『ドノヴァンの時代』
vol. 14 2016-05-02 0
こんにちわ。
プロジェクトメンバーの草間です。
何だか凄いことになってきました!
当初より、『是非、エッセイを書いてください!』と、お願いをしていたのですが、ついに実現してしまいました!
そのお方は、なんと!音楽誌「レコード・コレクターズ」で「洋楽マン列伝」の連載を続けている。朝日新聞社の篠崎弘さんです!
数々の『洋楽ロックの重鎮』たちへのインタビューを経験されている篠崎さん。
そんな篠崎さんに、フルハウスが『ドノヴァン』という店名で開業し、その後『マギー』を経て、現在の『full house』へと変化をしていった当時を振り返っていただき、素晴らしいエッセイを寄稿していただきました。
今回はその一部を公開します!!
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「ドノヴァンの時代」
(中略)
当時のロックはみんなで聴くものだった。高度成長期だから中高生でも自分の部屋やオーディオ装置を持ってはいたが、毎月何枚も出るすべてのレコードを買うのは不可能だ。LPは3000円前後と高かった。だから、新譜はロック喫茶で聴いて、気に入ったアルバムを買うのだ。
それ以前にもジャズ喫茶というものはたくさんあった。まだ新宿の表通りに面したビルの地下にあった「ピット・イン」や「木馬」には私もよく足を運んだ。メニューは珈琲のみ、おしゃべりは厳禁という店が多く、求道的、禁欲的な雰囲気が漂っていた。70年の「ビッチェズ・ブリュー」以降のマイルスはかけない店もあった。オーディオ通の客は「どこどこの店はタンノイだ」「ジムランの方がいい」と情報を交換し合っていた。
一方、ロック喫茶ではオーディオ装置の善し悪しはあまり問題にならなかった。重要なのは新譜の品揃えと音圧、音量だ。隣同士で怒鳴り合っても聞き取れないくらいの大きさでロックが流れているのが、いい店の条件だった。ウーファーの前に座ると、周りの空気そのものがビリビリと震えていた。まだ「ロック難聴」という言葉もなかった。
街には70年安保の・・・
(続く・・・)
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当時のロック喫茶の雰囲気が伝わってきますね・・・続きは『45周年記念ブック』で!
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