プロジェクトマネージャー日記#2~部落のこと~
vol. 35 2015-02-26 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
『波伝谷に生きる人びと』が「日本映画ペンクラブ賞」を受賞したぴあフィルムフェスティバル全国公開の最後となる福岡会場の日程が決定しました。4月24日(金)13:00~ 福岡市総合図書館映像ホール・シネラで行われます。ご来場お待ちしております。
さて、今日は、本当なら「『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る」の中で、事前に書いておかなければいけなかった「部落」という言葉の使用について書いておこうと思います。
「部落」という用語は、一般的に現在使用する機会が少なくなっている言葉であり、それが「差別」の歴史を反映したものであることもみなさんご存じと思います。
しかしながら宮城県の農山漁村では、現在にいたるまで集落のことを愛着を持って「部落」と呼びならわすところが多くあります。そこで監督自身は、その場合の「部落」についてピーストゥリー・プロダクツの公式ブログで次のように解釈しています。
「集落」と「部落」の違いは、たとえるなら「house」と「home」の違いのようなもので、前者が単純に生活空間を指すのに対し、後者はそこでの人間関係や人生のせめぎ合いまでも含みます。波伝谷で「部落」という言葉が愛着をもって使われるのも、地域に残るさまざまな社会組織、近隣の親族間、あるいは海の仕事を通しての人間関係など、日常の中で、良くも悪くもそれだけ人と人とが深く関わり合いながら生きているというところにその所以があると思います。
(2012.3.1「第2回:ピーストゥリー・プロダクツ立ち上げの動機」)
また、監督はモーションギャラリーの記事の中でこのようにも書いています。
波伝谷の人たち(のみならず東北の人たち)は、自分たちが住む地域のことを、愛着を持って「部落」と呼びます。この言葉が、僕はとても好きです。何故なら、そこには「集落」とか「故郷」といった言葉のニュアンスとはまた違い、そこに住む一人ひとりが主人公で、お互いの人生が複雑に絡み合い、影響を与え合いながら生きている人たちの、滑稽ながらも愛おしい「人間らしさ」を感じるからです。
こうした「部落」のもつニュアンスと、愛着を持って使われ続ける意味を大事にするため、波伝谷の人びとが使う「部落」という言葉をあえて集落や地域などと置き換えることなく監督自身も使用しています。
映画を観た感想にも「部落」と使っていて「驚いた」という県外の方の感想もありますが、宮城県の方では感想自体に「部落」と表現して書く方がかなりいらっしゃいます。私の住む北部の農村部も、今は自治体などは使用を避けているようですが、町内会のテントには「〇〇部落親交会」などと書いてあったりします。それだけ「部落」はなじみ深い言葉です。
そのため「『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る」シリーズでも、同様の趣旨で部落と表現しました。ただ事前にお断りせずに多用しましたので、違和感を感じた方がおられましたらご理解のほどをお願いいたします。
宮城県は比較的そうした「差別」が少ない地域だったとされることがあります。「部落」の言葉もそうした背景を持って使われ続けているのかもしれません。そこで言葉の意味が地域によってずいぶん違うことを自覚しつつ、「部落」のもつニュアンスを大事にしていきたいと思います。