな中で、自分はやっぱり「人と、食べることが好きだな~」と気が付き学校で学んでいた栄養学以外の食の在り方について深め始めました。
モザンビークの方と子供大人もみんなで餅つき、米の収穫
イベント企画など色んなチャレンジをしていく中で、友人がお菓子のケータリングを頼んでくれて、その時に偶々生まれたのが”くらげっきー”でした。
初めての仕事、80人分のケータリングお菓子
自分の好きなこと×今できること=クラゲのクッキー
流されて生きることは悪いことではない、ただ流れる水流は自分で選ばないと!と感じていた私が「意志をもって流れるように生きたい」と思いを込めて焼いたのがクラゲのクッキー”くらげっきー”です。
私もいつかジミーブラウンの店長みたいになりたい、誰かの人生の小さなきっかけになれたらな、と思い起業を志すようになりました。”将来は起業したい!”そんなことを突然言い始めた私を受け止め応援してくれる人は当時ほとんどいませんでした。ましてや管理栄養士になるためのコース、両親も先生も友達もみんな起業???やめなさい、無理だ、そんな声ばかり。でも私は絶対にやって見せる!と空に誓う。
ありえないことやできないことを決めつけず、可能性を信じて生きていたい。もしかしたらクラゲも空をとぶかもしれないと思って、夢をもって生きていたほうが人生楽しいよな。と思い決めた屋号が「ソラクラゲ」でした。
○北海道から、なぜ国分寺へ?
札幌時代の「ソラクラゲ」
何度も出店させて頂いた、札幌PARCOの無印良品さん
間借り営業やイベント出店を中心に北海道の色んなまちで出店やイベントをしてきました。コロナの影響でイベントがなくなり困っていたところ、閉店したサンドイッチ屋さんの居ぬきでお試しで店舗営業してみないかと声をかけていただき、実店舗営業をスタート。同時に合同会社を設立し、札幌赤レンガテラスにあるカフェスタンドでコラボ営業も進める。
新卒で起業していたのもあり、全てが初めてのことばかり。教えてくれる人もいない、そんな孤独の戦いでした。ありがたいことにカフェ店舗の営業は順調でしたが、色々なことに手をつけすぎてしまい仕事に追われる日々。仲間への仕事のふり方もわからず、うまくいかない会社業務に悩む日々。
カフェは常連さんも多く楽しく営業できていましたが、もっとまちに開いたお店づくりがしたい、ただのカワイイカフェもいいけれど人生の小さなきっかけになるような場所にしたい。などいろんな思いが溢れ勉強しようと思っていたところ、物件の契約などのタイミングも重なり札幌での営業を一度終えることにしました。
窓辺の一角、お気に入りの1枚
そんなしっちゃかめっちゃかな私と、山あり谷ありなお店を一緒に支えてくれていた当時の仲間には今でも感謝しきれません。みんなが困ったときは1番に助けられるよう立派な大人になるぞ!本当にありがとう。
○今回「喫茶ソラクラゲ」に願うこと
そうして、2021年12月末に東京・国分寺へ流れ着きました。東京に来るなら絶対に学ぼうと決めていたのは主に3つのことでした。その3つが国分寺では学べそうだなと思ったのもきっかけの1つです。
1,環境:環境に配慮した取り組みを増やす。食材選びはもちろん、自分たちの営業がもたらす環境への負荷に目を向け、改善策をお店の仕組みに取り入れること。緑豊かな国分寺の「こくベジ」やまちの取り組み、「カフェスロー」の存在。パタゴニアで約1年間働かせて頂けた経験。
パタゴニアのみんなと桜の木で染め物ぶんじ寮にて
2,経済:事業としてちゃんと持続可能な在り方を模索する。お金だけじゃない経済循環を知る。国分寺に約12年流通している地域通貨”ぶんじ”のある生活ができた。もちろん当店でも使えます○
3,社会:まちに開いたお店にする。政治に関心を持つ。まちの寮「ぶんじ寮」がきっかけで始まるつながりや出会い。ローカル政治プロジェクト「国分寺の投票率を1位にプロジェクト」に参加したことで政治が身近に、自分事になりました。
上京したこの2年間でざっくりと学びたかったことを学べました。少しずつアウトプットしながら引き続き学びを深めていきたい、この後どうしていこうと悩んでぐだぐだしていた私。そんな時、鈴木が今の物件を借りて間借りスペースを1人でやろうとしていて、何度も話を聞くうちに気が付いたら私もやりたいと言い出していました。そして、ぶんじ寮で何度もみんなと話していく中で、1つのお店としてブランドをつくっていくのがいいんじゃないかとなり、店名どうしようか…全然決まらない!となり、私のどうしてもあきらめきれないわがままでソラクラゲをやらせてほしいと言いました。そんな私たちを見て、いつもそばで”最高じゃん!”と言ってくれていたのが田口でした。自然と3人が集まり、1人また1人と一緒にやってくれるメンバーが増えています。
そんな風に国分寺で始まった「喫茶ソラクラゲ」、これからどんなふうになっていくのでしょうか。想像もつかない未来にドキドキ、わくわく。
まちに開いた喫茶店、
1杯の珈琲からいっぱいの夢が広がりますように。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。それでは、みなさん、良い夢を★
喫茶ソラクラゲ 稲垣菫