風景を食べて生きている
vol. 4 2021-11-15 0
「人間は風景も食べて生きている。
食べているのは食べ物だけじゃないよ。」
私が20代の頃に働いていた職場で出会った言葉、
その言葉は詩人ナナオサカキさんのもの。
詩人の言葉というのは、しばしば「宿題」となって長く長く心に残り続けます。
私たちhorsemade landscapeのコンセプト「風景をつくる、人と馬の仕事」も
この宿題について考える中で生まれています。
風景が糧となっていることを意識してあらためて日常を見てみると
言語化する以前に意識に浸透していっているものの影響の大きさをあらためて感じます。
馬小屋を出発してワークショップ会場に向かう道中。馬は風にはためく「のぼり」が苦手。
どの道を歩いても蛍光色ポリエステルののぼり、のぼり、のぼり・・・。
ヒト気のない道は蛍光色の主張であふれている。
風景は、私たちが何を選び、何を信じて、何に安心してきたかということの
結果の結晶のようなものです。
そして、その結果を受けて形成された価値観が、
また新たな結果を生み出す行動の基礎となる、という循環。
たまに想像してみるのですが、
例えば、いつも歩いている道に、ペットボトルが落ちていても
反応する人はほとんどいないと思います。
とりたてて気づくこともないかもしれません。
じゃあ、いつも歩いている道で、馬が草を食んでいたら?
・ギョッとする
・すれ違うのが怖いので引き返す
・写真を撮る
・SNSに投稿する
・・・などなど、きっと何かしらの反応が起こるに違いない。
ペットボトルと馬、あまりにも大きさに違いがあるのでうまい例えではないですが
今、どっちが「ありえない状況」と捉えているか、はわかります。
2019年の参院選では安冨歩さんが馬を相棒に街宣を行い、
その様子が「れいわ一揆」という映画にもなっていますが、
渋谷や新宿に馬が現れたときの人々の反応、表情が捉えられているシーンは
とても印象的で、象徴的です。
これはまた別の話で、とあるメディア関係の方から伺った話では、
「そんなことまで!」と驚くようなことが放送禁止事項になっているらしく、
私たちは時間をかけて、生々しいものを排除していくことに安心を覚える
社会を作ってきたんだなぁ、とあらためて考えさせられました。
さて、その結果、日々目にする風景は私たちが求めているものだったのだろうか。
この風景を食べて、子どもが育っていくってどんなふうだろうか。
詩人の言葉には続きがあります。
「だから人間は風景に責任を持たなくちゃならない。」
子どもたちに、安心な空気、水、食べ物を、と願うのと同じように
彼らの糧となる美しい風景をつくっていきたい、と考えています。