楽曲分析「第一章 はじめに」から
vol. 38 2021-06-21 0
... 『百人一首』には「百」の歌人の各々による「一」首がおさめられており、その「一」首が歌人を「要素」として、パーソナルな存在として指示するかたちになっています。しかし、百人が今度は「部分」としてふるまい、可能な離合集散を尽くすとき、その数は、2^100(2の100乗)へと爆発します。それを収束させているのが、後鳥羽院(99)・順徳院(100)の歌を外すなどの政治的配慮がこめられ、『百人一首』のプロトタイプともいわれる『百人秀歌』(の101首)の存在かもしれません。
2^100 ≡ 1 (mod 101)
このように、フェルマーの小定理は、発散する部分たち(2^100)を 1 へと回帰する円環にしています。具体的にみると下のようになり、これが『百人一首』の構造の構造(超構造)の構造への射影となるものでしょう。
しかし、次のように、後半のシークエンス(100から51)を反転させることにより、二人の天皇が巻頭と巻末に位置するという『百人一首』の対称性は保存されます。構造と超構造とのあいだともいえるようなこの順序が『百人一首のための注釈』につかわれ、百首は並べることなく、並べられることになりました。
「百敷(ももしき)や」の歌で閉じられる『百人一首』という「意味」に、定家はどのような変換の可能性を託したのでしょうか。...
〈5-7-5-7-7〉という反復/差異によって結晶した『百人一首』は、襖を装飾する「平安」の表象として固体化したかと思えば、カルタの進入によって画一的に三句切れとして切断されて液状化し、いまや、0 と 1 の氾濫によってさらに切り刻まれ、気体化し、グローバルにも消費されようとしています。そのような相転移にあって、享受の主体も、大雑把に、貴族から武士へ、男性から女性へ、日本人からさらにそれ以外へと遷移・拡大しているといえるかもしれません。
百首を「百」の集合としてではなく、分割できない「一」へと凝華させるという着想で、2012年に作曲され、演奏の機会を探る間に、この『百人一首のための注釈』は、そのような文脈へと不可避的に包摂されるリスクを、作曲当時よりもいっそう背負い込むことになっているかもしれません。作品の演奏の前に行われる『カルタ・インスタレーション・パフォーマンス』は、さらにそのようなリスクに晒されるかもしれません。そうであればこそ、今回、この作品を、来るべき聴取、出来事へとむけてお届けできる機会に恵まれましたことは、この上なくありがたいことです。支援してくださっている皆様に心から感謝申し上げます。