小矢部訪問記2 倶梨迦羅古戦場
vol. 19 2021-07-23 0
埴生護国八幡宮の宝物殿に《源平礪波山戦闘の状況図》がありました。
平家物語「倶利伽羅落」は何度も語っていますが、地図を見てリアルに地形を想像するのはなかなか難しいものです。赤が平家軍で北陸道を石川県側から砥浪山の中を進みます。対する源氏の義仲軍は富山県側の平地に昼間は陣を取ります(白青)。義仲軍は昼間はふもとにいて、日が暮れてから攻めのぼり山頂付近にいる平家を取り囲みました(青)。樋口は搦め手へ回り、平家の本陣、平維盛の陣地の背後を不意打ちします。
義仲軍は地元の武将たちを道案内とし、平家を油断させ、夜中に山を攻めて、倶利伽羅が谷へ追いおとす作戦を考えました。さあ、いよいよ倶梨迦羅古戦場を実際に歩いてみます。わくわく!
倶梨迦羅不動寺は、猿が馬場の西側にあります。
腹が減っては戦はできぬ。まずは腹ごしらえ、境内で倶利伽羅蕎麦をいただきました。美味しい〜!
境内から立山連峰が見えます!なんとすばらしい眺め!
倶梨迦羅不動寺から猿が馬場に向かって、旧道をずんずん歩いていきます。平家の軍勢がここを馬で通っていったのかなあ。想像がふくらみます。
展望台から画面右端の「源氏ヶ峰」を眺めます。源氏ヶ峰の手前の谷が七万騎が落とされた「倶利伽羅が谷」です。まだピンと来ていない金子。
展望台の近くには「火牛の計」の牛さんオブジェが。源平盛衰記には記述がありますが、平家物語にはありません。イメージは膨らませつつ、原文をどう表現するか脳内妄想中。
猿が馬場は「山中で少し広い場所のあるような地形」のことをいいます(日本国語大辞典)。普通名詞なんですね。さあ、平家が本陣を構えた、猿が馬場に着きました。
義仲を愛して止まなかった松尾芭蕉の塚「義仲の寝覚めの山か月かなし」。
義仲は平家の動きを予測し、つぎのような作戦を立てました。
平家は大軍なので砥浪山を越えて広い場所にでて、互いに正面から戦おうとするだろう。だが、源氏の大軍がいると平家に思わせたら、警戒して進むのをやめるはずだ。頂上付近にいる平家は、背後から源氏の軍勢が攻めてくることはないと思って、そこにとどまって馬を休ませるので、そのまま日没まで戦いを引き延ばして、平家を倶梨迦羅谷に落とす。平家の背後には、樋口次郎の軍勢を向かわせました。
木や草が生い茂っていますが深さがひしひしと伝わってきます。地獄谷(倶梨迦羅が谷)。ここへ七万騎も落ちたのか…ひー。
日が暮れてあたりが暗くなってから、平家の後ろ、正面、右、左、地獄谷を除くあらゆるところから源氏が攻め上ってくる。平家物語を読んだだけでは、ピンとこなかった地形が、実際にこの場所に立ったことで、ようやく腑に落ちました。
源氏ヶ峰に1人登り、藪の中で、平家物語の文章をブツブツ語りながら、くるっと振り返り、ハッここから、ハッあっちからも、あっちからも、源氏が攻めてくる!ワー……と地獄谷を覗き込んだ時、下のほうから、
「あいさーん、落っこちないでね」
という同行者の声が聞こえてきました。
2日目
白山比咩神社へ車で向かうところなのですが、うっかり車窓を眺めると、あの、頂上部分が平らな山が源氏が峰⁈
昨日は山の上で平家の気分をたっぷり味わいましたが、どうしても源氏がどう動いたかもっと知りたくなって、寄り道寄り道。今度はふもとの方から、源氏軍が攻めていった道筋をたどってみます。うれしい!
ここは松永。
埴生護国八幡宮作成の地図の一部を拡大すると、この地図では右下に位置します。
小耳入、おもしろい地名ですね。倶梨迦羅合戦にちなんだ地名のようです。
この案内板によると、根井小弥太を先導してこのあたりから源氏が峰にむかったのが、地元の武士の蟹谷次郎(かんだのじろう)。
~「よーし、そろそろ源氏が峰にのぼるぞ」「気づかれないようにしろ」なんて、小声でささやきあったのかしら〈妄想中〉~
蟹谷次郎といえば、たしか猿が馬場に向かう途中に碑がありました。義仲を勝利に導いた郷土の武士、蟹谷次郎の功績を顕彰するために建立されたそうです。蟹谷次郎をはじめ、たくさんの地元の武士の協力があって、義仲は倶梨迦羅の合戦に勝つことができたのですね。
1日目に見た、蟹谷次郎由緒之地碑。
小耳入の石碑を左に見ながら、義仲と巴プロジエクトの幟がはためく道をすすんでいきます。
陣貝山。ここで合戦開始の合図のホラ貝(陣貝)を吹いたらしい。
え!膿川!
田んぼの左横を流れるこの川が!
さっきの地図で確かめると、なるほど、この川は地獄谷から流れ出しています。
地名はとても大切なものです。「膿川」という地名からは、凄惨な戦いの結末が今もありありと想像できます。
歴史を振り返るとき、勝者と敗者、善者と悪者、強者と弱者、そんなふうに単純に割り切ることができない思いが、そこここに残っていると感じます。
この地を実際に歩いたことで、戦に臨んだ武士だけではなく、たとえばこの膿川の近くで暮らした農民たちの思いにも、心を寄せて、義仲の物語を語っていきたいと思いました。
このクラウドファンディングプロジェクトは今日が最終日です。
お力添えをいただきました多くの方々に改めて御礼申し上げます。
皆様と共に作る「木曾義仲」良い作品になるよう、ただいま編集作業中です。
どうぞ配信を楽しみにお待ちください。