『波伝谷に生きる人びと』を見る前に~推薦文②山内宏泰さん~
vol. 8 2015-02-01 0
みなさまこんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
昨日は、小川直人さんによる推薦文をご紹介しました。今日は、同じくPR資料に掲載されている宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館学芸係長である山内宏泰さんによる推薦文をご紹介します。ぜひご一読ください。
『波伝谷に生きる人びと』という映画の意味 山内宏泰
この作品の監督・我妻和樹は、2005年から民俗学を学ぶ大学生として南三陸町戸倉地区波伝谷の調査に参加し、在学中は3年間、波伝谷に通い詰め「春祈祷」という同地域にとって非常に重要な行事を取材、記録し、卒業論文もこのテーマで書き上げた。
大学卒業後も波伝谷に通い、さらに3年間その日常を記録し続けた我妻は、膨大な映像を編集しドキュメンタリー作品としてまとめ上げようとしていた。そしてあの日、試写会の日取りを決めるべく訪れた波伝谷で震災に遭遇する。その瞬間から、ポジフィルムとして波伝谷の日常を記録したはずの映像は、「震災被災の本質」を語るネガフィルムとなった。
デジタルカメラが普及した現在、フィルムというものを知らない世代も多くなってきているが、フィルムにはポジフィルムとネガフィルムの2種類がある。ポジフィルムは見たままの色彩と明暗をそのまま焼き付け、一方のネガフィルムは色彩と明暗が現実世界とは反転した状態で焼き付けられる。映画の場合、フィルムはポジであり、その連続したコマが一定速度で連続投影されることで動画となる。
大津波によって三陸地方沿岸部の多くの町が壊滅した。過去最悪とも言えるこの大災害はありとあらゆるメディアによって記録された。しかしそれらは全て「非日常」と化した被災後の記録である。「どう壊れたのか」を記録したそれらをポジとするならば、『波伝谷に生きる人びと』という作品はネガと言える。この作品には「どう壊れたのか」ということは何も記録されていない。そこには「何が壊れたのか」ということだけが映し出されている。
若いころの苦労話をする老人の姿。祭りに向けて結束を強めていく地域の姿。酒を飲み、とめどなくはしゃぐ男たちの姿。そして翌日には何事もなかったかのように養殖業に精を出す寡黙な人の姿。一方で、現代の若者には共有しがたい契約講という地域の伝統的な制度の存続に苦慮する大人たちの姿など、若者の減少と廃れゆく未来への不安が顔をのぞかせる。喜びと苦悩が繰り返す堂々巡りの日々。そこに映し出されるのは、伝統文化とかけ離れていく現実の中で視界不良となり、先行きに不安を抱えながらも淡々と暮らす人々の姿であり、無縁の者が見れば「退屈」と感じるかもしれないほどの何気ない日常である。
「被災する」ということの本当の意味を知りたければこの作品を見てほしい。日々淡々と繰り返す日常が突然終わる。この作品に映し出された全ての事象を反転した姿、それが東日本大震災の本当の姿である。一被災者として、同じように被災地の前後を見てきた人間として、私はこの作品を一人でも多くの人に見てほしいと感じる。今、この作品が存在し、目にすることができる奇跡を共有してほしい。そして自分が失うことになるかもしれない「退屈な日常」の価値と幸福の意味を再認識してほしい。
山内宏泰(やまうち・ひろやす)
1971年、宮城県石巻市生まれ。気仙沼市在住。1994年よりリアス・アーク美術館学芸員(現在学
芸係長)。2011~2012年、気仙沼市・南三陸町震災被害調査記録担当。同館常設展示「東日本
大震災の記録と津波の災害史」編集/2012~2014年度国立歴史民俗博物館共同研究員。著書に「砂の城」:近代文芸社。
気仙沼市とリアス・アーク美術館
宮城県気仙沼市は、岩手県との県境に位置し、まぐろなどの遠洋漁業の基地として賑わいをみせていました。震災では、津波とともに流出した重油による火災によって甚大な被害を受け、1300人以上の死者行方不明者がいます。地域の芸術文化の拠点であったリアス・アーク美術館は、高台に位置していたため被害を免れ、現在では震災に関する常設展示を持つ施設としても有名です。