『波伝谷に生きる人びと』を観る前に~映画に寄せるメッセージ③~
vol. 41 2015-03-04 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
宮城県沿岸部縦断上映会のため結成された『波伝谷に生きる人びと』上映実行委員会のメンバーが映画を紹介するために寄せたメッセージをご紹介する3回目。今日は谷津智里さんによるメッセージです。(文末に初出となったフェイスブック記事へのURLがあります。)
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『波伝谷に生きる人びと』を初めて見たのは今年の3月。監督の出身地であり、私が現在暮らしている白石市のフィルムコミッションが開催した上映会でのこと。
「白石に映画監督がいるらしい」。
最初はその程度の興味で足を運んだというのが正直なところでした。当日も別件が長引いてしまい、10分ほど遅れて会場に到着。会場は満員で、一番後ろにパイプ椅子を出してもらって手すり越しに見るという、悪条件での鑑賞。
ところが映画を見るうち、「すごい、これはすごいぞ」とどんどんのめり込み、気づいたら、手すりを避けるために立ち上がったまま最後まで見ていました。
ドキュメンタリー番組はたくさん見たことがあるし、ドキュメンタリー映画もいくつか見たことはありますが、こんなにも「自然体」を撮った映像は見たことがありません。大抵は、制作者が撮りたいものに従って断片的に人びとの姿が撮られている。でもこの映画に映っているのは、「そこに生きている人間そのもの」です。しかも、都市部ではなく、一般に結びつきが濃厚で閉鎖的と言われる三陸の集落。そこに暮らす人びとが、近所のおじちゃんおばちゃんのような気安さで普段の表情を見せてくれているのです。「結」とか「講」といった村の仕組みは、大学の授業で聞いた時にはなんだか小難しくてちっとも想像できなかったのに、それが私たちと同じ当たり前の、普通の人びとの生活として目の前に映し出されていました。
「ああ、これが、日本にもともとあった暮らしなんだ。私たちの姿なんだ。」
そう思って、私は感動を抑えることができませんでした。
2011年の9月から、私は被災地支援事業のお手伝いで三陸の沿岸部に何度かお邪魔させていただいたのですが、そこで驚いたのは、人びとの力強さ。津波であんなにもひどい目に遭ったのに、支援を待つだけではなく、その時自分にできることを、すぐにやる。使えるものは使って、なんとかする。その姿に東京育ちの私は圧倒されてしまい、支援するどころか、その精神をこちらが教えていただきたいという気持ちになりました。その力強さはたぶん、自然と向き合いながら生きる中で培われたものだと私は思います。
自然とともに暮らすというのは、決して牧歌的な世界ではなく真剣勝負。恵みをくれる存在でもありながら時には牙を向く自然を相手にしながら生活を維持していくこと。自然がもたらす偉大な財産をそこに暮らす人びとで分かち合いながら、お互いの関係を維持し、世代をつないでいくこと。それらに真剣に向き合っているからこそのパワー、笑顔、苦悩。日本の農山漁村で、ずっとこうやって人びとは暮らしてきたし、今もそうして暮らしている人がいる。
今回、たまたま波伝谷は津波に襲われてしまったけれど、こうした暮らしは今、日本中で失われつつあります。被災地に限らず日本中で、これまで培ってきた暮らしが悲鳴を上げている。「昔はよかった」と単純には言えないけれど、かつてあった「普通の暮らし」とは何なのか?私たちは何を置いてきて、どこへ行こうとしているのか? 「波伝谷」の人びとの姿が、そう問いかけているような気がします。
「沿岸部で縦断上映をしたい」と監督からメールをもらった時、これは手伝わねばなるまい、とすぐに返信をしました。ここまでの上映会で多くの県内の友人が足を運んでくれましたが、「震災の映画かと思っていたがそうではなく、自分が育ってきた足下の世界を思った」という感想を寄せてくれた友人が数多くいました。山元町で上映会を手伝ってくれた友人も「鏡のような映画だ」というコメントをくれましたが、この映画は、時代の変化という津波にさらされている私たちを映し出す鏡なのかもしれません。
これからも、日本で生きる多くの人びとに届くことを願っています。
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