【女性の描き方 映画『自由を手にするその日まで』】
vol. 2 2016-05-30 0
こんばんは。
今日は、天野流、女性像の描き方についてお話しします。
日本はアイドル文化だからか、どこか理想的に美化された女性像の登場人物が現れるといったプロットが一般的に受ける気がします。
例えば、理想的な女性が近くにいて、それにあこがれるサエない男の子、といったストーリーも多い気がします。
それはそれで個人的には良いと思います。
マンガ文化・アイドル文化は日本の大切な文化です。
そのため、映画においても、どこか漫画的な(『胸キュン』などの)形式化された演出が、受けるのかもしれません。
でも、あくまで僕個人の意見ですが、観客の妄想や空想を満たしてくれる、型にはまった理想としての女性像を、映画の中で描きたくはないな…と思います。
人間である限り、男女関係なく、えげつない部分や、容赦ない部分があります。
そういうエグい部分を描いてみたら、もっと登場人物として、深みが出て魅力的になるのではないか?
そんな気がします。
もしくは、汚い部分は見たくない…という日本人の『クサいものにはふた』な考え方が、映画の中にも表れているのかもしれません。
僕は、エグい部分を持った女性の登場人物の方が、リアリティーがあり、キャラクターとして愛着がわいてきます。
エグい部分の見せ方にもいろいろ種類はあります。
最初からえげつない人物として描く場合や、途中からそういう部分がにじみ出てくる人物として描く場合など、やり方は様々です。
エグい部分をなかなか表さない登場人物なら、他の登場人物につつかせて追い込み、退路を断つことで、爆発させたりします。
何もエグい部分ばかりに注目しているわけではないけれど、ドラマが展開するのは、だいたい登場人物の中に葛藤が生じたり、選択が迫られたりする時です。
なので、そこには、やはりその起爆剤となる人間の汚い部分を描くことは必要だとは思います。
だいたい、もう25歳にもなる僕が、映画の中で女性像に対して理想ばかりを求めてる場合じゃないと思います。(笑)
そんなことしてても、深みがでません。
救世主的な存在が主人公の前に現れる。
そして、それによって話が展開していく。
その自分を引っ張ってくれる救世主的人物とのやり取りの中で、主人公も成長していくという王道ストーリー。
これも、とても良いとは思いますが、僕個人の考え方では、じっと待っていて何者かが手を差し伸べてくれるなんて、虫が良すぎると思います。
現在撮影中の映画『自由を手にするその日まで』でもそうですが、主役ヒロインが、救世主が現れるのを待つことをやめ、自分の力で動こうとしたときに、初めて周りに新たな協力者が現れ、大幅に物語が動き始めます。
思い返せば、ど田舎の大学時代に作ったこれまでの作品では、そもそも役者さんすら集まらない不利な状況だったので、登場人物も少なく、話の展開すら起こすことが困難でした。
そんな時代、僕としてできることは、いかにして画と音楽と編集のリズムで話を引っ張っていくかというテクニカルなことばかりに注力せざるを得ませんでした。
学生時代に、膨大な試行錯誤を重ねて考えた画づくり・音楽の付け方・編集のリズム感覚の反省点や改善案を活かして、これからは人物の内面の深みを、これまでに研究してきた画作りと演技で見せることに注力し、より深みを出したいと思います!