廃墟の家族の夢。
vol. 5 2015-12-09 0
プロジェクトを開始して、間もなく一週間になります。現在、久保田カメラマンはヨーロッパに流入する難民を取材中。帰国次第、情報をこちらでアップさせていただく予定です。
さて、今日ご紹介するのはこちらの写真。2004年3月撮影ですから空爆から一年後のバグダッド市内です。
イラク国営放送の敷地で(撮影:板倉弘明2004年3月)
イラクの人は写真が大好きです。女性を勝手に撮ることは宗教上の理由からできませんが、一旦信頼を得れば喜んで映ってくれますし、街中の子供たちも写真に撮られることが大好き。
こちらの写真は一つの家族です。場所はかつてイラク国営放送があった敷地。放送局も空爆されて廃墟になっていました。別の角度の写真がこちらです。
戦争で放送局は空爆の攻撃目標となり得ます。敵の情報網は真っ先に抑えるというのがセオリー。ご覧の様に建物は壁だけ残っています。足元のがれきの中には焼けたフィルムやビデオテープが散乱しています。
政権のプロパガンダを担う放送局もありますが、同時にメディアを失うということは、その国の記録を失うことにもなります。同じメディアで働くものとして、非常に考えることが多く、気が沈む取材でした。
ところがこの廃墟には多くの住民が暮らしていました。空爆ではこうした放送局や、政府関係施設の近所に暮らす人々の自宅も破壊されており、そうした人々がここに暮らしていたのです。
壁だけでも残っていれば風は多少しのぐことができること、限られたスペースではありますが一部には屋根も残っていることもあり、数十人が暮らしていたのです。
この写真には写っていませんが、生まれたばかりの赤ちゃんもいました。そんな家族たちを取材させていただいていると、写真左端の女の子は英語を話せることがわかり、一挙に距離を縮めることができました。冒頭の写真は取材が終わった後に撮らせていただいたスナップ。
例えば僕が空爆で自宅を失ってから一年後に、こんな笑顔で写真に映れるのかは自信ありません。笑顔だけでその人を「強い」とは判断できないでしょう。私たちに笑顔を見せた別の側面では、経済的な問題にしろ、多くの課題があるはずです。
それでもこの家族は笑顔だけではなく夢を忘れていませんでした。英語を話す少女は将来外国に行き、もっとたくさん勉強したいのだそうです。
この取材の後、何カ月も経ってからこの一家にコンタクトを試みましたが再会できませんでした。しかし私には彼女が外国のどこかで夢をかなえている気がしています。
映画ではそんな夢がある話も伝えたいと考えています。
引き続きのサポート、どうぞよろしくお願い致します。