『波伝谷に生きる人びと』を観る前に~映画に寄せるメッセ―ジ②~
vol. 39 2015-03-02 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
宮城県沿岸部縦断上映会のため結成された『波伝谷に生きる人びと』上映実行委員会のメンバーが映画を紹介するために寄せたメッセージをご紹介する2回目。今日は富田万里さんによるメッセージです。(文末に初出となったフェイスブック記事へのURLがあります。)
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【出会い】
6月のイベントは、ふるさと宮城の映画上映会にするべ!と思い立ち、ネットで検索したのが今年3月中旬のこと。
震災後4年目を迎え、被災地とは遠く離れた佐賀の地において震災の記憶がどんどん風化していく中、宮城県人である私としては、せめて身近な人びとの気持ちが忘却に向かうことだけは食い止めたい、そのためには宮城の魅力を伝えることでみんなの気持ちをつなぎ止めて希望をつないでいきたいと思っていたのでした。
「震災までの3年間を追った記録映画『波伝谷に生きる人びと』」(宮城県復興応援ブログ:ココロプレスの2014年1月20日付記事)というタイトルを見つけた時には、コレだ!と思いました。震災前の映像だから三陸の昔ながらのきれいな風景が見られるはず、震災前の映像はちょっと珍しいかも!とワクワクしながら、私はすぐに我妻監督にメールしました。そして監督も即DVDを送ってくれました。
自宅のテレビで観た映画は、私の期待を裏切らないものでした。
私が長年食べられずいつも恋焦がれていたホヤをはじめとして、カキ、ウニ、ワカメなどの海の幸、田園の緑色、美しい夕焼け、ノスタルジーをかきたててくれる桑の実。風のそよぎすらも体感した気分になり、「あ~、ききれいだね~」と何度もため息まじりに呟きながら観たのでした。そして、それらのアイテムの揃った美しいセットに登場する人物たちによるこのドラマにおいて、彼らは決して役を演じている訳ではないのですが、発する言葉や自然な表情や動作にいたるまでが魅力的で面白くて、皆その存在感がずっしりと重いのです。生まれも育ちも仙台であるひ弱な都会人の私は、彼らの中に自分より少なくとも10%増ほどの生命力を感じて圧倒されてしまいました。2008年から震災までの3年間撮り続けた映像と、その後起こってしまった震災という運命的なめぐり合わせについては発する言葉も見つからないほど衝撃を受けるのですが、それは紛れもなくどうしようもない事実です。ならばこの映画をたくさんの人たちに観てもらいたい!という使命感のような気持ちが湧き起こってきたのでした。
「我妻さん、これは本当に貴重な映像ですから、ぜひ上映会したいです!」
と私はメールの中で叫びました。3月27日のことでした。
【九州にて、そして宮城県沿岸部縦断上映会へ】
こうして我妻監督とのやりとりが始まり、6月20日(金)に佐賀市シアターシエマにて、宮城県人会さが主催による上映会を開催することになりました。そしてその上映会と映画の予告編に興味を持ってくれた佐世保の友人にもお願いし、22日(日)には佐世保市民会館にて、肥前地域文化研究所主催による上映会も開催されることになりました。2つの上映会とも70名~80名のお客様が鑑賞し、遠い東北の地に思いを馳せながらの和やかな上映会となりました。
人とつながり、また人と人をつなげながら自分を充電させて活動している私の特性を、我妻監督は見事に見抜き、上映会終了後も引き続き「応援団」として宮城県沿岸部縦断上映会の実行委員の一人になって欲しいというリクエストをして下さいました。我妻監督曰く、「富田さんがいるというだけで何かよく分からないパワーをもらえるような気がします・・・」ということで、自分に何ができるか分かりませんでしたが、佐賀より「何かよく分からないパワー」を皆さんに与えるべく、私は実行委員を引き受けたのでした。
乗りかけた船だから無事に航海を全うするまで自分にできることでお役に立ちたい、という使命感と、自分が惚れ込んだこの映画が宮城の沿岸部11市町においてはどのように受け入れられるのか知りたい、宮城にもっともっと関わりたいという欲求、そんな感情に満ち溢れての船出でした。
【波伝谷の人たちと一緒に観る~東松島市・石巻市両上映会にて~】
そのような訳で、佐賀にいながらにして宮城の友人・知人に上映会の当日運営をお願いする傍ら、宣伝のため2度のラジオ番組にも出演。そしてついに4日間の日程で宮城入りした私は、東松島市(8/16)・石巻市(8/17)の2つの上映会に参加。地元の方々と同じ空間で映画を観る事ができる喜びを噛みしめていました。どちらの会場にも波伝谷出身の方、近隣の集落の方、親戚や知人が映画に出ているという方・・・が来場して下さっていて、緊張感が漂うピーンとした空気を感じました。どなたもスクリーンを真剣なまなざしで観ておられました。
私の近くの席に座った女性は、映画の始まりからハンカチで顔を覆って涙をぬぐいながら観ていました。映画に登場する人たちが親戚であったり親しくしていた方々なので感無量だったそうです。何度も何度も登場人物の方のお名前を呼んで、その後は言葉にならない彼女に、私はそっとその方の肩に手をやることくらいしかできませんでした。また波伝谷の隣の集落に住んでい たという男性は、映画のさまざまな場面に自分自身のこれまでの生活を重ね合わせていた様子で、映画の途中も、終わってからのトーク場面でも、ずっと聴き役を求めてしゃべり続けていて、会場を出てからもまだまだしゃべり足りなかった様子でした。
三陸の沿岸部の会場で波伝谷の方たちも交えて、波伝谷の人びとが映し出されるスクリーンを観ること。その空間には、それなりの覚悟をもって一生懸命観てくれるお客さんとスクリーンの中から語りかける懐かしい風景や人物、双方向からの思いが合わさって、調和したり化学変化したりする感じでした。この2会場で私が感じたものは今後も大切にしていきたいものです。
【これからも静かに波紋が広がるように・・・】
「今回の上映会が、被災地の方々にとって、今一度かつての故郷のあり方を見つめ直し、新たな地域社会を創り出すための一助になることを願う。」
これは、我妻監督が今回の縦断上映会に先立ち作成した事業企画書の一文です。これからも静かに波紋が広がるように、私もこの映画の応援団として、佐賀から「何かよく分からないパワー」を駆使して人から人へと伝えていきたいと思います。(富田万里 佐賀にて)
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