『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る①~波伝谷を知るキーワード~
vol. 12 2015-02-05 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
首都圏でも雪が降ったようですが、みなさまのお住まいは大丈夫でしたか?関東地方は明日未明まで注意が必要ということですので、十分お気を付けください。
さて、今日は「『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る」と題して、波伝谷(はでんや)について少しずつご紹介するシリーズをはじめたいと思います。
その前に、この公開アップデートをご覧のみなさまは、作品のあらすじについてお読みになりましたでしょうか?プロジェクト紹介記事にもありますのでお読みになられた方もいらっしゃるかと思います。まだお読みになっていない方のために、以下に掲載しておきました。既に読まれた方も、もう1度お読みいただいて、波伝谷がどういうところかイメージしてみてください。このあらすじには作品を見る時に大切なキーワードがいくつか散りばめられています。
宮城県南三陸町の海沿いに位置する80戸余りの小さな漁村「波伝谷」。
そこには豊かな海と山があり、人びとは牡蠣・ホヤ・ワカメなどの養殖と丘陵地での農業を営み、暮らしていた。
共同の牡蠣剥き場で明け方から作業をする女たち。
収穫まで3年かかるホヤの生育を祈りながら黙々と海辺に通う男たち。
そこには、自然の豊かさと厳しさに寄り添いながら、地域に残る「結い」や「講」といったシステムを悩みつつ継承し、日々の暮らしを懸命に生きる「普通の」人びとがいた。
2008年3月、そんな波伝谷にキャメラを持った一人の若者がやってくる。
はじめ、大学の研究のために波伝谷を訪れた彼は、地域住民総出で行われる獅子舞の行事に心を奪われ、そのエネルギーの源泉に触れようと一人で波伝谷に通い続ける。そのキャメラにおさめた映像を、やがて映画にするために。
それから3年後の、2011年3月11日。
その日彼は、翌日予定されていた地域の会合で映画の試写会の日取りを決めようと、波伝谷に向かった。
いかがでしたでしょうか。なんとなく「波伝谷」をイメージすることができましたでしょうか。なかなかすぐには難しいですよね。ひとまず「波伝谷」が南三陸町にある漁村で、養殖と農業による半農半漁の生活をしているという点は抑えられたかと…。意外なことに漁業だけではないんですね。
そして「結い」や「講」というものが残り、「獅子舞」の行事がある。獅子舞は別にして「結い」や「講」と言われてピンとくる方は少ないかと思います。波伝谷に残る伝統的な暮らしについては少しずつご説明していきたいと思います。また監督を魅了した獅子舞の行事も波伝谷の住民総出というと、どんなお祭りなのか気になるところですね。
『波伝谷に生きる人びと』には震災前のくらしが丸ごと、その時間の流れとともに描かれます。百聞は一見にしかず、詳しくは『波伝谷に生きる人びと』をご覧いただくとして、次回以降は、その世界観とリンクさせながら「波伝谷」について、そのくらしぶりや「結い」「講」「獅子舞」といったキーワードを中心にお話をしていきたいと思います。もしご質問などがありましたら、遠慮なくお問い合わせください。