『波伝谷に生きる人びと』を見る前に~推薦文①小川直人さん~
vol. 7 2015-01-31 0
みなさまこんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
昨日紹介した『波伝谷に生きる人びと』が現在の形になるまでのうち、128分バージョンの初公開は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013の震災関連映画特集「ともにある Cinema with Us」でした。今回は、その際コーディネーターを勤めた小川直人さんによる『波伝谷に生きる人びと』の推薦文を作品PR資料より転載します。どうぞご一読ください。
すべてがあの土地に生きた光景である 小川直人
2013年、山形国際ドキュメンタリー映画祭での東日本大震災をめぐる特集「ともにある Cinema with Us」で、私は『波伝谷に生きる人びと』をその一本に選んだ。しかし、この映画を“震災に関するドキュメンタリー”としてとりあげることに、どこかはばかられるような気もしていた。作品中ほとんどの映像が震災前のことなのに、それを“震災”というくくりで見せてしまうことは、日々どこかで起こっている悲劇を安っぽい感動として売る人々(あるいは、買いたがる人々)と同じようなものではないか、という思いが頭をかすめたのだ。
しかし同時に、震災への世間の関心はもう薄れたと言われていた時期に、映画祭という場であらためてそれを想起しようとするならば、ドキュメンタリー映画に強い関心を持って山形に集まった観客、そして、日々の現実とメディアに切り取られたイメージに挟まれてどこか居心地の悪い思いをした“被災者”の自分にとっても、この『波伝谷に生きる人びと』が必要だと強く思ったのだ。
なぜなら、震災の前から私たちの生活はあった、からである。
この当たり前のことを、今回の震災をきっかけとする映画も(マスメディアやアートも)、それを見る人々も案外忘れがちではないだろうか。おそらくそのことが、安っぽい感動の売り買いに荷担してしまう理由のひとつかもしれない。被災した地域に根ざし生きてきた人々が感じているであろう違和感とは、つまるところ、これまでほとんど存在しないかのように扱われてきた土地とそこに生きる自分たちが、手のひらを返したように祭り上げられる居心地の悪さなのだ。
一定の人々にとって『波伝谷に生きる人びと』を見るきっかけが震災にまつわることであったとしても、映画から得るものは、その惨状や課題によるものではないだろう。長い歴史を持つ美しくも厳しい自然があり、おかしくも切実な人々の営みがあり、客観的な視点を保つというにはまったく心許ないほど親しげにカメラの向こう側に手招きされる関係性から見える何かではないだろうか。波伝谷という土地とそこに根ざした暮らしの変化(いくつかの終わり)の一端が、民俗学の調査で訪れた学生時代から数えて10年あまりとなる作家の身体を通じて映画に残されているからこそ見る人の心を動かすのだ。
映画のなかで「いい映像ばかり残してけろでば」と作家は言われる。津波によってあまりにも多くのものが失われた現在、残されるべき“良い映像”とは何だったのか私にはわからない。ただ、笑い声の絶えない祭も、人の欲を吐露する老漁師の姿も、すべてがあの土地の生きた光景で、この映画はそれに誠実に向き合った彼の答えなのであろうとは思う。すべてがあの土地の生きた光景である
小川直人(おがわ・なおと)
1975年生まれ。東北大学大学院教育学研究科修了。2000年にせんだいメディアテーク準備室に入り、開館後は学芸員として主に映像文化や情報デザインに関する事業を中心に従事。また、有志でイベントの制作、書籍の編集、教育活動を行うほか、山形国際ドキュメンタリー映画祭
2013震災特集「ともにある Cinema with Us」コーディネーター、DOMMUNE FUKUSHIMA!司会など。