Life Story その3
vol. 17 2021-11-17 0
私が竹細工を通じて山へ興味を抱いたように、ものづくりが間口になって身の回りの環境を考えるきっかけになってくれたらいいなと思う。いや、きっかけは何だっていいのかもしれない。水や空気やそこらに生えてる植物が「当たり前じゃない」ってことに気がつくことが大切で、自然からのギフトはもう目の前に用意されていて、そのリボンの紐を解くかどうかは自分次第だって分かることが何より深い意味を持つのだと思う。
社会がおかしな方向へ舵を切れば切るほど、普遍的で大切なものが浮き彫りになってくる。私が茂木へ越してきた5年前から今に至るまで、そのスピードは加速しているように感じる。自分が人生を賭けてでも、「今」やるべきことは何なのかー。そんなことをいつしかずっと考えるようになっていた。
震災後に見たコミュニティの未来像は、自身の体験や関わる人たちの影響もあって、どんどんクリアになっていた。そして伐採されていく森を見るたびに、同世代の友人夫婦の間に授けられた新しい命を見るたびに、心の深くで創造の魂は静かに燃えた。
批判や正義の押し付けは何も生まない。私はただ私として、他の存在を喜ばせる手段を考えさえすればいい。それが自然の摂理であり、働くということ。その活動及び精神は相似形を成し、世界に波及する。言葉だけではとても言い表せない感覚だが、、根拠のない確信ほど的を得ていることはない。出会ったときから妻も想いを共にしてきている。それが何よりの証拠だ。
暮らしを慈しみ、味わって生きて欲しい。
自然に寄り添い、未来へ繋がる造作をしていこう。
人間に出来ることは限りがあるけど自分には素晴らしいことが出来ると信じよう。
今回敢えてクラファンに挑んだのは、わが家を叩き台にして、希望のタネを沢山蒔くことが出来ると気づいたからだ。見返りも求めない、与えるのみの愛の世界は確実に存在し、この土地に残された想いと重ねて、結実させるタイミングは今なんだと直感したから。
私たちはどんな未来でもつくることが出来る。空間をともにすれば、頭で考えている以上のインプットがある。そしてそれを自身のフィールドでアウトプットすれば数百倍となって戻ってくる。壮大なプロジェクトと呼ばれることもあるけど、片田舎のとても小さな実験とも感じるし、過去をなぞることで見えてくる新しいラインを手探りしているようにも感じる。
しかし今回のプロジェクトでもっとも共有したいことは、どんな環境、どんな場所であれ「内観する大切さ」つまりは自分軸を忘れなければ、世界はあっと言う間に豊かになっていくという感覚なのかもしれない。かごめらぼのフィールドで沢山の方とご一緒できる日を楽しみにしています。