『波伝谷に生きる人びと』を観る前に~映画に寄せるメッセージ④~
vol. 44 2015-03-07 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
いよいよ明日は3.11映画祭での上映です!監督は、今日山形市内で講演を行って、明日は3.11映画祭で上映後のあいさつをする予定です。その後は、劇場公開に向けた営業をして回るということで忙しくしています。プロジェクトマネージャーも3.11映画祭に行きたかったのはやまやまですが、事情で宮城に居残っていろいろと片づける予定でいます。
さて、今日は宮城県沿岸部縦断上映会のため結成された『波伝谷に生きる人びと』上映実行委員会のメンバーが映画を紹介するために寄せたメッセージをご紹介する最後です。今日は工藤寛之さんによるメッセージです。(文末に初出となったフェイスブック記事へのURLがあります。)
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大津波が東北の沿岸を襲ったあの日、私は後に「被災地」と呼ばれる街の公共施設で働いていた。幸い、当時の職場は高台にあり、停電でいつもより深く沈み込んだ夕闇の中、それを突き破って吹き上がる製油所の爆発炎を頼りに、関係者と避難者への対応策を話し合った。その後、私は災害対策本部の支援に入り、NPO の職員として県外から怒涛のように押し寄せる被災地支援活動のコーディネートにあたった。
その時から、私は支援者と呼ばれる立場になった。
その仕事は私に苛烈な負担を強いるものであった。平凡な毎日を繰り返していた風景は、思い出すにも痛撃を伴うトラウマに変わった。とにかくガレキからそれまでの社会や暮らしを1ミリでも引きずり出そうと躍起になった。しかしそれを繰り返しているうち、自分の仕事に大きな疑問を持つようになった。
被災から数か月も経つと、復興と言うあやふやな言葉の中に「新しい社会をつくろう」「イノベーションを東北から」という、いかにも耳心地のよいフレーズが聞こえ始めた。それはまるで3.11 以前の浜の暮らしがいかにも時代遅れで、後進的で、ともすると社会発展の阻害要因だと言わんばかりのものであった。さらに県外、特に首都圏の方からは、三陸の人びとが津波の常襲地帯に暮らし続けることに「なぜ海の近くでまた住もうとするの か」「さっさと安全な街に引っ越せばよい」という、至極「合理的」で不満めいた疑問が鳴り響いてきた。
それらの言説に、私は猛烈な怒りと違和感を覚えた。
被災前の浜の暮らしは、自然を相手に恵みをいただき、それを黙々と前述の「合理的」発言者たちの糧とすべく送り続けてきた歴史の積み重ねである。そして、厳しい自然環境と対峙し、一方で深い覚悟をもってそれを受け入れてきた豊かな時間の大いなる塊である。“故郷は人格の一部である”という言葉。それが真なれば、そうした「合理的」な人びとの発言は、莫大な支援を被災地へよこす一方で、そこに暮らしてきた人びとの尊厳を無意識に犯しているということになる。こうした風潮に私は慄然とした。そんな意識を抱えて浜辺の街で働いていた時、山形国際ドキュメンタリー映画祭で『波伝谷に生きる人びと』と出会った。
溜飲が下がる思いがした。
この作品には荒れ果てたガレキの光景など微塵も映らず、代わりに山海の恵みを「契約講」などの仕組みで分かち合いながら、変化の時代に翻弄されても懸命に生きる、瑞々しい生活者の姿と風景が刻まれている。被災前の三陸社会の明暗を織り込んで、その作品は訥々と「浜の暮らし」を語り続ける。
県外からの支援者が更地になった光景を目にしてよく言う、「何もないですね。」と。冗談ではない!失ったものは数多かれど、そこにはそうした暮らしが確かにあり、それへの誇りと記憶はまだそこにある。だからこそ、多くの人が仮設住宅からそれでも海へ向かう暮らしを取り戻そうと呻吟しているのだ。作品は無論、結末として大津波を予期して撮られたものではないが、だからこそ、更地に眠る営みと暮らしの伏線を鮮やかに浮き彫りにしてくれた。
とは言え、無論、この作品は3.11 の惨劇を宿命的に抱えざるを得なくなったことも確かだ。しかし制作者(人)の意思とは無関係に巨大な力ですべてを凄絶な破壊に巻き込むのが災害であり、その意味ではこの映画もそれに巻き込まれた当事者の「一人」だ。故に、この映画にはそれ以前の暮らしと、今や失われた景色を雄弁に語らしめる特別な説得力がある。もっと言うならば、その資格がある。災害が起きてからの観察レポートなら誰でもそれなりに言語化できよう。だが時間の不可逆性を追体験できるこの作品だからこそ、その破壊の意味と、それでも海を目指す人びとの誇り、営みの重い価値を心の底から知ることができるのだ。
災害を語るには、その前の営み、暮らしを知ることが不可欠だ。そして「被災者」と呼ばれる人たちは、大津波に遭っても途切れなかったその“営みの連なり”を避難生活の末にいくらかでも取り戻せたとき、はじめて復興をその胸に抱きしめることができる。そしてそれはすなわち、災害から自らの人生を取り戻す瞬間でもあるのだ。
ぜひ、一人でも多くの方に「波伝谷に生きる人びと」をご覧いただき、三陸の営みの重さと素晴らしさ、そしてそこから紡がれる物語を確かめていただきたい。心から願う。
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