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被災地と被災者の“今”を伝えるドキュメンタリー「原発故郷3650日」の制作をクラウドファンディングで実現!
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1985年に日本電波ニュース社に入社。テレビ番組制作に携わった後、プロデューサーとなり、ハイビジョン普及支援事業「神々の棲む里」、日本テレビ「今日の出来事」、テレビ朝日「サンデープロジェクト」などのニュース番組特番を制作しながら、文化財保存技術協会「規矩術7本シリーズ」、日光社寺文化財保存会「平成の大修理記録5本シリーズ」などの文化財保護に関わる映像の制作を続ける。 社会的な問題ではイラク戦争を題材とした「イラク戦争の真実」、福島原発事故を受けて「未来への決断」などを企画・製作している。
今年で原発事故から10年。“復興”のイメージが強調されるなか、被災地の人々の傷は年月を重ねるごとに、むしろ深くなっています。
被災地と被災者の“今”を伝えるドキュメンタリーを制作したい。是非ご支援をお願い致します。
地震津波は天災。天災はインフラが回復すれば、復興したって言われる。ところが原発事故はずっと先見えないですよね。昔みたいに将来に向かって、自分の人生に夢とか希望とか持っていくって発想が減ってしまった—。
原発事故後から被災地で診療を行ってきた精神科医は言います。
福島第一原発の事故から今年で10年。インフラや巨大な復興関連施設が整備され、東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点にも選ばれました。
しかし、被災者の方々のこころの傷は深刻化しています。2018年、福島では20歳以下の若者の自殺率が全国1位となりました。
避難生活中に長男を自死で失った男性。ふるさとに帰還するも、かつてのコミュニティを失い孤独を深める夫婦。いまだにふるさとに帰れず、ばらばらになっていく家族。10年かけて生業を取り戻しつつあったところに、トリチウム水の海洋放出が浮上した漁師…。
こうした現実に対して、私たちができることは「忘れない」ことだと思っています。
原発の再稼働や「核のゴミ」の最終処分場の選定の動きの背景には、私たちが、この未曾有の原発事故を忘れかけていることがあるのではないでしょうか。
原発事故って収束したんだよね…。なんとなく漂うそんな雰囲気のもと、私たちは再び、故郷を失うかもしれない人を生み、同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれません。「原発故郷3650日」では、被災者の置かれた切実な現状やその背景、本来の復興の姿を伝えていきたいと思っています。
「原発故郷3650日」の作品予告編をご覧ください。
はじめまして。プロデューサーの立山勝憲と申します。私と福島は、2011年の原発事故によって出会いました。2012年に日本の原子力政策に切り込んだドキュメンタリー「未来への決断」を制作。以降、福島の被災地とそこに住む人々を追ってきました。
被災地に足を運び、原発事故の影響の大きさを目の当たりにするたびに、世間で言われる「復興」との乖離、そして、10年という時がただ過ぎ去ってしまったのではないかと考えさせられます。
帰還困難区域には今でも震災の傷跡が生々しく残されています。
福島第一原発の近く。昨年、双葉町にて、避難先から荷物を取りに来た夫婦に出会いました。
「そっと生きて行きたいの。風評被害という言葉をよく聞くけど、忘れてもらわないと風評被害は無くならないの。忘れてほしいけど、忘れてほしくない。」
絞り出すように出た小さな叫びから、被災者自らが心に蓋をせざるを得ない現実が重く響きました。
避難指示解除後、ふるさとに戻ってきた人々。しかし、そこにはかつてのコミュニティはありませんでした。
ふつうに生活をしていた人たちが、なぜこのような理不尽を被らないといけないのか。原発導入の歴史を紐解くと、アメリカによる原子力の平和利用キャンペーンにたどり着きます。
広島と長崎に原爆を落とされた日本であるからこそ、原発を導入することで平和利用の広告塔になるというものです。
当時の日本政府はこのキャンペーンに乗っかり、原発を人口の少ない地方に設置しました。過疎地に設置したということは、国は原子力エネルギーの危険性を理解していたということです。現在の「核のゴミ」の最終処分場の問題にもみられる共通点ですが、日本では地方に負担を押し付ける構造が1960年代には確立されていました。
10年かけて生業を取り戻しつつあった漁師たちに、今、トリチウム水の海洋放出問題が浮上しています。
原発の危険性を理解しながらも受け入れざるを得ない、地方の困窮という問題もあります。町からはどんどんと人口が減り、病院や商店などのインフラも十分にない。あと10数年で故郷が破綻するかもしれないという恐怖感のなかで、その解決策が降ってわいたとしたら、それが毒だとわかっていても飲み込まずにはいられないのではないでしょうか。
北海道寿都町。かつては水産業が基幹産業だった小さな町は、今、核のゴミに揺れています。
「原発故郷3650日」では私たちの社会が抱える不平等な構造にも焦点を当て、これからの未来にも起こり得る、第2の原発事故に警笛を鳴らしたいと考えています。
経歴:1985年に日本電波ニュース社に入社。テレビ番組制作に携わった後、プロデューサーとなり、ハイビジョン普及支援事業「神々の棲む里」、日本テレビ「今日の出来事」、テレビ朝日「サンデープロジェクト」などのニュース番組特番を制作しながら、文化財保存技術協会「規矩術7本シリーズ」、日光社寺文化財保存会「平成の大修理記録5本シリーズ」などの文化財保護に関わる映像の制作を続ける。社会的な問題ではイラク戦争を題材とした「イラク戦争の真実」、福島原発事故を受けて「未来への決断」などを企画・製作している。
「いつまでやってるんだとか、さっさと前に進もうよとか、いろんな人がいろんな口当たりの良いことを言うけれど、忘れたフリしたってダメだよ、だって終わっていないんだから」。
被災地で取材した方が何気なく、しかし語気を強めて言った言葉です。
私たちは日々、さまざまなことを「忘れて」、また「忘れようとして」生きています。もちん抱え続けながら生きるにはつらすぎる出来事もあり、「忘れて」生きることは、個人の選択として十分あり得るでしょう。しかし、集団としてはどうか。なんの経験や知見も受け継がれないまま「歴史は繰り返す」ことにつながりかねません。しかも、さらに悪化した状態で。
話は変わりますが、ここ数年、縁あって北朝鮮に住む日本人女性たちの取材を続けてきました。彼女たちは60年以上前に始まった帰国事業で、なかば「国策」として在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡って行った女性たちです。日本の地を再び踏むことを日々夢見る彼女たちの、狂おしいほどの思いとは裏腹に、その存在を知っている人は日増しに少なくなり、話題に上ることはほぼありません。
原発と帰国事業。一見関係のない組み合わせですが、共通しているのは、かつて国を挙げて推し進められていた背景があることです。それは当時の政府など政策決定者だけの話ではありません。メディアや世論が熱狂的に支持をし、後押ししていた時代が実際にあったのです。「地上の楽園…」「夢のエネルギー…」。そしてそれによって人生を狂わされた人々の存在は、いつの間にか「なかったこと」にされてしまう…。
両者を思い浮かべるとき、同じように脳裏をかすめるのが、「棄民」という言葉です。もちろん棄民政策は古今東西、さまざまな国や地域で行われてきました。日本では中南米への移民がしばしばその例として挙げられます。
しかし、それが「繰り返されてきた」背景には、ある種の「集団的な忘却」があるような気がしてなりません。集団で揚々と神輿を担いだあと、いったい何を担いでいたのかすら、いつの間にか忘れてしまう。
コロナ禍も続き、自戒を込めて思いますが、最近、思考の半径が自分の足下周辺に狭まりつつあるように思います。自分自身もいろんなことを「なかった」ことにし、時には無関係を装い生きてきました。が、その度に、かつて反ナチス運動をしていた牧師マルティン・ニーメラーのあまりに有名な警句が、じわじわと身体に染み込んできます。
彼らが最初に共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。なぜなら私は共産主義者ではなかったから。
次に社会民主主義者が投獄されたとき、私は抗議しなかった。なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らがユダヤ人を連れて行ったとき、私は沈黙していた。
私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった。
Uボートの艦長も務め、もともとは保守派でナチス支持者だったニーメラーをその後、待っていたのは収容所でした。
経済的困窮、DV、アルコール依存、自死…多くの被災地の人々が、原発事故で人生を壊され、狂わされ続けています。
私たちはいつまでも「なかった」ことにはできない、そう感じています。
経歴:1975年埼玉県生まれ。父は福島県南相馬市出身。早稲田大学卒業。探検部在籍時に起きたアマゾン川部員殺害事件で取材を受けたことから日本電波ニュース社に入社。テレビディレクターとして、2003年のイラク戦争など国内外の報道やNHKなどのドキュメンタリー作品を数多く手掛ける。「二つの戦争・翻弄された日本兵と家族たち」(2015年)で坂田記念ジャーナリズム賞。「ベトナム戦争 40年目の真実」(同)でニューヨークフェスティバル ワールドベストテレビ&フィルム入賞。ほかに「時代を超える技」(2007年Science Channel)で US International Film and Video Festival 優秀賞受賞。映画監督作品として「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」(2020年・文化庁芸術振興基金助成)など。
リターンについては、次のものを用意しました。
・3000円コース
プロデューサーと監督からのお礼メール
コレクター限定記事
・5000円コース
プロデューサーと監督からのお礼メール
コレクター限定記事
過去作品「未来への決断~ノーモア原発~」の贈呈
・10000円コース
プロデューサーと監督からのお礼メール
コレクター限定記事
過去作品「未来への決断~ノーモア原発~」の贈呈
完成作品「原発故郷3650日」の贈呈
・20000円コース(100名様までとなります)
プロデューサーと監督からのお礼メール
コレクター限定記事
過去作品「未来への決断~ノーモア原発~」の贈呈
完成作品「原発故郷3650日」の贈呈
クレジットへのお名前掲載(受付期限は3月31日までになります。)
・50000円コース
プロデューサーと監督からのお礼メール
コレクター限定記事
過去作品「未来への決断~ノーモア原発~」の贈呈
完成作品「原発故郷3650日」の贈呈
クレジットへのお名前掲載(受付期限は3月31日までになります。)
自主上映会権の付与(会場費・交通費などは支援者様持ちとなります)
ロケ費の補填(交通費、機材費含む)80万円
編集費(機材費含む)50万円
DVDプリント費 30万円
広告宣伝費(チラシ作成含む) 18万円
クラウドファンディング手数料・振込手数料 22万円
2020年9月 撮影・取材開始
2021年2月26日 クラウドファンディング開始
2021年2月 編集開始
2021年3月末 作品完成予定
2021年4月末 クラウドファンディング終了
本作品は取材が7割程度完了しており、目標額に達しなかった場合でも自己資金で補填し、作品の完成をお約束します。
また、2月末から3月末にかけて福島への追加取材を予定しておりますが、新型コロナ感染症の影響でスケジュールを変更する可能性があり、完成時期が遅れる場合があります。
ご了承のほど何卒宜しくお願い致します。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
原発事故から10年の節目に皆様に作品をお届けするため、関係者一同制作に邁進しています。
プロジェクトにご共感いただけましたら、ぜひご支援のほどお願い致します。
3000 円
5000 円
10000 円
残り90枚
20000 円
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